ゴリラブレイク 〜隠居ゴリラは勇者を夢見る〜

サイトウ純蒼

第一章「ゴリラ、魔王討伐を決意する」

1.憧れの勇者に

 勇者が死んだ。

 圧倒的強さを誇った勇者スティングが魔王討伐後、死に際に掛けられた呪いで帰らぬ人となった。討伐から半年。あっけない最期だった。



 勇者パーティの前衛として活躍した戦士ゲインは、魔王討伐後は辺境の村外れで隠居生活を送ることにした。スティングの死を聞いた時も特別な感情はなかった。それで良かった、もう自分には関係ないと。





「あれ? これは一体……」


 勇者スティングの死後すぐに、そのゲインの体に異変が起きた。ある朝、目が覚めると腕中の体毛が驚くほど濃くなっていた。


「何だこりゃ!?」


 昨日までの自分の腕とは全く別物。ベッドから飛び起きたゲインは鏡に映った顔を見て衝撃を受けた。



「ゴリラじゃねえか……」


 顔や腕、体に生えた焦茶の剛毛。それはもう辛うじてゲインの面影を残すだけのゴリ面。昨日までの『戦士ゲイン』はそこには居なかった。



(どうなってやがる……、まさか、魔王の呪い!?)


 魔王が死に際に掛けた呪い。

 勇者スティングはその呪いで死んでしまったが、自分には別の呪いが掛けられたのではないか。



「はあ、参った……」


 天を仰ぎため息をつくゲイン。

 正直この世に未練などなかったが、いきなりゴリラになってしまったことには流石に動揺した。


「まあ、とりあえず飯でも食うか」


 そう言って台所にあったバナナを食べる。美味い。こんなにバナナが美味く感じるとはやはりゴリラになってしまったのかとゲインはひとり苦笑した。





(今日もいい天気だ……)


 魔王討伐から十年が過ぎ、ゴリラになったゲインは人と交わることなく山の中で隠居生活を送っていた。

 当初は街に出て呪いを解く方法などを探してみたが、結局何の解決法も見つからずに次第にどうでもよくなった。ゴリっぽい顔だが黙っていれば中々のイケメンゴリラ。ひとり自給自足の生活を楽しんでいた。



「おい、お前。私のパーティに入れ」


 そんなゲインの元にある日、ひとりの少女がやって来て言った。狭い質素な木造の家。昼食をとっていたゲインは突然の来訪者に眉をひそめて答える。



「なんだ、お前? わけ分からないこと言ってねえで、ガキは帰んな」


 その少女、金色の髪をふわりと風に靡かせながら言う。


「ん? お前ゴリラなのか? まあいい。つべこべ言うな。私が決めたんだ。さっさと支度しろ」


「はあ? なんだ、このガキ!?」


 ゲインはその少女の目が薄い紺色に変色したことに気付かない。少女が腰に差した剣を抜いて言う。



「私の名前はリーファ。勇者だ。今日出会える奴が私のパーティになる夢を見てここに来た。光栄に思え」


 ゲインは手にしていたバナナを置くと立ち上がりリーファの元に歩み寄る。そして腰を下ろして言った。



「ガキは帰んな。優しいオジサンでも怒るぞ」


 リーファはむっとした顔をして言う。


「時間がないんだ。西の洞窟にレッドドラゴンが出た。すぐに退治に行くぞ」


「レッドドラゴン!? ぶははははっ!!! そんなヤバい奴がいるはずねえだろ!!!」


 ゲインは腹を抱えて笑い出す。レッドドラゴンと言えば上級冒険者でも手こずる魔物。こんな長閑な田舎にいるはずがない。リーファが言う。



「信じないのか?」


「当たり前だろ」


「なぜ信じない? 私は勇者だぞ。勇者の言うことは絶対に……、きゃっ!!」


 いい加減頭に来たゲインがリーファの首根っこを掴んで持ち上げる。宙に浮かぶリーファが「下ろせ下ろせ」と声を上げる。



「じゃあな。勇者ちゃんよ」


 ゲインはそう言いながらリーファを外に放り出しドアを閉める。



「ちょ、ちょっと!! 何するんだよ!!」


 リーファが怒り戸を叩くも返事はなし。むっと膨れた顔をしたリーファが言う。


「また来るから!!」


 そう言ってぶつぶつ文句を言いながらひとり村の方へと帰っていく。



「全くなんだったんだよ、あのガキ」


 ゲインは冷めてしまったバナナランチにため息をつきながら再び食べ始めた。だがその夜、ゲインはその信じられぬ現実を目の当たりにする。





 ゴオオオオオオオオオオ!!!!


