序章-6 二人の誓い




「はぁ……っ!」


 水刀が妖怪を両断する。

 浄化の力によって死んだ妖怪たちの死骸は残らない。体組織まで妖力として分解されて塵のように風に乗って消え去っていく。

 死体は残らないものの、妖怪によって乱れた力場の名残はあるので早々に退治しても等級判定には困らないのでそこは有り難い。

 先程倒したのは六等級の相手だ。中堅くらいの実力の退魔師なら大したことのない雑魚妖魔だった。

 実際、今の僕にとっては取るに足らない存在ではある。例え油断をしていたとしても、不意打ちを受けたってどうとでも出来るような相手だ。

 今回の妖怪は小型の小さな魚人だった。

 三又の槍を持った魚人で、相手に有利な水場が近くにあったから逃げ込まれたけど、作り出した水を流しただけで凄い形相で飛び出てきた。痛みに悶えながらこちらに攻撃をしようとしたところを躱しざまに両断。それで終了だ。正味一分と経たない幕切れで呆気ない終わりだ。


「もういいですよー」


 こちらを遠巻きに見ている結界班の人たちに手を振る。討伐完了が伝わると同時に咲夜の手の物が行っていた人払いの結界が解除される。

 分かり切っていたことだけども、早速野次馬たちが我先にとこの場所へ目掛けて群がってきた。

 人払いの結界というのは起点とする霊脈の異常地点から半径数十メートル、出て来る妖怪によっては百メートル近くの圏内を物理的に侵入不可能とする術だ。退魔師ほどの霊能力があれば結界内には入り込めるものの、その場合の命の保証はしないと常々政府が公言しているので余程のお馬鹿でもないと侵入はして来ないはずだ。

 だからこうして結界ギリギリに陣取って解除されたと同時に駆けこんでくる人たちが後を立たない訳でもあるのだけど。

 けたたましく足音が響き渡り、人の群れがこちらに向かって殺到してくる。

 毎度逃げられているにも関わらず、凄い執念だとある意味では尊敬する。真似しようとは思わないけど。


「噂通り今回も"清姫"だ!」


「あっ! 今回は顔を隠してないわ! やだー、すっごい可愛いんだけどっ!」


「"清姫"ー! こっち見てー!」


「……今回も凄いなー」


 彼らの言う、この"清姫"というのは自分で名付けた訳ではなく、有名になった当初にネット上で僕の本名が分からないからと勝手にあだ名をつけられたのが始まりだ。

 そのことには一定の理解は出来るけど、それはそれとしてどうして清い姫になったのかというと、それは僕が退魔師として活動し始めた最初の頃の出来事に起因していたりする。

 男の僕の扱える術は"化装術"のみだけど、こと転身した状態の"女の僕"が使える術はまた別の術が扱えるようになっていた。

 これは実家である葛木家とは別の、他家から嫁いできた母方の血に由来する"浄化"の力だ。

 母方の血はその中でも水を使用した浄化の術に特化した血筋であり、女になった僕がそれを扱えるようになったというだけの話だ。


 ——ただ、その浄化の血筋の本家本元が数世代前から力をほとんど使えなくなっているというのが問題なんだけども。


 だからだろう、力を扱えないはずの母が葛木家へ嫁いできたのは豊富な霊力を持つことが理由だと思われる。きっと、霊力の多い子が生まれて浄化の力を持った子が生まれれば自分が実家に戻り当主になれると夢を見ていたのだ。

 しかしながら結果としては男の子だけ生まれて娘は生まれず、そもそも試み自体が意味を為さなかった。

 浄化の力を持たない我が子に母は関心を持たず、半ば親のいないような状態で育てられ今に至る。

 そんなこんなで、現在は僕と同じ"浄化の水"をまともに扱える人間は一人としていないことになっている。

 そんな滅びかけの浄化使いの中でも強力な力を使って憎き妖怪に打ち倒し、穢された河川を浄化させ元の清く澄み渡った川へと──何なら元のものよりも綺麗に──戻したのが僕が"清姫"と呼ばれる由縁だ。

 名乗っている名前と一文字被りしているのを知った時は思わず正体がバレたと勘違いをしたけど、杞憂ではあったので助かった過去があったようななかったような。


「……さて、人気のない場所はと」


 今回戦ったのがその最初の戦いに近しいものだったこともあり、結界が解除されてから少しの間だけ物思いに耽っていると段々と声の集団が近づいてきた。その中でも集団の先頭にいたのはスーツ姿の男性だった。


