第20話 呵呵大笑2

 その後、どうやって家に帰ったか覚えていない。暗い家の中で土足のまま呆けている。




「くそ」




 これは夢か。夢なのか。あの店の中の光景が頭から離れない。楽しそうに談笑するバイトの人間たち。俺を見下し笑いものにする中谷、そしてその中谷と抱き合い笑っている有紗。




「くそ! くそッ!」



 手に持っていたスマホには今までこそこそ撮影していた有紗の写真があり、いつもオカズに使っていたものだ。俺の天使。いや天使だと思っていたビッチ。俺の純情を弄んでいた悪魔。見た目が清楚であろうが何も変わらない。その辺の化粧ばかり厚く塗り、男を誘う糞どもと一緒だ。



「糞女がぁぁあああ!」



 パキッと音がなりスマホ割れた。その音で我に返り慌てて自分の手を見る。まるでペンチか何かで破壊されたかのように、粉砕され色々なパーツが飛び散ったスマホだったものが自分の手にある。



「は、な、なんだよ。これ」




 慌てて手に残っていた残骸を放り投げる。そこでようやく気付いた。俺はどうやって家に帰ってきたんだ?



 財布も着替えも家の鍵だって、全部バイト先のロッカーの中だ。俺はどうやって家に入った。すぐ慌てて部屋の電気をつける。もしかしたら家の鍵を閉め忘れていたのかもしれない。でも何か変だ。そう考え部屋の電気を付け――目の前の光景に俺は言葉を失った。




 電気をつけた部屋から照らされる狭い廊下の向こう。玄関だった場所は破壊され、唯でさえ汚い玄関に壊れたドアがまるでハンマーに破壊されたかのように折れ曲がり無残な姿を晒している。




「なんだよこれ」




 しばらくして気づいた。騒音を聞いたからだろう。隣の住民が壊れた玄関からそっとこちらを覗いていた。



「おい。大丈夫か? すげぇ音がした……くく。いやびっくりしちゃ、って。くく、ははッ! あっはっはっはっは! ひぃっひっひっひっひ」



 爆笑し始めた。まるで唐突に何かツボにハマったかのように、腹を抱え笑っている。



「くひっあは! ははははは!! だ、だめだ腹痛い! た、助けて」



 膝から崩れ腹を抱え笑っている。俺を見て笑っている。何がおかしいのか分からない。ただそれを見て俺は不思議と怒りがこみあげてこなかった。




 なぜ笑っているのか。不思議に思うべき場面なのだろうが、そうじゃない。なぜか。この身体を纏う不思議な力。太り重かった身体が羽のように軽い。壁に手を添え、指に力を籠める。するとまるでクッキーを割るかのように壁が簡単に砕ける。


 

 そうだ。笑えばいい。俺を今まで笑っていた奴は好きに笑えばいいんだ。いくらでも笑わせてやるよ。





 ……そう、死ぬまで。


 




 俺は自分の家から離れた。なぜ自分にこんな力が目覚めたのかわからない。でも確信できることがある。俺は選ばれたのだと。そうだ。今までただ苦しいだけの人生は今日この日のためにあったのだ。

 人に笑われるだけの人生。何もかも思い通りにならない人生。大嫌いだった自分の人生に奇跡が起きた。




 力が溢れる。そしてこの力を使えば、何故か事が出来ると直感で理解した。そうだ、超能力のような力! これがあれば何でもできる! まるで漫画やアニメのキャラのような存在になったんだ。



「どうする? 何をやる? いや待て、なんだ妙に疲れるな」


 外を歩いていると不思議と息が切れ始める。身体を纏っていた力が消え、いつもの俺に戻ったのを感じた。

 なるほど、時間制限か。よくある設定だ。ならこれをどうやったら増やせるかを考えるべきだ。とはいえこういうのは大体決まっている。筋トレとかと一緒だ。使ってれば時間も伸びるだろ。




 夜の繁華街を歩く。いつもなら道の端を俯きながら歩くのに、今の俺は違う。あの力があれば俺は無敵だ。警察だって俺を捕まえられるわけがない。

 自然と顔を上げ、胸を張り、肩を大きく動かして歩く。目の前からガラの悪い連中が横に並んで歩いてきた。いつもなら道をあけてしまうが、今日はわざと自分から当たりに行った。



