隣に座っただけなのに

丸子稔

第1話 俺はやってない!

 連日残業が続き疲れ切っていた俺は、帰りの電車の中でふらふらと歩き回りながら空いてる席を探していた。

 それがみっともいい行為でないことは自分でも分かっていたが、それより席に座りたいという欲求の方が勝り、なおも探していると、若い女性が座っている席の隣が空いているのが目に入った。


(やっと見つけた。他の奴に取られる前に、早く座らないと)


 俺は重い足を引きずりながら、なんとかそこまでたどり着いたが、女性が座席にかばんを置いていたため、座るスペースがなかった。

 いつもなら、あきらめて他の席を探すのだが、心身ともにくたくたになっていた俺にはもうそんな元気はなく、「すみません、そのかばんどけてもらえませんか?」と、頼んでみた。

 すると──。





「はあ? なんでそんなことしなくちゃいけないのよ。探せば他にも空いてる席はあるから、そっちに行ってよ」


「悪いけど、疲れててもう歩きたくないんだよ。だから、隣に座らせてもらえないかな」


「嫌よ。あんたみたいなおじさんに隣に座られると、においが気になって仕方ないじゃない」


「会社を出る前に香水を振ってきたから、臭いはしないと思うんだけど」


「ちょっと香水を振ったくらいで、強烈な加齢臭が消えるわけないでしょ! いいから、あっちに行ってよ!」


 女性のあまりに身勝手な言い分に、俺もさすがに我慢できなくなり「うるさい! いいから早く座らせろ!」と言ってやった。


 それを聞いて、女性は周りの目が気になったのか、渋々といった顔でかばんを自分のひざの上に移動させた。


「最初からそうすればいいんだよ」


 俺はそこへドカッと座り、しばらく携帯をチェックしていたが、突然強烈な睡魔に襲われ、そのまま崩れるように眠りにおちた。


 その後、周りの喧騒で目を覚ますと、なぜか周囲に人だかりができていた。

 状況が把握できず戸惑っていると、突然隣に座っている女性が「この人、さっき私のこと触りました!」と、大声で周りの者に訴えた。


(はあ? 何言ってんだ、この女。変な女だとは思っていたが、まさかこれほどとはな)


 そんなことを思っていると、周りから「誰か、警察に連絡しろよ」という声が聞こえてきた。

 それを聞いて、まだ夢うつつだった俺はすぐさま現実へと引き戻された。


「私はそんなことはしてません! この人が嘘をついてるんです!」


 このままでは痴漢扱いされると思い、やっていないことを必死にアピールしていると、女性が「私は嘘はついてません! この人が眠ったふりをして、私の胸を触ったんです!」と、さらに畳み掛けてきた。


「違います! 私は本当に眠ってたんです!」


「あんた、そんな嘘つかないでよ! この、痴漢!」


「嘘をついてるのは、お前の方だろ!」


 俺と女性が激しく言い合っている中、もうすぐ駅に着くことを知らせる車内アナウンスが流れ、それとともに数人の男性が俺の身体を拘束し始めた。


「あなたたち、何をするんですか?」


「決まってるだろ。あんたを次の駅で降ろして、警察に引き渡すんだよ」


「だから、私は何もしてないと言ってるじゃないですか!」


「それ、痴漢をやった奴の常套句だよな?」

「どうせ、これまでも何回かやってるんだろ?」

「あんたみたいな奴は、警察にたっぷりお灸を据えられればいいんだよ」


 彼らは皆、俺のことをさげすむような目で見ていた。

 やがて駅に着くと、俺は男性たちに抱えられ、無理やり電車から引きずり降ろされた。

 ホームには『鉄道警察隊』と書かれた腕章をしている男性が二人いて、野次馬たちが何事かと騒いでいる中、俺は彼らに両腕を極められた状態で駅舎の一室まで連れて行かれた。


「今から警察署に行って詳しい事情を訊くことになるが、現時点で何か言いたいことはあるか?」


「私は何もやってないんですよ! お願いだから信じてください!」


「痴漢をやった奴は十中八九そう言うんだよ。まあ事情聴取をしているうちに、ほとんどの者が認めるんだけどな」


「私は絶対に認めません! だって本当に何もやってないんですから!」


「ほう。お前、やけに強気じゃないか。まあ、その元気が最後まで持てばいいけどな」


 警官ははなから俺のことを痴漢だと決めつけ、俺の話をまともに聞こうとしなかった。


 やがて警官二人に両腕を極められながら部屋を出ると、俺は刑事らしき男性二人にパトカーに乗せられ、そのまま警察署まで連行された。  


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