「"清姫"さん! 少しでもいいので質問にお答えを!」


 大声とともに記者と特大のカメラを持った人達が物凄い勢いで駆けてくる。大荷物で重いはずだというのに、それはさながら陸上の選手のように大地を蹴っている。凄い身体能力とど根性だ。しかし、まだボロを出す可能性が高いので今は取材に応じる訳にはいかない。


「ごめんなさい。そういうのはお断りしているので」


 一瞬でも顔は晒したし、今までとは違って言葉で断りも入れている。咲夜からの要望には少しは応えたのでこれで退散することにした。


「一言でもいいので──あぁっ!」


 陸上選手ばりの走りを見せる記者たちも、転身した僕の走力には付いては来れない。瞬く間に開く距離に絶望した声が上がっていた。

 取材をするという彼らの仕事を無視することに少しだけ罪悪感を感じるものの、捕まれば一言では済まないのは分かり切っているので足は止めたりはしない。

 群衆から離れ、人の気配のない屋上で様子を探りつつ、予定よりも早く終わったけれど特にやることはないのでそのまま帰宅することにした。帰り道は姿を見られないように気配を探りつつ、もしもの為に周囲を目視でも確認をしながら無事帰宅する。

 すると何故か玄関で待っていた大門先輩がいい感じにひんやりとした濡れタオルを渡してくれた。

 その後ろから、咲夜が不敵な笑みを浮かべてこちらにやってくる。


「おかえり、清花。早速だけど、もうネットにアナタのことが上がっているわよ」


「早くない? まだ三十分も経ってないのに」


 あの場を離れて帰宅するまでのたった十数分の間に実に色々な写真がネットの海に投下されていた。

 少し遠目のものだけど正面と横顔に後ろ姿まで、何なら巫女服姿の僕のパンチラでも狙ったような下からの撮影も。

 最後のは失礼だとして少し炎上していたけど。

 それに、少しだけ喋った音声も記録されていて。


『声が可愛い』『佇まいが清楚』『顔と声が良くて胸がでかくて才能もあるとか、天から幾つ貰ってんだ』『これはランキング塗り替えたわ』


 等々、僕が断り文句を入れているだけの短い動画に多くの言葉が投げかけられていた。


「うわ、何この反応」


 多数の人達が自身の言葉を添えて文章を投稿、それに対して反応したりするだけの機能を搭載したアプリでは僕の写真があげられると共に様々な反応があり、その反応に対してもまた沢山の反響が見受けられた。その数は今もなお伸び続けているように見えた。


「あら、私が見た時より増えてるじゃない。思った通り世間ではやっぱり顔が一番のようね。見事に顔についての言葉ばかりじゃない」


「それしか触れられるものがないから仕方ないと言えばそうだけど、確かに顔に対する反応が異様に多いね」


 可愛いとか美しいとか彼女にしたいだとかの声が多く、それと共に身元の特定が進んでいる様子。

 当然だけれども、その場所に僕がいた場所というのはどうあっても隠し切れはしない。

 ここ最近は元いた場所ではなく咲夜の管轄地域でばかり活動をしていたのでこちらに居を移したと考える人は多いだろう。いずれ僕がここに住んでいることは露見するけれど、それ自体は既定路線なので問題はない。


「あら、この人なんて鋭いわよ。これだけ高位の退魔師を雇えるのは同じ高位の退魔師一家だろうって。それでこの地域を統治する退魔師一家を探ったところ、宝蔵家が出てきたと。まぁ、これくらいは別に探偵じゃなくても簡単に推察出来ることだけれど」


「こうして噂になったりしたらここに色んな人が来るんじゃない? 邪な人たちは入って来れないようにはしたけど、全ての人がそうな訳でもないし。何か対策はあったりするの?」


「その場合は不法侵入で追い返せばいいし、警察もすぐに対応してくれるから安心だけれど、問題は公権力の後ろ盾がある連中ね」


「予想出来てるってことは対策は考えてあるんだよね?」


「当面の間はここにいるのは私がいらないと捨てられた葛木家の末の息子がいるだけ。"清姫"なんて存在は知らないということにしてしまえばいいわ。清花がここにいるという確固たる証拠でもなければどうにもならないでしょうし」


「来客がある場合は男に戻ればいいってこと?」


「基本的にはそれで対応すればいいでしょうね」


 赤の他人がただ人探しをする為だけに本当にいないかどうかわざわざ家探しをするような真似は流石に出来ないだろうから、おそらくは探知系の術者でも連れてきて感知術式のようなもので捜索させるに違いない。僕の転身は使う前と使った後では丸っきり別人なので、咲夜ほどの感知能力じゃないと同一人物だと悟られはしないだろう。

