噂の魔女(5)

 だがそんなことで猫好きをこじらせた者たちが猫を諦められるわけはない。サイベリアンの民たちは結託して、衛兵に気取られないよう住居の中で密かに猫と暮らしていた。


 先王が退位した今ではそこまで厳しくは取り締まってはいないが、一応五十年前に出されたお触れは撤回されてない。


 そのため、念のため民たちは現在も猫はできるだけ外に出さず、住まいの中で隠すように飼育しているのだという。


「それでも気ままな猫ちゃんすべてを家の中に閉じ込めておくのは難しいようで、外で暮らしている個体もいるようです。ごくわずかですが。ルナとアルテミスも、外猫が産んだ子猫でした」


 そう言ってソマリは、サイベリアン王国の平民街の猫事情についての説明を終えた。


「詳しく教えてくれてありがとう、ソマリ。なるほど、ほとんどの猫は隠れる様に家の中で飼われていたのか……」


 スクーカムは今まで幾度となく冒険者のふりをして街をうろついているが、一度も猫と遭遇したことが無かった。


 あんなかわいさの頂点にいる存在を目にしていたら、とっくに虜になっているはずである。


「ええ。先ほど申し上げた通り、最近では規制が緩くなっているようですけれどね。しかし五十年前に急に規制が厳しくなったのはなぜなのでしょうか? それ以前から、猫ちゃんは悪魔の使いだとは伝わっているので、その時期に急にというのがどうも不可解で。スクーカム様は何かご存知ですか?」

「いや……。申し訳ないがまったく見当がつかない」


 鉄仮面の下で眉間に皺を寄せるスクーカム。そしてこう続けた。


「先王と言えば俺の祖父上である、ボンベイ・サイベリアンだが。俺が生まれた時はすでに父上が王位を継承していたから、祖父がどんな国王だったかはわからない。しかし武を愛するサイベリアンの王室の者たちは、迷信や伝承などにあまり興味がないはずだ。いくら悪魔の使いといえ、小動物をそんなに厳しく取り締まるだなんて、考えにくいのだがな……」

「そうですか……。スクーカム様でもご存知ないのですね」


 ソマリは落胆した様子で言う。


 猫好きな彼女のことだ。サイベリアンの猫たちがもっと自由に暮らせるよう、なんとかしたいと考えているに違いない。


 しかしそれはスクーカムとて同じこと。


「父上は、祖父上の時に発令されたお触れを何も考えずに撤廃していないだけだと思う。それに猫が悪魔の使いではないことは、何度もチャトランを見た俺にはもうよく分かっている。だから父上に、そんな取り締まりはもう無意味だと進言してみよう。まあ、今は山賊の件でごたごたしているから、それがすべて片付いてからになってしまうがな」


 むしろ猫は国をあげてかわいがるべきだ。すべてを投げうってでも愛でるべきだ。だって神がかり的にかわいい生き物なのだから。


(あれ。それってよく考えたら人間が猫に支配されていないか? もしや本当に悪魔の使いなのでは? ……いやもう知らん。とにかく猫はかわいい。かわいいは正義。まったく祖父上はなんてことをしてくれたのか)


 スクーカムは、祖父であるボンベイとは何年も会っていない。父には厳しく振る舞っていた祖父だが、孫はかわいいのかスクーカムには甘くいつも優しくしてくれた。


 現在、隠居したボンベイは、サイベリアン王国の端にある別荘でのんびり余生を過ごしている。


 今度会いに行って、猫の件について問いただそうとスクーカムは心に決める。


 ソマリは瞳を輝かせた。


「スクーカム様、本当ですか!?」

「ああ」

「嬉しいです! あっ! もしや今までやたらとチャトランと触れ合っていたのは、猫ちゃんが悪魔の使いかどうか見極めるためだったのですか?」

「え……。あ、うん、そうだな」


(本当はかわい過ぎてただ一緒に居たかっただけだけど)


