(4)
友坂家が転居するに至った決定的な出来事がある。
香澄が強姦されて一月ほどが経った頃。その夜、香澄は不用心にも部屋の鍵をかけておらず、母は不躾にもノックをせずに香澄の部屋のドアを開けた。夕食の準備ができたと、ほんのそれだけ声をかけるつもりで。それを目撃した母は悲鳴を上げ、香澄の頬を叩いた。
「何を……何をしているのッ!!」
母の金切り声。騒ぎを聞きつけてリビングにいた父が駆けつける。香澄は露わになった下半身を布団で隠し、うつむいていた。父は母が何を目撃したのか察する。
「なんでこんなことしたの! なんでこんなことでができるの!」
母が娘の両肩を掴みなおも大声を上げ続けている。父が彼女らを引きはがすと、母は今度は父に泣きついて喚き続けた。
「しないわ! 私の香澄はこんなことしないわ!!」
もともと潔癖な面のあった母は、香澄が性的なものに触れることを極端に嫌悪するようになっていた。当然、自慰などという不潔な行為を“まだ幼い”香澄がするはずはないのだ。まして強姦されて幾ばくも経っていない今、娘はトラウマに震えていなければいけない。性に興味など持ってはいけない。
「(オナニーくらい、するよ。)」
だが、そのように取り乱す母を見ながら香澄は冷たく凍りついていく。彼女はとうに二次性徴を迎え、まだ不安定ながら月経も来ている。性欲があるのは当然だし、むしろ健全に成長している証である。それをいつまでも子ども扱いで、否、子どもでいなければならないと封じこめる方が不自然で不健全だ。
それに何より。
「(……自分だって。)」
香澄が初めて性を目撃したのは、まさに父と母のそれだった。数年前、トイレのため夜に起き出した香澄は、両親の寝室から洩れるその声を聞いた。ドアの隙間から覗き見たそれは、正しい意味を理解しないまま、だが直感でつまびらかにしていいものではないと口をつぐんだ。
あれから弟や妹が生まれる気配はない。つまりあれは、新しい命を宿すための神聖な儀式などでなく、
「(自分だって、娯楽でセックスしてるじゃん。)」
両親が互いの性欲を満たすためだけの行為だった。少なくとも香澄はそう受け取っていた。性の特権を独占しようとする灰色の両親へ心が向かうことはなかった。しかし、己のレイプを思い返しながら自らを慰めている異常性には見て見ぬふりをしながら。
「お母さん、ごめんなさい。もうこんなことしないわ。許して。」
心にもないことを言う香澄。だが母は娘の真意に気づく様子もない。
「いいのよ。強く叩いてごめんなさい。もういいの。あなたは悪くないのよ。」
母は娘を抱いて涙ぐむ。父は何も言わずだた立っている。
あぁ。
そのようにして“強姦のトラウマから性へのタガが外れてしまった可哀そうな娘のケアをするために”環境を変えようと香澄をいつも“見守って”いられる住居へと転居したのだ。
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