「!!」


 真夜中、突然の鳴き声にゲインが目を覚ます。流れる汗。それは勇者パーティ時代、幾度も聞いたの叫び声。ゲインが部屋に掛けてあった剣を手に外へ飛び出す。



「うそ、だろ……」


 ゲインの目には西の空を真っ赤に染め上げる炎の海が映る。あの心をへし折る独特の鳴き声、真っ赤に染め上げる炎。それは正に、



「レッドドラゴン……」


 ゲインは無我夢中で西の方角へと走る。そしてくしくもリーファの予言通り西の洞窟の前で暴れるレッドドラゴンと遭遇した。ゲインの剣を握る手に汗がじわりと吹き出す。



(倒せるのか、俺に……)


 勇者スティングもいない。

 魔法使いも僧侶もいない。攻撃補助も治療もできない状態で、実戦から離れた自分にあの赤い悪魔が倒せるのだろうか。



 ――勇者になりたい


 若き日、希望を胸に村を出たゲインはそんな夢を持っていた。

 だがなれなかった。

 圧倒的強さを誇る本物の勇者を目の当たりにし、自分の限界を決めてしまった。皮肉にもその勇者に強さを認められとしてパーティに迎え入れられる。そしてゲインの冒険は終わった。



(そう、俺は勇者じゃない。勇者じゃない、だけど……)


 ゲインがレッドドラゴンに対峙し剣を向ける。



「お前ならそんな理由なしにぶった斬るんだよな、スティング!!!!」


 ゲインは無我夢中で剣を振った。

 単体のレッドドラゴン討伐なんて無謀なこと、現役時代でもしなかった。何でそんなことをしたのか分からない。だがゲインの中のが彼を突き動かした。


「グゴガアアアアアアアア……」


 レッドドラゴンが最期の断末魔を上げて倒れた。




「はあ、はあ……、滾る、滾る、滾るぅ。なんだこれ、抑えられねえ……」


 ギリギリのところでレッドドラゴンを倒したゲイン。先程までの不安は吹き飛び、体の中から熱く燃え滾る炎が噴き出す。大きく息をしながら倒れた赤き悪魔を見つめる。



 ――快感だ


 たったひとりで倒した。誰の助けもなしに自分ひとりで倒した。強力な敵はいつもスティングが相手をし、自分はそのフォローをしていた。でも今は違う。自分が倒した。この剣が目の前の敵をぶった切った。



(ああ、まるで俺が主役じゃねえか)


 初めて感じる快感。こんな世界があっていいのかとゲインが余韻に浸る。



「あ、でもやべえかも……」


 そう思いながらもレッドドラゴンの鋭利な爪の攻撃、全身に受けた酷い火傷にゲインがその場に崩れるように倒れる。



(まずいぞ、誰も治療してくれるやつがいねぇ。このままじゃマジで……)


 そう思った時、ゲインの体を温かな光が包み込む。



「あっ」


 懐かしい魔法。現役時代何度も掛けて貰った回復魔法。



「気が付いたかな~」


 ゲインが起き上がると、そこには白銀の髪に帽子をかぶった若い女性が立っている。背にした白いマント、スリットの入った肌の露出の高い服装。ゲインの近くに来てにっこり笑って言う。



