2024.5.4 許容についての備忘録

 瞑想をする。上手くいかない。


 ただじっとして、湧いてくる思考などを冷静に観察のみするというのが、いわゆるマインドフルネスとしての瞑想のざーっくりした基本だと思っています。


 む、難しい!やってみると色々なことに気付く。


 まず、思考が湧くのが止められない。これに関しては一応、『止まらんなら止まらんでいいよ。だってそれを冷静に観察すればいいのだから、無になる必要なし』という考え方があり、止まらなくてもいいんですが、いや結構フラストレーション!鎮まれい、鎮まり給え、鎮まれよ。


 そして、その思考というやつに、入り込んでしまう!そう、ぼくが思考をやりすごすためには、湧き出てしまうことへの苛立ちと、思索にハマってしまうこと、このふたつのハードルを越えなくてはならない。


 簡単なメソッドのように見えて難しい。毎度毎度タイマーを15分セットして、ちゃんとやれたのはたぶん人生で数分しか無い。


 ただ、もう数年ほど前に遡るかと思いますが、ハッキリと「できた」ときが。


 ほんの数秒、ほんとうにほんの数秒だけですが、思考が無になった瞬間があった。


 アッ、いまなにも考えていない!


 それが「知覚」となって、無の時間は終わってしまいました。なぜ知覚するその瞬間までは知覚していなかったのに、数秒と分かるのか。これは、体感即ち無根拠な直感です。


 ああ無我の境地とかフローとかってこんなのなんかな。その数秒、いや知覚だけで言えば一瞬の体験が、今や半風化し残滓となりてぼくの瞑想の核となっている……気がする。


 しかし、そういう目標への執着心は、心の動きなので、感情の起伏を生み、それが苛立ちを呼ぶ、と推測してみる。


 そこで、これは半分はそこから導き出した(自分なりの)ロジックであり、半分は閃きなんだが、あることをしてみることにした。


 それは、許すこと。


 瞑想中に、なんらかの考えが浮かぶ。許す。


 これはおそらく、マインドフルネスにおいて助言される「受け流す」とか「放って置く」とか「観察する」ということばの、ラベリングの貼り替えに過ぎないのだとは思う。しかし、これがけっこ〜効いている。やはり、無意識的に苛立ちや着目をしてしまうなら、行動に対し意識的に感情を伴わせなくてはならないのではないか。


 これは今のところ試行、確認、検証、そういった段階でしかないが、なかなか効果的な気がしている。


 まずは、キラッと☆やってみる!

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