15話 懸念(ブラン視点)


 ブラン=フォルトゥナ・ヨダ=グレイシウスは己が凡なるものだという自覚があった。


 武の芸はネグロに敵うはずもない。

 学問は…‥法学をはじめとして劣っているわけではない自負もあるが、学を力として活用するという点において自らの兄、ヴァイスの足元にも及ばない。


 だからこそ、今回兄が自分に任せてくれるといったこの機会をふいにするつもりはなかった。



「だからお前の意見も聴かせろ。ネグロ。皇国騎士団の一員なんだから、お前だって皇宮の警護人員がいつごろなら余裕があるかくらい分かるだろ。」


 そのためなら気にくわない相手にだって意見を聞くべきだ。

 たとえ向こうがこちらの敵愾心に対してなんとも思う様子をみせず、「私めで宜しければ、ブラン殿下の御心のままに」とうやうやしい礼をしてきたことにカチンときたとして。


 顔に出さずに本題に入るのが「おとなの対応」だ。



「ですが、ウォーロックやステラでなく、私めの意見でよろしいので?」


 たしかめるように挙げられたのは自分とビアン直属の遊撃隊員たちだ。


「いいんだ。ステラはまじめに答えてくれるだろうが、腹芸が得意じゃない。まだ企画段階でビアンの耳にはいったら面倒だからな。ウォーロックには軽く確認してるが、お前のほうがより仔細にしってるだろう。」

「は。出過ぎたことを申しました。無礼をお許しください」



 心から言っているんだから本当に気に入らない男だ。

 血縁上は従兄弟の、自分より歳上の優秀な彼にかしずかれることは、ブランの腹の奥をちくちくとさせる。



「別にいい。教会とは打ち合わせ中だけれど、七歳になる前の子ども相手が主軸ってことで、女神ノラシエスと魔王イゼルマの伝説を芝居で見せるのはどうかって話になってるんだ。

