第14話 狙われて、怒りを買う


 ちゅんちゅんと小鳥の囀りを耳にしながら洗濯物を干し終えたミズキは一息をついた。今日もまた紅緑こうろく夜哉よるやと共に出て行っている。


 彼の面倒そうな表情に大変なのだろうことは感じられたけれど、ミズキには何もできないので、大人しく屋敷で待つしかない。天気の良い空を暫く眺めて台所の方へと戻り、食器の片付けをして土間を掃く。



「どなたかおられますか?」



 そうして家事をこなしていたら誰かが訪ねてきた。誰だろうかとミズキは手を止めて「はい」と返事を返す。


 玄関には鬼人が一人、立っていた。男だろうか、薄い着物をきて腰を曲げながら歪な顔を笑ませてへこへこと頭を下げていた。



「えっと、紅緑様なら今は……」

「あなた様が奥様ですか。なんと可愛らしい」



 流石は紅緑様の奥様だと鬼人は褒める。それはそれはごまを擦るように褒めてくるので、ミズキははぁと返事をするしかない。その勢いというのが凄いのだ。言葉を挟むことを許さないように捲し立ててくるように話してくる。


 どうしたものかと困っていれば、呼吸をするように一度黙ったので今だとミズキは「用件は何でしょうか」と問う。すると、鬼人は「あぁ」とざんばら髪を撫でて申し訳ないと謝る。



「申し訳ない。紅緑様はお留守ですかな?」

「はい。帰ってくるのは多分、夕刻かと……」

「おやおや、そうですかそうですか。いやぁ困ったなぁ……」



 少し早口で言うと鬼人は困ったなぁと頭を掻く。きょろきょろと見渡しながら、あぁどうしたものかと言葉を溢していた。


 何かあったのだろうかとと聞けば、実はですねと神妙な面持ちで鬼人は言う。



「貢物がありまして……。この前の魍魎退治のお礼なのです」


「はぁ……」


「食料とおっしゃっていたのですが、これでいいのか分からず……。そうだ、奥様でいいですので確認してはくれませぬか?」



 毎度貢物を貰っているのは見ているでしょう。われらの集落では初めてなもので不安なのですよと鬼人は頼んでくる。何か間違ったものを渡して怒られやしないか、それが心配なのだと。


 お礼としてもらっていた食料は毎回確認していたので、ミズキはある程度は把握していた。それぐらいならばできなくはないかとミズキは「わかりました」と頷く。鬼人は有難う御座いますと頭を下げて、「こちらに運んでありますので」と外を指した。


 土間から外に出て玄関へと回ると荷車があった。布で覆われながら何かが積まれているその側に鬼人が二人いる。三人でよくこの細い竹林の道を登れたなと驚きながら近寄った。


 これでしてと鬼人が布を捲る。そこには米俵に野菜が入っているだろう木箱などが積まれていた。お礼として貰っていたものとあまり変わりがない。おかしなものもなく、これなら大丈夫だろうとミズキでもわかる。



「これで大丈夫ですよ……」



 そう言って振り返った瞬間、ふわりとした感覚と共にミズキは意識を手放した。



「あぁ、急がねば」



 倒れるミズキを眺めながら鬼人の姿が変わっていく。老顔に白い髭を蓄えた黒い衣を身に纏う鬼のような、天狗のような男は急がねば急がねばと呟く。


 ミズキを抱えると荷車に乱雑に乗せた。それを見た鬼人の二人はひぃと震えながら小さく悲鳴を上げる。



「ろ、老師様、本当に攫うのですか?」

「そ、そんなことをすれば……紅緑様に殺されて……」

「黙れ! もう後には戻れんのだ!」



 怯える鬼人二人に喝を入れ、老師が呪文を唱えるとほんの僅かに荷車が光る。


 これで見つかることはない、あとは運んで処理するだけだ。老師は「さっさと行くぞ」と荷車を押す。軽々と持ち上げるように押されるその馬鹿力に鬼人たちは驚きながら後を追いかけた。

 


           ***



「これはこれは困ったねぇ」



 紅緑は思ってもいないふうに呟くけれど、その顔は笑っていなかった。


 集落を繋ぐ道が大岩で塞がれているのだ。来た時にはなかったのだがいつの間にやったのだろか、こんなことをしても時間稼ぎにしかならないだろうにと紅緑は思う。


 此処を塞いだとしても少し戻れば迂回する道があるのを知っている。此処らを調べて見つけたから間違いはない。



「これは彼らも慌てているということかな?」

「だからといってこれはないだろうに」



 紅緑は左腕を液体のような無数の触手に変える。それらは岩に巻きつくと軽々と持ち上げてしまった。ひょいっとその辺に大岩を放り投げてしゅるしゅると腕を元に戻す。



「馬鹿にしているのかねぇ」

「お前が馬鹿力なだけだと思うよ」



 流石に僕は斬り捨てることはできても、持ち上げることはできないと夜哉は苦笑する。



「僕らを帰したくないんだろうな」

「だろうさ。一通り魑魅魍魎を片付けてしまったからねぇ」



 魑魅魍魎の退治は数が多いのと住処が点在していたこともあり、日を跨ぐほどに時間がかかってしまったがそれも今しがた終わったところだった。あとは残っているのは老師という存在がなんなのかだった。



「老師、あれお前の……」

「もう随分と昔でしょう。忘れていたさ」

「先に老師を調べるべきだったな」

「だから、こうして急いで戻っている」



 飛ぶように駆け抜けていく二人はあることを確認するべく戻っていた。表情の無い紅緑の眼は鋭く、確信めいたものを秘めている。



「僕が残ってもよかったが……」

「無駄だよ。あれは面倒な術を得意とするから」

「残っていても分からないと」

「えぇ。どんなに集落にいたとしてもね」

「目眩しの術か……。天狗か何かか」


「あれは確か人間だった術者が鬼に落ちたとかだったかねぇ。まぁ、そんなことはどうでもいい。確認したらお前の術で一気に集落へと戻る」



 紅緑が「今もそれが使えればいいというのに」と愚痴れば、「あれは片道だけなんだ」と返される。そんな返事も彼はどうでもよさそうで、けれど瞳はだんだんと怒りで揺れ始める。


 今はまだいい、今は。夜哉はこの後のことを考える。彼の言っていることが正しいのであった場合、紅緑はきっと“激怒“する。彼が怒った姿など数える程度ではあるが見たことがある夜哉は自分だけで止めることができる自信がなかった。


 ぐんぐんと速度を上げ、疾風のように止まることもなく走りきる。それは一瞬のことのようでもう目の先には竹林が見えていた。


 竹林を通り、屋敷へとその勢いのまま入る。しんと静まる室内に自身の勘は正しかったのだと紅緑は舌打ちをした。



「ミズキ」



 呼べど探せど彼女の姿はない、竹林の方を見遣るもいる気配すらない。洗濯物だけがただ風に靡いているだけだ。


 全てを確認して、紅緑は深く深く息を吐いた。じわりじわりと迫り上がってくる黒い黒い感情を出すように。


 全身を悪寒が走る、ここだけが冷えきったように寒い。夜哉は竹林に目を向けている紅緑に恐る恐る声をかけた。



「っ!」



 ゆっくりと振り返ったその表情に声も出なかった。真っ赤な瞳がただ、そうただ血に飢えた獣のようにぎらりと輝いていた。


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