「ってぇな。前見ろデブ」

「うるせよ。てめぇらこそ狭い道を横に並んでんな。邪魔だガキ共」

「あ゙?」

 


 すれ違いざまにそんなやり取りをして連中は足を止めた。そうだ、このくらいの連中は舐められたら終わりだと思っている。俺みたいな一見普通の男がこんな態度を取れば怒るだろう。



「舐めてんのかてめぇ。おう、ぶつかったのお前からだよなぁ」



 そういってこちらに近づき、俺の肩を押してくる。今じゃない。あの力をわざと使わず俺は仰け反った。




「事実を言っただけだろ。ゲームみたいに縦に並んであるけよ。社会のゴミ共」

「おい。マジでいい加減にしろよ。なんだぁその態度は」

「健太。もういいよ」


 帽子を被った男がそういって顎を合図する。それに合わせてもう1人の男が俺の肩に腕を回してきた。



「ほら歩けよデブ。いい年こいたおっさんの癖に、なんでわかんないかなぁ。世の中には喧嘩を売っていい相手と駄目な相手がいるんだぜ。ほら今更ビビんなよ」

「最初に吠えたのはてめぇだぞ。おら行くぞ」



 きっと傍から見れば俺は若い粋がった連中に連れ去られる惨めな男なのだろう。だがそれでも計画通りだ。誰がこんな監視カメラだらけの場所で暴れるか。ようやく見つけたサンドバッグなんだ。ゆっくり練習したい。



 人気のないビルの谷間。そのまま歩き、いくつか角を曲がると行ったこともないような汚らわしい店が並んだ通りが見えた。そこからさらに進み、どこまで行くのかと思っていると行き成り腹を殴られた。



「がッうぇぇ」



 くそ、いきなりかよ! 舐めやがって!



「うぇじゃねぇよ。おらとりあえず財布だせ」


 そういうとまた腹を殴られ俺は蹲った。人に殴られるなんて経験がない。うまく息が吸えない。苦しい。早く、早くあの力を使わないと。



「ってかこいつ金持ってなさそうじゃね?」

「身分証くらいあるだろ。ほらあそこのアイアイに行って金作らせればいいよ」

「天才かよ。なにお金の錬成方法知ってんの!」



 思い出せあの時の感覚。全身の力が張っていくようなあの感じ!



「おら、いつまで蹲ってんだよッ!」

「うぁああ!」

 


 腹を蹴られ声が出てしまう。おかしい、あの時の力が上手く出ない。なんでだ! どうやって力を使っていた!?



「変な声上げんなよ、笑っちまうわ」

「おい動画取ろうぜ。面白過ぎだろ」

「じゃ顔映さねぇとな。おら立てよッ!」



 髪を鷲掴みされ持ち上げられる。このままだと髪が抜ける。そう思い必死に立ち上がった。



「はっはっは! みろこの情けねぇ顔! マジ受ける!」

「いやぁこうはなりたくないな」

「おい。聞こえたろ。取り合えず財布だせ、財布」



 おかしい。こんなはずじゃなかった。思い出せ、あの時何を考えていた!?




 痛みでぼうっとしてしまう頭であの日の夜を思い出す。






 そうだ。俺は有紗の、あの女に裏切られて。







 あの女を犯す事を妄想していた。






 人生で初めて好きになった女。昔から化粧をしている女は汚くて嫌いだった。そんな中で初めて好きになった素朴で純粋で清純そうな女の子。自分より10歳以上年下とか関係ない。あの子ならきっと俺を好きになってくれると、そして一緒に幸せになれると思っていたのに!




「ん。ぷっあーはっはっはっは! おい見ろ! こいつ勃起してんぞ!」

「うわ、きっも!! 何変態なの!? あれか、殴られて興奮しちゃった?」

「やべぇな。あ、じゃあ殴ってやってんだからやっぱ謝礼貰わないと。俺たちいいことしてんじゃん」



 

 少しずつ力が漲ってくる。どういう原理かさっぱりだけど股間に力を入れるとあの力が出せるらしい。俺は俺の頭を掴んでいる手を掴み、思いっきり握りつぶした。



 細い枯れ枝を折ったような音が聞こえ、そして男の絶叫が周囲にこだました。



 

 

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