第二章

サイベリアン王国での生活開始(1)

 なんでこのような事態になったのだろう。ソマリには意味が分からなかった。


 スクーカムを目にしたのは、アンドリューから婚約破棄が突き付けられた舞踏会で見かけたのが初めてだった。それまで確か、一度も会ったことは無かったし、ましてや会話をかわしたこともないはずだ。


 なんでそんな人が自分に結婚を申し込んできたのだろうか?


 しかも、はっきりと「嫌です」答えたのにもかかわらず食い下がってきた。


 その上、悪魔の使いである猫をかわいがりたいと、常識的に考えてとんでもないことを告げたのに、彼は引かなかった。


 本当にわけがわからない。しかもスクーカムと言えば、それまでの二十一回の人生でソマリの死因である戦を起こした、サイベリアン王国の王太子である。


 何か裏があるのでは?とソマリが思わなかったわけではない。しかしこれまでの関係性が希薄過ぎて、どこをどう考えてもスクーカムの思惑に心当たりが無かった。


 ついにソマリは、猫のことを告げても怯まずに求婚してきたスクーカムを見て、思い直したのだった。

 ひょっとしたらこれは千載一遇のチャンスなのではないか、と。


 自由になるお金の少ない修道女生活では、猫のご飯代を確保するのも大変だった。病気になった猫に満足な治療を施せなかったことも多々あった。


 しかし、ソマリの猫溺愛生活をスクーカムが支援してくれるなら、これまでの人生以上に猫に快適な生活を送らせてあげられるのでは?


 それに、これまでの人生ではフレーメン王国内の修道院にいたところを、サイベリアンとの戦に巻き込まれて死ぬ運命だったが、修道女にならずサイベリアン王国に身を置けばひょっとしたら死は回避できるのでは?


 どうあがいても避けられなかった二十歳で死ぬ運命が、そうやすやすと変えられるわけはないかもしれない。


 しかし少し冷静になって考えれば、この結婚は利点しかなかった。


 結局なぜスクーカムが自分と結婚したいのかは分からない。彼が自分に一目ぼれした……と思えるような熱烈な雰囲気も感じなかったし。


 だが、猫さえ幸せにできればソマリには他のことなどどうでもいい。


 それに両親がソマリとスクーカムの結婚を狂喜してくれている。婚約破棄による絶望からの、まさかの一発逆転だったのだ。


 しかもサイベリアン王国は、シャルトリュー家の領地があるフレーメン王国よりも大きな国家。


 そんな国の王太子に侯爵令嬢のソマリが求婚されたのだ。両親も鼻が高いだろう。


 そういうわけで、スクーカムからの婚約をソマリは受けることにしたのだった。


 すると数日後、早速部下を引き連れたスクーカムが、正式な婚約をとシャルトリュー家にやってきた。


 身分が違えど、花嫁の生家を訪れ婚約を交わすことは、アビシニアン地方の風習なのである。


 通常、婚約の場には双方の両親も顔を揃えるが、スクーカムの両親は多忙を理由に訪れなかった。


 第一王子の婚約に両親が訪れないとは……?と、ソマリは少し気になったが、まあその方が面倒ごとは少ないだろうから、好都合だ。


 ソマリはさっさとスクーカムと婚約してサイベリアン王国に身を置き、早く猫三昧の生活をしたいのだから。


 シャルトリュー家の応接間で、ソマリの両親立ち合いの元、ソマリとスクーカムは婚約誓約書に署名をした。


 すると「これから夫婦になるのだから、ふたりで話したいことがあるでしょう?」と、両親は退室してしまった。

 そういえば、スクーカムとふたりきりになるのは初めてだ。


「スクーカム様。なぜ私に求婚をしてきたのです? あの日の舞踏会ですれ違ったくらいで、それまでにお会いしたことは無かったと思うのですが……」


 ソマリは今現在少しだけ気になっていたことを切り出した。


 本当にほんの少しだけ。ソマリの頭の九割九分は、猫のことで占められているのだから。


「そうだな。俺はあの舞踏会の日に君を初めて見かけた。そして君に一目ぼれした」


 婚約の場だというのに、鉄仮面を外さないスクーカムは淡々と答える。


 確かサイベリアン王国の王子は、自国内の親しい者のみがいる空間でしかこの仮面を外さないと聞き及んでいる。


 シャルトリュー家はスクーカムにとっては他国であるフレーメン王国に位置していたし、婚約したと言えど自分たちはまだ親しいとは言えない。だから彼が鉄仮面を被ったままでも不自然ではない。


 鉄仮面を終始身に着けているのは王子の間だけであり、王に即位すれば被ることはなくなる。


 歴代のサイベリアン王たちは、揃いも揃って絶世の美形だとの噂だから、きっとスクーカムも美男なのだろう。


 それでも顔すらもまだ見ていない男性と、まさか婚約することになるとは。


 しかし結局、猫を愛でることに人生のすべてを捧げるつもりであるソマリは、夫の顔が美しかろうが醜かろうが、些細なことに過ぎないのだった。

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