§031 将来

 時は流れ、季節はちょうど中間テストの1ヶ月前となった。


 水無月さんとの交際は順調に続いている。


『(水無月) よかったら、一緒にテスト勉強しませんか?』


 今日もこんなLINEが水無月さんから届いた。


 今回が俺達にとっては高校に入って初めてのテストになる。


 まだ中間テストまで1ヶ月ほどの時間があるため、テスト勉強を始めるには少し早くはあるが、水無月さんたっての希望で、かなり早い段階から少しずつテスト勉強を進めておこうということになったのだ。


 場所は人目につかないように水無月さんの家の近くの私立図書館に行くか、ファミレスに行くかなどの選択肢が出たが、赤也カミングアウト事件以降、特に付き合っていることを隠すこともなくなったので、一番最寄りとも言える学校の図書館で勉強することとなった。


 実はうちの高校の図書館はかなり広い。


 1階が蔵書と一部学習スペース、2階が蔵書スペース、3階は全て学習スペースとなっており、その蔵書数は約5万冊を誇る。


 本の貸し出しなどの一部の業務は生徒図書委員が行っているが、蔵書の管理は主に司書職員が行っているという充実振りだ。


 学習スペースもかなり広く取られており、個別ブースと大テーブルが用意されている。


 個別ブースは使用するのに申請が必要になることもあり、今回はせっかく二人で勉強するならと、大テーブルで勉強することとなった。


 例年、テスト前になると満席になってしまうこともしばしばらしいが、今はまだテストまで時間があるため、大テーブルは比較的空いていた。


 早速、俺と水無月さんは横に並んで勉強を開始する。


 水無月さんは数学を、俺は世界史をやることにした。


 ちなみに、二人の学力はというと、水無月さんは御存知のとおり、うちの学年の首席合格者。


 テストは今回が初めてのため、現段階で学年一位というわけではないのだが、首席合格者である以上、皆からの注目度が高いことは間違いない。


 他方の俺はというと、水無月さんに及ばないまでも、実は成績はまずまずだった。


 中学時代が元陰キャということもあって、勉強に費やす時間は十分にあったからだ。


 中学の授業は先生の話を聞くか、教科書を読んでいるしかやることがなかったので、元々本を読むのが好きな俺は、暇つぶしも兼ねてずっと教科書を読みふけっていたくらいだ。


 それが功を奏したのか、俺は中学時代でも学年で高順位をキープすることができていた。


 まあ、中学時代は勉強ができたからといってカーストが上がるわけでもなかったので、特にそれにありがたみを感じたことはなかったが、いざ都内の高校を受験しようとした時にスムーズに成績を伸ばすことができたのは、陰キャ時代に培った知識の賜物だと言えるだろう。


 とまあ、こんな感じで、俺と水無月さんの成績は、二人揃ってかなり高水準のところにあった。


 そんな理由もあり、俺達はそれぞれがそれぞれの勉強法を確立していたこと、友達と一緒に勉強するという経験もなかったからカップルで勉強するという場合どんな感じなのかよくわからなかったことから、俺達は特にお互いに教え合うわけでもなく、自分のやりたい科目を自分のやりたい方法で黙々と勉強する形になった。


 勉強を開始してから2時間ほどが経過した頃。


「すみません。ちょっとお手洗いに行ってきますね」


 そう言って水無月さんが席を立った。

 俺も勉強を開始してから何度かトイレには行っていたし、特に何も気にしていなかったが、俺はトイレから戻ってきた水無月さんを見て、思わず口をあんぐり開けてしまった。


 なんと水無月さんが眼鏡姿でトイレから戻ってきたのだ。


 そんな俺のあからさまな反応に気付いたのだろう。


「そんなに見ないでください。恥ずかしいです」


 水無月さんはそう言ってほんのりと顔を赤らめた。


 水無月さんが普段からカラコンを入れているのは知っていたが、度入りを使っているのかどうかまでは知らなかったので、まさかこのタイミングで眼鏡姿の水無月さんを見られるとは夢にも思っていなかった。


