ギルドワーク・40回目の転生

告井 凪

ギルドワーク・40回目の転生

プロローグ

プロローグ「最初の転生、40回目の転生」


 僕はたった一人で魔王に挑み、そして敗れた。


 その魔王は紅蓮の炎を鎧として纏う異形の騎士。その手に握られたのは似つかわしくない黄金剣。美しい見た目と裏腹に、悍ましい魔力を放つ。炎と闇の中に煌めく黄金は、希望などではなく絶望だった。


 魔王は圧倒的な魔力でいくつもの国を滅ぼし、挑んできた者は剣の武で切り伏せた。

 そうして屠った人間の武器を奪い、積み上げ、剣塚にするのだ。

 剣塚は魔王の強さの象徴。その頂きに立つ魔王に、人々は絶望していた。


 そんな中、僕はある噂を耳にした。

 闇の魔力を払い、魔王の剣を折る聖剣がこの世界のどこかにあると。

 その名も『聖剣ヒカリノ束』。

 由来は不明で、いい加減な憶測が尾ひれを付けて広まっていた。魔王が現れることを予言した人物が創ったとか、かつて滅びた国の宝剣だったとか、魔王の持つ黄金の剣と対に創られたものだとか、異世界からもたらされたとか、神が姿を変えた物だとか――。

 信じられそうな話は一つも無い。そんな剣があれば魔王を倒せるのにと、妄想のような願いが噂となっているだけ。誰も本当に存在するなんて信じていない。本気で探すなんて、絶望して頭のおかしくなった奴のすることだ。


 そして僕はその頭のおかしい奴だった。噂に縋って聖剣を探し求めたのだ。

 世界中を旅し、洞窟や廃墟、遺跡を隅々まで探索する。情報のほとんどが偽りだらけで、わずかな古い伝聞を頼りに諦めずに探し続けた。


 そしてついに――見付けた。

 北の果ての大地、雪山の洞窟に聖剣が隠されていた。

 発見した剣は相当古く、保存状態も悪くボロボロになっていた。しかもこれは戦いに使うための剣ではない。飾るための美術品、装飾剣だ。

 だけど手にしてわかった。例え元は飾りでも、特別な力を有している剣だと。

 当然ながら、普通のものはまったく斬れない。下手したら折れてしまいそうだった。

 しかし魔物は違う。触れただけ、力を入れることなく一刀両断できてしまう。

 紛れもなく聖剣。闇の魔力を払い、魔王の剣を折る聖剣は実在したのだ。


 僕は聖剣を持ち帰り、さっそく魔王に挑んだ。たった1人で。

 この剣があれば戦うのは僕だけで十分。どれだけ魔王が強くても倒すことができる。世界を救うことができるんだ。

 そして僕の願いも叶えられる――そう、思っていた。


 魔王の剣とぶつかり合った瞬間、聖剣ヒカリノ束は真ん中で折れてしまった。

 魔物は簡単に倒せる。だけどその時魔王が握っていたのは、あの黄金剣ではなく、他の人間から奪った普通の剣だった。耐久力の無いボロい剣が魔王の剣に耐えられるはずがない。


 そして、僕はようやく悟った。そんなことにも気付けない未熟者の僕では、魔王になんて絶対に勝てない。どんなにすごい力を持った聖剣も、使い手が悪ければ負ける。破壊されてしまうのだ。

