サイベリアン王国での生活開始(5)

 などと戦々恐々としながらも、ソマリと手分けして種を植え終えると、離宮内の広間に案内された。


「お茶を入れるわね」


 コラットにそう告げて隣接している炊事場へと入って行こうとするソマリ。慌てて自分が入れますと主張したコラットだったが。


「いいから、コラットはテーブルについていてちょうだい。種まきを手伝ってくれたお礼よ」


 にこやかに、しかし強い口調で言われたため、コラットは従うしかない。


(すごくいい人そうだけれど。猫を操る魔女なのよね……)


 サイベリアンの貴族女性たちに、日々きつく当たられていたコラットは戸惑ってしまう。


(立場が上の女性に、こんな風に親し気に微笑まれるのは没落してから初めてかもしれないわ……)


 ソマリはお茶と共に彼女の故郷であるフレーメン王国の焼き菓子も「とてもおいしいのよ」とコラットに勧めてくれた。


 お茶もお菓子も、魔女の秘薬でも入っていないかなと少々不安を覚えたが、主が勧めてきたものを口にしないわけにはいかない。


 恐る恐る口にすると、両方とも頬が緩んでしまうほど美味だった。


 テーブルを挟んで向かい合ったソマリは、コラットを歓迎してくれているようで機嫌良さそうに微笑んでいる。


(全然怖くないしとても優しい……。やっぱり魔女ではないのかしら。でもこのお方は猫を飼育していて……。あら、そういえばここに猫はいないのかな?)


 コラットがそう考えていたら、何か扉をガリガリとこするような音と共に「なお~ん」という、高く甲高い鳴き声のような音が聞こえてきた。


「あら。隣の部屋でお昼寝していると思っていたんだけど、私たちが立てた物音のせいで起きちゃったみたいね。こっちに来たいのかしら」


 音のした方を向いてソマリが言う。


「起きちゃった……? ソ、ソマリ様。まさか猫でございますか!?」

「ええ」


 恐れおののきながらコラットが尋ねるも、ソマリはあっさりと頷く。そしてとんでもないことを提案してきた。


「ああ、そうだわ。コラットは今日からここで暮らすのだし。私の猫ちゃん……チャトランと挨拶してくれないかしら?」

「チャトラン? なんだか懐かしい感じがするお名前ですね。……って、挨拶ですか!?」


 悪魔の使いと挨拶だなんて、取って食われたりはしないのだろうか。青ざめるコラットだったが、その間も壁を削るようなガリガリという不穏な音が響いてくる。


『猫。それは悪魔の使い。その恐ろしい姿で見る者を惑わし、すべての者を服従させるという禍々しい能力を持つ』


 コラットが以前に読んだ文献には、猫についてそう記述されていた。


(こ、怖い。私一体どうなってしまうの!?)


 命の危機を覚えるコラットだったが、ソマリは微笑んだまま広間へ続く扉を開けた。すると、開いた隙間からするりと部屋に侵入してきたのは。


「にゃーん」

「っ……!?」


 一目その姿を見た瞬間、コラットは言葉を失ってしまう。


(――え? これが猫? これが悪魔の使い? なんなのこの生き物は!?)


 丸い顔に生えた三角の耳。ふわふわの被毛に包まれたしなやかさを感じられる体。そしてつぶらな瞳に小さな鼻、甘くとろけるような鳴き声。


(かっ、かんわいいいいいいいい! こんなかわいい生き物がこの世に存在するのっ? 悪魔というよりは神じゃないの!? 神が『ちょっと本気になってこの世でもっともかわいい生き物を作り出してみよう』って、苦心して作り上げた生物ではなくて!? この生き物の完璧な造形に比べたら、人間なんか神が息抜きに作った粗悪品では!?)


「コラット、どうしたの?」

「……はっ!」


 人生観に影響を与えられるほどの猫のかわいさに釘付けになっていたコラットだったが、ソマリに声をかけられて我に返る。


「も、申し訳ありませんソマリ様。実は猫を生まれて初めて拝見したのですが、あまりにもかわいくて。……びっくりしてしまいました」


 正直にそう答えると、ソマリは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「分かる!? そうそう! 猫ってとんでもなくかわいいのよー! 侍女であるあなたが理解してくれて喜ばしいわっ!」


 はしゃぐようにソマリは言う。


 猫は悪魔の使いと認識され、ほとんどの貴族は目にしたこともない。猫の圧倒的なかわいさに共感してくれる者は、きっとソマリの周りにいなかったのだろう。


 それはコラットの言葉が嬉しいはずである。


「ええ……。驚きのかわいさです。ソマリ様はこの子と一緒に暮らしているのですね。ああ、なんて羨ましい……!」


 ソマリと会話している間に、チャトランはのそのそと歩いてふたりの足元にやってきていた。


 のんびりとした歩き方もかわいいし、鼻をヒクヒクさせてコラットの匂いを嗅ぐ仕草も愛らしい。


(なんかもうすべてがかわいいんだけど……。逆にかわいくないところがあるのかしら?)

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