「お疲れ~、ドラゴン退治~」


 起き上がったゲインが頭をぼりぼりと掻きながら言う。


「何やってんだ、ダーシャ。って言うかなんだその姿??」


 ダーシャと呼ばれた美しい女性が答える。



「えー、だってこの方がゲインちゃん喜ぶと思ってさー、せっかくの出血大サービスなのに~、って言うかゲインちゃんに言われたくないかな~」


 ゴリラ顔になったゲインを見て笑うダーシャ。ゲインが大声で言う。


「こ、これは魔王の呪いなんだ!! そんなことよりてめえみたいなの大サービスなんて誰が喜ぶと思ってんだよ!」


「あらあら、久しぶりの再会なのに手厳しいわね~、じゃあこれで」


 ダーシャはそう言うと一瞬で白髪の老婆に姿になる。彼女は勇者パーティ時代何度も共闘した大魔法使い。ゲインが面倒臭そうな顔で言う。



「あと、隠せよ、その胸元……」


 大きく胸の部分が開いた服。ダーシャが恥ずかしそうにマントでそれを隠す。


「ゲインちゃんに見られて、私は嬉しいよ~」


「うるせえ」


「いつからゴリラになっちゃったの??」


「魔王討伐から半年ぐらいだ」


「あら、それじゃあスティングと同じぐらいね」


「ああ、だから魔王の呪いだと思ってる」


「解呪は?」


「無理だった。もう諦めた。お前解けるか?」


 しばらくゲインを見つめたダーシャが首を振って言う。



「無理ね~、本当に魔王の呪いっぽいよ~」


「だろうな……、まあいい。それで何の用だ? まさかそのダサい服をわざわざ見せに来たわけじゃねえだろ??」


 ダーシャは自分の服を何度も見てから答える。



「そんなにダサいかしらね~、結構男の子には受けがいいだけど~」


「そりゃさっきの姿だからだろ!!」


「てへ」


「ババアがぶりっ子すんな!!!」


 ダーシャが悲しげな顔で言う。



「ほんとゲインちゃんは手厳しいわ。ええっと、それじゃあ用件だけど、勇者パーティに入って欲しいの」


「帰る、じゃあな」


 そう言って背を向けて歩き出すゲインにダーシャが慌てて声を掛ける。



「ああ、ちょっと待ってよ!! 冗談じゃないってば」


「じゃあ何なんだ!!」


 脈絡のない会話にゲインが苛つく。ダーシャが言う。



「魔王が復活したの」



「……は?」


 ゲインが固まる。

 魔王は十年前、自分とあの勇者スティング達とで討伐したはず。それなのに復活とは一体?



「正確に言うと間もなく復活するの」


「本当か……?」


 ダーシャが頷く。

 彼女は上級魔法使いでありながら予知能力を持つ女性。閃いた時だけの限定だが、その予知が外れたことはない。ゲインが言う。



「見えたんだな」


「ええ、ぼんやりとだけど」


 それ以上の説明は要らなかった。彼女が嘘を言うことはない。ダーシャが尋ねる。



「昼間に金髪の女の子が来なかった?」


「は? あ、ああ、来たぞ……」


 ゲインの胸がどくどくと鼓動する。



「あの子ね、実はなの」



「体現者……??」


 聞いたことのない名称。ダーシャが言う。


「簡単に言うとね、想像した物を本当に体現化させてしまう能力を持っているの。実際この世界に」



「は、マジかよ……」


 本当ならば恐るべき能力。もはやチートである。ダーシャが言う。


「でも全部が全部叶う訳じゃないの。発動条件は分からない。ただ彼女を放置しておくわけにはいかないの」


「……だから俺に面倒を見ろと?」


「ご名答~!!」



 ゲインが首を振って断る。ガキの面倒など見てはいられない。ダーシャが言う。


「あの子、なんて言ってた?」


「勇者になりたいから、俺についてこと」


「ふふっ、だよね〜。じゃあもう決まりじゃーん」


「決まってねえし」


 ゲインがプイと横を向く。ダーシャが真剣な顔で言う。



「魔王が復活するんだ。今この世界で魔王を倒せるのはお前しかいないんだよ」


「無理だ!! 俺は勇者じゃねえ!!」


「勇者になる必要なんてないさ。魔王を倒してくれれば」


「断る」


「断れないよ」


「いや、断る」


 ダーシャは街の方をちらりと見てからゲインに言った。



「じゃあ私はこれでお暇するよ。ぴちぴちのダーシャちゃんが見たければまたリクエストしておくれ~!!」


「するか、ババア!! とっとと消えろ!!」


 ダーシャは投げキッスをしながら浮遊魔法でその場から飛び去って行った。




(俺が魔王退治? ふざけるな、俺は勇者じゃねえ。勇者になれなかったただのヘタレだ)