 なんてことは、鉄仮面を装着している今は口が裂けても言えない。


「その結果猫ちゃんは悪魔の使いではない、と分かってくれたのですね! ありがとうございます!」


 スクーカムの前では珍しく、ソマリは笑顔を見せてくれた。


 タビーの時には普通に微笑みかけてくれるが、まさか今この顔を見られるとは思っていなかった。


 不意打ちの微笑を食らって、スクーカムは少し落ち着かない気分になる。


「き、君の好きなようにさせると俺は約束したからな。そのためにはまず、君が好きな猫を理解しなくてはなるまい」


 たどたどしくそう言葉を紡いだスクーカムだったが。


「…………」


 少し離れた場所に佇んでいたコラットが、何か言いたげに自分を見ていることに気づく。


 観察眼の鋭いコラットは、スクーカムの正体に気づきかけている節がある。


(もしや本当に気づいたのだろうか)


 しかし何も彼女は言葉を発さない。ひょっとしたらスクーカムの心情を察して、空気を読んでくれているとか?


(何はともあれ。この侍女が気づいて黙っていてくれているのなら、俺には好都合だが)


 そう考えた後、ソマリに言づけがあったのを思い出すスクーカム。


「そうだソマリ。君に伝えなければいけないことがあった。山賊の動きが活発なことは君も耳に入れているな?」

「はい。スクーカム様もお忙しそうですわね」

「うむ。王都に奴らが襲撃してくる可能性もある。だからこの離宮も、警備を増強することとなった。衛兵を数名常置滞在させる」


 むしろ今まで、王太子の婚約者が住まう宮に侍女がひとりのみだったのがおかしいのだ。いくらソマリ本人の望みとはいえ。


「そうですか……。承知いたしました」


 浮かない顔だが、ソマリは承諾する。


 身の危険があるかもしれないこの状況で、衛兵の警備を断るなどという馬鹿な考えはさすがに抱いていないようだ。


「ですが、皆私のことをよく思っていないのでは? 衛兵さんが離宮の担当を嫌がったりはしないのでしょうか」


 離宮に引きこもっているとはいえ、自分が王宮内でどんな噂をされているかくらいは、ソマリも知っているらしい。


 しかしスクーカムも、もちろんその対処についてはすでに考えている。


「警備の兵たちには、俺が君のことをきちんと説明しておく。根も葉もない噂を信じぬようにな。まあ、猫を悪魔の使いだと信じている者たちだが、実物を見ればそんな考えは吹き飛ぶはずだ」


 ソマリの顔に明るさが戻る。


「そうですね! こんなにかわいい猫ちゃん達が悪魔の使いであるわけはありませんもの!」

「ええ。このかわいさを知ってしまえば、ソマリ様をお猫様の使いとして崇拝するに違いありません」


 コラットが笑みを浮かべて、ソマリに同調する。


 コラットの言う通りだと心から思う。実際にスクーカムは、猫に出会わせてくれたソマリに対して、崇めるような気持ちを抱いている。


 サイベリアン王国の兵士たちは、貴族出身の者たちばかりなので猫を見たことが無いはず。だから、得体の知れない猫やソマリのことを悪魔だ魔女だなど言って敬遠しているに過ぎない。


(一度猫を見てしまえばきっと俺のように……。あ、いや。むしろ危険かもしれない。こんな神が作りしこの世でもっともかわいい生き物を見たら、皆正気を保っていられないのでは!?)


 強靭な精神力を持つスクーカムですら、始めて猫を見た瞬間は呼吸困難を起こし卒倒しそうになったのだ。


(今までの訓練の賜物か、なんとか俺は堪えることができたが……。並みの兵士が心構えもせずに猫のかわいさを目の当りにしたら、気が狂ってしまうかもしれない。これはあらかじめ、俺が猫がいかにかわいい生き物なのかを説明しておかなくてはならないのでは)


 自分の口から「かわいい」などという単語を出すのは憚られる。しかしこの際もう仕方がないだろう。


 自分のプライドより、ソマリの身の安全の方が大事だ。


 そう覚悟を決めて、スクーカムは離宮を後にした。

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