 現に、今まで散々探られはしたけれど正体がバレたことはないのだから。


「この屋敷に長期滞在でもしない限りは二人が同時に現れないことについての疑問は生まれないでしょうし、もし居座られたとしてもそれを理由に清花が帰って来ないのだと言えばどうすることも出来ないでしょう。まぁ、後者の方はこっちとしてもずっと貴方が帰って来ない状況はよろしくはないし、出来るだけ回避したいところではあるわね」


「別の手は考えてるの?」


「相手も馬鹿じゃないでしょうし。完璧に貴方の存在を隠し通すのは無理でしょうね。とはいえ、余計なことをして貴方の反感を買うことは余程の阿呆でもない限りはしないでしょう。相手がその見極めをしている間に地盤を固めて相手が容易に手出し出来ないくらいの知名度を手に入れる、というのが大凡の筋書きね」


 果たして"清姫"とは一体誰なのか。どこの家の人間で、どうしてここにいるのか。そのことを知りたい人は多いとは予想していた。

 しかしこれを詳細に無理なく説明するのは難しく、反響を考えれば真実を語る訳にはいかない。さりとて無視し続けるには僕の存在は目立ち過ぎる。

 こうして正体を探られるのは咲夜とは関係なく、過去に僕一人で行動をしていた時にネット上で話題になった時から半ば決まっていたことだ。探られるのを完全に阻止したいのならば、今すぐに"清姫"として活動するのを止めて二度と化装術を使用しないことが条件になる。

 僕としても咲夜としてもそれが出来ない以上、何らかの策を講じて対処をしなければならない。


「まぁ、そこはきちんと考えているから安心して。頭脳労働はこっちが担当するから、貴方は負けなしの期待の新人を続けてくれればそれでいいわ」


 僕自身は実家にいる時でもしっかりとした教育を受けているとは言い難かったので、咲夜がこれから行おうとしている情報戦という名の戦いに僕は付いて行けない。自分の意志だけで何かしようとしたら失敗したりボロが出る確立は高いと自分でも思っている。

 少し性格と口は悪いけれども、咲夜は口が達者なのできっとなんとかなる方法があるのだろうと信頼してあれこれと口出しするのは止めておいた。


「そこ、何だか失礼なことを考えてない?」


「別に? それよりも、僕は失敗をしても取返しはつくけど、咲夜のは特に失敗出来ないのは忘れないでよ?」


「そんなことは重々承知してるわよ。他ならぬ私自身が未だ崖っぷちにいるのだから」


 僕の正体バレが、咲夜の担当地域から主力の戦闘要員がいなくなるという事態に繋がる可能性がある。

 まだ学生という身分の彼女の未熟な人脈では有力な他の退魔師をこの地に呼ぶことは出来ず、いずれは業績不振の責任で担当地域から外されて放逐されるか、適当な家へ無理矢理に嫁がされることになるだろう。

 これは他ならぬ咲夜自身が口にした自身の未来予想図だ。僕という存在がいなければ高確率でそうなると予想していたというただの事実に基づいた予測。

 それでも彼女は諦めてなんかいなかった。


「そっか……。なら僕はこれ以上何も言わないよ」


「そうして貰えると助かるわ。それで、次の行先は分かる?」


「前に行った場所の近くだから把握してる。端末を使えば位置もすぐに分かるしね。それじゃ、行ってくるよ」


 これから本日二度目の妖怪退治だ。

 龍脈の異常は一日に一度も起こらない日もあれば、三度も起きる場合だってある。それを予測するのはほとんど不可能に近く、担当地域が広ければ広いだけ対処しなくてはいけない箇所が増える。

 彼女の実家たる宝蔵家は意地の悪いことに、当て付けのように割り当てた地域は比較的に強い妖怪が出やすい地域だった。


「えぇ、精々強い妖怪を倒して名を売ってきて頂戴」


 退魔師不足が嘆かれるこの世の中でわざわざ彼女に手を貸すお人好しがいる訳もなく、僕がいなければ咲夜は早晩潰れていた。

 同時に彼女がいなければ僕も居場所がなかった。実家に戻れず、一人でひっそりと身を隠しながら生きていくことになっていた。

 だからこそ、お互いの為に僕たちは手を取り合うと決めた。

 その為には僕は狩って、勝ち続けなければいけない。それがどんなに困難な道のりでも、必ず越えてみせると誓ったのだから。

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