 ゲインの脳裏に華やかに舞う勇者スティングの姿が思い出される。


(勇者ってのはああやって可憐で皆に好かれ、強くて、誰にも負けなくて、負けなくて……)



「あれ……?」


 ゲインは自分の目から涙が流れていることに気付いた。



「俺、何で泣いてんだ……」


(勇者ってなんだ? みんなに認められて、勇者の剣が扱えて、魔王を倒せて……、ああ、くそっ、やっぱり勇者ってやつは……)




「おーい、お前!! 大丈夫かー」


 ゲインはすぐに袖で涙を拭き取り、声のした方へと視線をやる。



「おめえは、リーファ……」


 金色の髪、腰に付けた剣。可愛らしい顔はしてるが生意気なクソガキ。リーファは倒れているレッドドラゴンを見て不満そうに言う。



「あれ、お前がやったのか?」


「ああ、そうだが……」


「つまんないなー、私が倒したかったー」


「倒せるのか、お前に?」


 彼女の強さは知らない。ただレッドドラゴンをソロ討伐できるなら本物だ。リーファが腕を組んでゲインを見て言う。



「当たり前だろ! 私は勇者。魔王を倒す者だぞ!!」


「ああ、そうだったな……」


 そう答えるゲインにリーファが真面目な顔をして言う。



「もうすぐ、魔王がするんだ!」



(あ、目の色が……)


 ゲインはそれまでとは違いリーファの瞳が薄い紺色に変わったことに気付いた。それは昼間見たレッドドラゴンの話をした時と同じ光景。



(まさか、目の色の変化が体現化のサイン……??)


 リーファがゲインに指を突き立てて尋ねる。



「それでどうするんだ? 決心はできたのか? 勇者リーファ様と一緒に行くって?」


 ゲインの心の奥深くに燻っていた小さな種火に、体現者リーファの強力な燃料が投下される。燃え上がる心の炎。滾る気持ち。スティングなき今、がその役割を果たさなければ世界が終焉へと向かう。ゲインが下を向きクスッと笑う。



(魔王、魔王、魔王か……、くそっ、やっぱ抑えられねぇ……、ああ、何だこの高ぶりは。俺の中の滾る気持ち。いいぜ分かった。やってやる。傍観者だった俺はもういねえ。魔王だと? 上等だ。この俺がぶった斬ってやる!!!!!)



「こら、お前。人が真剣に話している時に笑うとは何ごとだ!」


「ああ、すまねえ。いいぜ、行ってやる」


「本当か!!」


 リーファの顔がぱっと明るくなる。



(きっとこれもこいつの思い通りのことなんだろうな)


 リーファとの同行、これも予定調和なのだろう。ゲインが言う。



「俺は『勇者ゲイン』だ、よろしくな!!」


「は? それはダメだ!! お前ゴリラだろ!! 勇者は私だ!!」



「あはははっ、そりゃすまねえすまねえ」


 笑うゲイン。リーファが言う。



「魔王はが必ず倒すんだ、絶対に。いい??」


「ああ、分かったよ」


 そう笑って答えるゲインは彼女の目が薄い紺色に変わったことに気付かない。



「よろしくな、嬢ちゃん」


「うむ」


 ゲインの言葉に大きく頷くリーファ。ゲインが夜空に輝く星を見上げながら思う。



(そこで見てろ、スティング。俺はお前を越える男になってやる。俺が憧れた強くてカッコいい、そう……)



 ――最高の勇者に


 夜空を見上げたゲインの目から一筋の涙がこぼれた。

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