 聖剣が折れると同時に、僕の体も切り裂かれていた。魔王の魔力が激しい炎となって溢れ出し、僕は吹き飛ばされて仰向けに倒れる。折れた聖剣がその横に転がった。


 あぁ――これでもう、魔王を倒すことはできない。聖剣が折れてしまっては勝てない。

 体を切り裂かれ、炎に焼かれ、僕はもう身体を動かすことができない。痛みも、なにもかも、すべての感覚が失われていく。死の淵に立たされていた。


 意識が闇に落ちる寸前、別の冒険者たちが乗り込んできたのが見えた。彼らも折れた聖剣見て絶望するだろう。僕が剣を折らなければ、希望だったかもしれないのに。

 ……いや、そもそもこれを聖剣だと思わないか。折れたボロい剣が聖剣だなんて思うはずがない。僕は最後の力を振り絞って、剣を掴む。そして彼らに腕を伸ばし――



 苦い、苦い、戦いの記憶。初めて異世界に転生し、魔王に挑んだ時の記憶だ。

 世界を救うどころか、その道を絶った愚か者は――すべてを救うことの難しさを思い知り。

 その後、何度も魔王に殺されることになる。



          * * *



「目を開けて、冒険者ラック」


 心地のいい、爽やかな声。

 目を開くとそこは真っ白な空間。正面に黄金色の光の輪が浮かび、その中に女神が現れた。

 真っ白なレースを身体に巻き付けたような衣装に、長いエメラルドグリーンの髪を幾束も腕に絡ませ、その顔は慈悲深く、しかし極寒の様な冷徹な瞳は、人間では得ることのできない人外の美しさだった。

 光の輪は胸の高さで浮かび続け、それに沿って強い光が星のように女神の周りを回っている。


「ラック、あなたに問います。もう一度あなたのまま転生し、違う世界で願いを叶えますか? それともすべてを忘れ、願いを諦めますか?」

「…………」


 ラック――僕は女神の問いかけに黙り込む。

 その美しさに言葉を失っているわけではない。圧倒されているわけでもない。そんな時期はとうに過ぎていた。何故なら彼が女神を見るのはこれで四〇回目なのだから。


「あら、珍しく迷っていますね。いつもは即答していましたのに」


 女神の言う通りだ。死ぬ度に女神は同じ問いを繰り返してきた。そして僕は迷いなく転生を願ってきたのだ。


「ラック、あなたは忘れていないはずです。最初に転生を願った、その時の想いを」


 もちろん。忘れたことなどない。今度はすぐに言葉にできた。


「僕が魔王を倒す。倒してやる」


 渇望。胸の奥で燃え続けているその想いだけで、僕は転生を繰り返してきた。だけど――。

 僕は女神から目を逸らす。


「……願いは変わらない。だけど、思ってしまったんだ。僕には、魔王を倒せないんじゃないかって」


 39回転生し、39のまったく別々の世界を旅して、姿も力も強さも違う39体の魔王と戦って、すべて敗れた。

 それだけ負ければ、さすがに気付く。

 魔王を倒すのに、決定的に欠けているものがあることに。


(僕はいつも、一人で魔王に挑む道を選んでしまう――)


「あらあら。さすがに疲れてしまいましたか。39回も転生していますからね。仕方がありません。それでは――」

「あ……」


 もう一つの選択肢、願いを諦める。

 それは、これまでの記憶も、願いも、想いも、すべて無くなり別の人間として生まれ変わるということ。一つの魂として輪廻に加わるのだ。

 このままなにも言わなければ、女神は僕の魂をそうするのだろう。


(僕は……どうしたいんだ? まだ、続けたいのか?)


 結局、声を出せずにいると、


「――一回、休みましょうか」

「……はい?」

「次で40回。キリもいいですし、休みにしましょう」


 予想外の提案だった。だけど一回休みって……休みって? なに?

 休みという言葉自体はわかるけど、今この時に限り、その意味がわからなかった。

 そもそもキリ、いいのか? 40回って。10の区切りではあるからいいのか?

 そんな僕の心を文字通り読み取り、女神は答える。


「言葉通りですよ。思えばあなたはこれまで戦い尽くめでした。39回も転生し、一度も諦めることなく魔王に挑んだ。これは素晴らしいことです。誇っていいですよ」

「はぁ……全部負けてるけど」

「実感がないようですね。もっと早い段階で諦めてもおかしくないというのに――いえ、それがあなたのいい所なのでしょう」


 褒められているのはわかるけど、結果が伴っていない以上素直に喜べない。

 単に諦めが悪いだけとも言えるし。


「あなたは過酷な世界をいくつも渡ってきました。それなのに、一度も休みがないというのはよくありませんでした。精神をすり減らし、パフォーマンスが落ちるだけです。無理はいけないのですよ」