 だから舞台の設営が可能で……終わったら立食会も予定したいから、厨房からそこまで離れてない場所を押さえるつもりだ。」


「そうなりますと舞踏会場を抑えるのはいかがでしょうか。少々広すぎるかもしれないので、衛士の数は必要ですが……」


「それでもいいけど、舞踏会場は半年以上先までつかえないんだ。それにお前がいう通り広すぎる。

 聖堂を解放する方向で進めているから、それに伴う通路の管理を皇国騎士団には任せたい」


「かしこまりました。それでしたら来月以降でしたら予定も調整可能かと。」


 それでいい、と頷く。

 ……本当はちっとも良くなかった。兄上は焦るなと言ってたけれど、あの人の言葉が正しければ時間なんてなくて……。



「……。」

「ブラン殿下?」



「なんで兄さまはさ、お前に『なんとしてもビアンに嫌われてこい』とか『昔の口約束なんてさっさと破棄してこい』って言わなかったんだろ」


 言わずもがな、先日の話し合いでのことだ。



 ビアンがもし将来的に、僕と母さまとネグロの間で揺れるとしてだ。

 ネグロへの恋心なんて、吹っ飛ぶくらい散々な嫌われ方をさせればいい。



「お前だってそれが兄さまの命令だったら、罵詈雑言ばりぞうごんをビアンに投げかけるくらい朝飯前だろ?」


「そのようなことをヴァイスさまが私に命ずるとは天地がひっくり返ろうとないと思いますが……。ええ。

 それが最善だと、やむにやまれぬことだと判断されたあの方の命令だというのなら。幼き姫君の疵となることのなにをためらう必要があるでしょう」


「……僕はお前のそういうところが嫌いだ。」



 僕ら皇帝一家を敬ってはいるものの、それは兄さまが僕らを愛してくれているからだ。

 悪として振る舞うあの人を解釈違いだと言いながらも、きっとそうなればためらわずにその横で暴虐の剣を振るうのだろう。



「ええ。それで構いません。……話を戻しますが、私にはあの方の心が分かるなどと烏滸おこがましいことは申せません。ですがきっと、それはあの方の配慮なのでしょう」


「ビアンへの?」

「ええ。ビアンさまへの。……そして、私めへの。」



 その言葉に一気にわからなくなった。


 ビアンへの配慮ならわかる。

 まだ五歳のあの子は見てわかるくらいにはヴァイス兄さまと、そして彼の部下であるネグロに懐いていたから。


 特にネグロに対してなんて、皇国で月に一度主催する御前試合であいつが出るたびに見たがって。その度にきゃっきゃとはしゃいでいるんだから。


 五歳なんて年若くてもあんな風に恋や憧れではしゃげるものなのかとあきれかえったくらいだ。



 だが、この男はいま本人も口にしたとおりだ。

 妹への情がないとは言わない。それでも兄の命令ならそれを切り捨てられる男だ。



「何がお前の配慮になるっていうんだ。……、……まさか、兄さまの義理の弟に合法的になれるからとかそういう意味じゃないよな!?」



 そうだったらひっぱたいてやる。


 こんな無表情無愛想男をそんな理由で義弟と呼ぶ日がくるなんて御免だ。



 思いきり睨みつけてやれば、かえってくるのはネグロにはめずらしすぎる笑みだ。

 自嘲すらはらんでいるその顔で、ゆっくりと首を左右にふった。



「そうではありません。……あの方は、今でも、私を正式な形でこの皇宮に招くことができなかったことを悔いている。」

「は。」


「だから、選択肢を自らつぶすことをしたくないのでしょう。あの方の妹御と婚姻が成立すれば、形は違えど皇族の末席に座ることができるのではと。慈悲深いあの方は考えていることでしょう。」




「私は魔月の民だ。そのようなことが万一にもあるわけがないのに。」




 魔月の民とは、魔力を持って生まれた人間に対する呼び名……蔑称べっしょうだ。


 女神ノラシエスと七日七晩の争いの末に倒されたとされる魔王イゼルマ。

 その魔王から力を与えられ、女神に刃向かった末裔。



 ……所詮は神話、寓話の話だとは法学をたしなむ自分ですらわかっている。

 魔王というのはかつて遠方よりこの国に攻めこんでいた魔の国の民であることも、およそ歴史書では推測がされていた。



 それでも偏見というのは厄介なもので、この国では今でも魔力をもつ人間に対する偏見がつよい。

 魔王から力を受けた、月の加護を持つものだという流布が名前をそうつけた。



「……時代は刻一刻と移りかわっています。あるいは、兄さまの御代となられる頃にはその偏見も薄れているのではありませんか?」

「そうかもしれません。だとしても私は今の生き方、今の選択以上のさいわいはないと思っております。」


「あの方の剣となり盾となり生きて、その信念の道具となり果てる。それ以上の道はありません。」



 ……月は狂気の象徴だと言った誰かがいた。

 その意味では本当にこの男は魔月の民と呼ぶに、ふさわしいのかもしれない。


 冷える背筋に気づかれないように、唾を飲みこんで吐きすてる。



「……兄さまが。……そんな形だけのことのために自分の妹と、妹のことを好きでもなんでもない男に差し出すわけがないだろ。」


「……ええ、そうですね。私めの愚考であやうくあの方を愚劣するところでした。慧眼による御言葉、感謝申しあげます。」


「別に。それより用事はもう終わりだから、さっさと業務に戻れよ。」

「は。それでは失礼いたします。」



 先ほどの会話がなんてことなかったことのように歩み去る男のうしろ姿をぼんやりとながめる。




「……信じていいんですよね。兄さま……」


 今脳裏によぎっている想像を、ネグロになんて言えるはずがなかった。


 だって、自分が考えていることをヴァイス兄さまが考えていないはずなんだ。



 妹に友だちを作ろうとか、教会の裏を探ろうとか、そんな遠回りな根回しなんてしなくても。



 兄さまが生きていれば、未来は何ひとつ心配するはずがないのに。

 あの人が生きてさえいれば、どんな苦難があっても一つに国はまとまるんだから。

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