第四章

噂の魔女(1)

 真っ黒と真っ白な二匹の子猫を離宮に迎えてから、ひと月ほど経った。


 その後、真っ黒な猫は雌、真っ白な猫は雄だと判明した。黒猫にはルナ、白猫にはアルテミスとソマリが名付けると、コラットは「なんだか月の光に導かれそうなお名前ですね」と言っていた。ルナもアルテミスも月の女神の名前だからだろうか。


 すでにチャトランも子猫たちに慣れ、お互いにいい遊び相手になったり三匹固まって眠ったりしている。


 猫三匹が戯れている光景は心が洗われるほど尊い。たまに……いや頻繁にコラットが「かわいすぎて頭がおかしくなりそうです……!」などと訴えてくるほどだ。


 また、子猫たちを見つけた日に出会った、タビーと名乗った青年は数日に一度は離宮を訪れる。


 彼はマンクスの店から鶏ささみ肉を購入する際に付き添ってくれたり、猫の食事の準備や毛の手入れなどの世話を率先して手伝ってくれたりしていた。


 そしてチャトランや子猫たちが視界に入る度に、彼は「くっ……。本当にかわいいな」と、どこか苦しそうに、しかし頬を緩ませて呟くのだった。


 本日タビーは、金づちと釘を使って広間の壁にいくつもの細い板を取り付けてくれた。高いところを好む猫が、登って歩いたりくつろいだりするための板だ。


 二十二回の人生を経て、猫が上下運動を好むことをソマリはすでに知っている。ソマリが「キャットウォーク」と名付けたその板を早くも三匹の猫たちは気に入ったようで、登ったり下りたりしている。


「あなたがいてくれてよかったわ。大工仕事は私もコラットもやったことがなくて……。あなたが背が高いお陰で、高い位置にも板が取り付けられたし」


 猫たちが思い思いにキャットウォークを楽しむ光景を眺めながら、ソマリはタビーに告げる。


 するとタビーは釘と金づちを片付けながら、ぶっきらぼうにこう言った。


「そうか。猫たちの役に立てたなら何よりだ」


 無骨だけど本当に猫が好きな青年なのだなあと改めてソマリは思う。


 ひと月前、タビーに「もしよければ、これからも遊びに来てね!」と誘った後、「見ず知らずの旅人の男性を誘うとかよく考えたらまずいかも」と我に返ったが、タビーは猫にしか関心がないようなのでそんな心配は無用だった。


(この人、私と同じで猫のことしか頭に無いんだわ)


 そんなタビーに、ソマリは親近感を覚えていたのだった。


「大工仕事なら、衛兵の方々にお願いしても良かったのでは?」


 タビーのために茶菓子を持ってきてくれたコラットは、テーブルの上にそれらを置きながら言う。


 確かにコラットの言う通りだ。離宮で男手が必要な時は、スクーカムに訴えればいくらでも兵をよこしてくれるはずだ。魔女の住処で仕事をするなど御免だと衛兵も内心は思うだろうが、スクーカムの命には逆らえないだろう。


 実はソマリには、現在は衛兵の手を煩わせたくない別の理由があった。


「うーん。でもなんだか最近みんな忙しそうでね。猫のことをお願いしづらい気がしたのよ」


 ソマリは苦笑を浮かべてコラットに答える。


 近頃、王都の外れの山奥に拠点を構える山賊の動きが活発で、サイベリアンの軍は制圧を試みているそうだ。


 しかしなかなかその拠点が見つからず、作戦は難航しているらしい。その間も、山賊の被害に合う集落がいくつも出ているので、早期解決を目指してはいるらしいが。


(そのせいで、今日は非番だったのに駆り出されたとか、夜勤が増えて家に帰れないだとか、衛兵の方々が愚痴をこぼしていたわ)


 見かけた通りすがりの衛兵たちがそんな様子だったのだ。


「そういえばそんな話もありましたわね。離宮は平和そのもので、つい失念しておりました。あ、だから最近スクーカム様もこちらに来られないのでしょうね」

「あっ、そういえばそうね」


 コラットに言及されて久しぶりにスクーカムの存在を思い出すソマリ。本当にいつから彼は離宮を訪れていないのだろう。


「えーと……。あ、たぶんタビーと私たちが出会ってからは、スクーカム様はここに来ていないわね」


 記憶を手繰り寄せて、スクーカムが最後にここに来た日を思い出した。子猫二匹を迎える直前だった。――すると。


「……あ、そうだった」


 なぜかタビーが「しまった」というような面持ちで、意味不明なことを呟いたのだった。


「『そうだった』って?」

「いや、なんでもない」


 気になって追及するが、スクーカムは淡々とそう答えた。「たいしたことじゃなさそうだ」と、ソマリは気にしないことにする。


(きっとスクーカム様も、山賊の対応に忙しいのでしょうね)


 まあ別に、多忙なら自分のことは放っておいてもらって結構である。別に意地を張ってそう思い込んでいるわけではない。心の底からソマリはそう考えていた。


 彼とは猫のために婚約したのだ。彼が離宮に来ようが来まいがどっちでもいい。三匹の猫にソマリは十分満たされているのだから。

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