「それは……」


 パフォーマンスはわからないけど、メンタルが参っているの確かなのだろう。


「決めました。あなたが転生する次の世界は、平和で魔王のいない世界にします」

「ま、魔王のいない世界? そんなの転生する意味が……」

「休みだと言っているでしょう? 魔王と戦わず、平和な世界でのんびり過ごすのです。素晴らしい考えだと思いませんか」

「え……えぇ? そんなのありなのか?」


 魔王のいない世界に転生。

 これまで、僕は魔王を倒すことだけを考えて転生してきた。

 どの世界も魔王との戦いで疲弊していて、生きるのもやっとの過酷な世界だってあった。

 そんな世界では休まる時なんてなかった。女神の言う通り、僕の心が折れそうなのは休息が足りなかったのかもしれない。

 だけど、そんな休息のために転生をするなんていいんだろうか?


「別にダメと言うことはありませんよ。こうでもしないとラックは延々とここで悩み続けそうですし。とにかく今回は休みです。いいですね?」

「は、はぁ……」


 女神の周りを浮かんでいた光の一つが大きくなり、ふわりと僕の前に飛んでくる。

 それは膨らむと、抱え込めるくらいの大きさの球状になる。転生の時にいつも見る光景だ。


「いつもなからここで、あなたに特別なスキルを授けるのですが、今回は無しです。魔王と戦わないのですから。必要ないですよね」

「え……はい」


 ちょっとショックを受ける。女神がくれるスキルはいつも違うから、楽しみにしていたところがある。


「ガッカリしないでください。代わりに、この世界にボーナスを加えますから」

「ボーナス?」

「あなたが心から休まるように、私からのサービスです」


 女神は目の前に浮かんでいる光球とは別に、美しい青色に光る水晶玉を手の中に生み出した。

 そしてゆっくりと僕に近付き、それを僕の頭上に掲げる。


「これがボーナスになるのですが……少し待っていてくださいね」


 女神が水晶に手を突っ込み、まるで中身を漁るようにゴソゴソと動かしている。


「これでもない……これも違う。さすがに39回も転生すると中身がゴチャゴチャですね。ん~……」

「あ、あの、大丈夫ですか? なにをしているんですか?」

「あなたのボーナスを作ってるんです! 結構力を使うんですよ? 邪魔しないでください」

「ごめんなさい」


 怒られた。女神……こんなだったっけ? そういえばいつも即答で転生を選んでいたから、こんなに長く話すのは初めてだ。


「どこにあるのかしら……そうだあのワードで検索をかければ……ふふ、最初からこうすればよかったですね」


 ようやく女神は手を引き抜き、水晶玉を先ほどの光球の上に掲げた。


「……なんか、水晶の色変わってません?」


 美しい青色に光っていたそれは、濁った紫色になっている。


「問題ありません。ちゃんとボーナスになっていますから」

「はぁ……ボーナスって、具体的にどんな?」

「それは秘密です。ラックは無粋ですね、こういうのは転生してからのお楽しみですよ」


 そこはかとなく不安だったら聞いたのだけど……まぁ仕方が無い。女神様なのだ、間違うことはないだろう。


「ではこの世界にボーナスを付与し、あなたを転生させます」

「……お願いします」

「先ほども言いましたが、この世界には魔王はいません。魔物はたくさんいますので戦いはありますが、これまでの世界に比べたら平和そのもの。人間の世界が広がっています」

「人間の世界が……」

「ちなみに40という数字はとてもキリのいい数字ですよ。人間にとっては悪いのかもしれませんが」


 そうなのか。人間の僕にはわからない感覚なんだろうな。人間にとっても別にキリが悪いわけではないんだけど。


「さあラック。お疲れさまです。この平和な世界で、自分自身を見つめ直すのです」

「……はい」


 自分自身を見つめなおす……確かに、それがいいのかもしれない。このまま繰り返しても失敗が続くだけだろう。

 女神の言う通り、僕は疲れている。休息が必要なんだ。休んでいいんだ。

 ついでに自分の欠点を、弱い部分を、克服できれば僕は、また……。

 僕は目を瞑り、光球を抱え込む。


「ゆっくり休んでください。ラック――」



          * * *



「悪いな、頭がすげー痛くてよ。明日の依頼、休みにしといて」

「そんな! ズータさん、困ります!」

「明後日はやるからさ、よろしく~」


 冒険者ギルド『ワーク・スイープ』。受付からそんな会話が聞こえてきて、少し離れた椅子に座っていた僕は天を仰いだ。


「ふざけんなよ、あのおっさん……」


 腹を抱えて逃げるようにギルドから出て行くおっさん冒険者のズータ。頭が痛いんじゃなかったのか?


「ほらね、ラック。わたしの言った通りになった! ズータさんやっぱり明日サボリだよ」


 隣りに座っていた女の子が嬉しそうに声をかけてくる。

 彼女の名前はエルトゥーナ・エイルーン。みんなからエルナと呼ばれている。透き通るような綺麗な水色の髪を肩の上で切り揃え、いつも騒がしい――もとい、明るい活発な少女。

 彼女は『ワーク・スイープ』の宿舎を管理するスタッフの一人なのだが、出会ってすぐに起きたトラブルにより、僕に付き纏うようになった。


「さあラック。出番だよ! 早く代わりに受けてきなよ!」

「やだよ、僕は明日休みの予定なんだ! 何日連続で依頼受けてると思ってるんだよ!」

「まだ5日でしょ? もう1日くらい大丈夫だよ」

「そう言ってずるずる伸びていくんだ!」


 まだ5日、次で6日。だけどここで休んでおかなければ、7日、10日と伸びていくのが簡単に予想できる。絶対に休みを確保するんだ。


「リフルさーん! ラック、明日空いてますよ!」

「って、エルナ! なにを勝手に――」

「本当!? いいの? 助かるよ~。明日ギルド協会の集まりがあって、ギルド長のヘルプもお願い出来なかったのよね。いま調整するから、そこで待ってて!」

「えっ、あ、ちょっ……えぇー……?」


 受付のリフルさんは僕の困惑を他所に、依頼を管理している二階へと駆け上がってしまう。

 呆気に取られていると、追い打ちのようにぽんっと肩を叩かれた。様子を見ていた先輩冒険者たちだ。


「ラック君、新人なのに偉いね。ズータのおっさんの尻拭いご苦労さんー」

「あのおっさんもほんっと変わらないよな。ほら、このジュースまだ口付けてないからやるよ。俺の奢りだ」

「あ……ありがとう、ございます」


 先輩たち、レナさんとエドリックさんはそう言ってジュースを手渡し立ち去っていく。これでリフルさんが戻ってきたら断るということもできなくなった。


「ジュースよかったね、ラック」


 僕はジュースを一口飲んで、ジロリとエルナを睨んだ。


「……なんてことしてくれたんだ」

「いいじゃない。どうせ休んでもすることないでしょ?」

「いや、だからってな……」

「このギルドのエースを目指すなら、依頼いっぱい受けて強くならなきゃ」

「エースになりたいなんて一言も言ってないんだけど」

「あれ? 言ったよね? わたしの代わりにがんばるってそういうことだよ」

「…………」


 確かに言った。言ってしまった。出会った時に色々あって。エルナの代わりにがんばると。

 でもまさかエースになれと言われるなんて思わなかったんだ。


「ラック、目指すは旧王都にいる『剣王の亡霊』討伐依頼! 成功すれば文句無し、ギルドのエースだよ!」

「無茶言わないでくれ」


 旧王都に入るのだけでも相当の実力と実績が必要だというのに。旧王都の最強クラスの魔物である『剣王の亡霊』の討伐なんて、無茶もいいところだ。

 そんな話をしていると、リフルさんが二階から戻ってきた。


「ラックくーん! おまたせ、依頼の詳細伝えるからこっち来てー!」

「ほらラック。ごちゃごちゃ言ってないで、カウンター行きなさい!」

「はぁ……エルナも仕事に戻りなよ」



 おかしい。この世界は僕にとって休息のはずだ。

 女神が言っていたように、魔物は多いが魔王はいない。街は活気に溢れているし、人間の世界が広がっていた。間違いなく、これまでで一番平和な世界だ。それなのに、


「全然休めてない……」


 僕はラック――この世界での名はラクルーク・リパイアド。

 休息のはずの40回目の転生を、慌ただしく過ごしていた。



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