 どうやら勉強をしていたら目が乾いてしまったらしく、この後も勉強に集中するためにも致し方なく眼鏡にフォームチェンジしたようだ。


 それにしても、水無月さんは眼鏡がよく似合う。


 普段眼鏡をかけていない子が眼鏡をかけていると可愛く見えるというフェチ的な部分があることは否定しないが、水無月さんは元々清楚で淑やかな雰囲気……なんていうか物静かな図書委員のような雰囲気があるので、前々から眼鏡はよく似合うだろうなと思っていたのだ。


 そうしたらもう案の定。

 まさに俺のタイプにドストライクな清楚系眼鏡美少女の爆誕というわけだ。


 俺はそんな水無月さんが隣に座っているという状態に緊張を隠しきれなかったが、水無月さんも最初は恥ずかしがって頬を朱色に染めていたが、お互いに段々と集中力が増してきたのか、気付いた時には、外は暗くなりかけており、大テーブルには俺達を残すだけになっていた。


 そんな状況になったからか、「ふぅ」と息をついて伸びをした水無月さんは、声のトーンは落としながらも俺に話しかけてきた。


「律さんって変わった勉強法をされているのですね? ずっと教科書を読んでいるだけなのですか?」


 ん、そう言われてみれば、隣に座る水無月さんを横目で見たら、教科書にいろいろ書き込んだり、問題を解いたりしていたが、他方の俺は教科書を読んでいるだけだった。


 俺の勉強法は『教科書をひたすら読む』というもの。


 最初から最後までを1日かけて読む、それを何度も繰り返す、ただそれだけだ。


 俺は友達と勉強をしたことがないので、正直なところ、どんな勉強がスタンダードなのかよくわからないが、仮にテストまで30日あれば、30回教科書を読み返せるという計算だし、実際、これで受験にも成功しているわけだから、特に変わった勉強法を採っている自覚はなかった。


「俺の勉強法ってそんなに変かな? 中学の時は授業中ずっとこんな感じで教科書を読んでたからそれが癖になっちゃったというか……むしろ皆こんな感じなのかなって深く考えたことなかったんだけど」


 俺がそう言うと、水無月さんは焦ったように「いえ、おかしいとかそういう意味じゃなくて」と訂正した上で、それでも不思議なことには変わりなかったのか、何個か質問を重ねてきた。


「でも、教科書全部ってことは今回の試験範囲をオーバーしてますよね? それって非効率じゃないです?」


 それは確かにと思うが、俺は自分なりの考えを述べる。


「まあ、テストで点数を取るって点では確かに非効率かもね。でも、例えば、歴史なんかは通して読んだ方が理解が深まるところもあるんだよね。学校の授業は遅れ気味になるから、猿の時代ばかりを繰り返しやって、結局近代史はほとんどやらないで終わることもしばしばだし。それに何回も読み返せばそれだけ記憶に定着につながるから、一過性の知識じゃなくて、ずっと覚えていられる長期記憶になるというか……」


 俺は更に自分の考えを補足する。


「それに俺はテストで高順位を取ることを目標にしているわけではないというか……確かにまだ自分の進路をちゃんと決めているわけではないけど、俺は大学に進学しようと思ってるんだよね」


「……大学ですか?」


 水無月さんは大学というものがあまりピンと来ていないのか小首を傾げる。


 この点については、兄貴が大学受験ガチ勢だったから俺も知っているというだけで、普通の高校一年生では知らないのも無理はないだろうなと思う。


 そのため、俺は出来るだけ丁寧な説明を心掛ける。


「大学に入学するには大きく分けて、受験と推薦があるんだけど、推薦で大学に行こうとするなら普段のテストで高順位を取って内申点を良くすることは必要だと思うけど、俺は受験で大学に行くつもりだから、正直、あまりテストの成績には頓着してないんだよね。そういう理由もあって、俺は今回の試験の勉強というよりは、もう少し長期的な観点で勉強しようかなと思ってるんだ。どうせ大学受験の時に全ての範囲を勉強しなきゃいけなくなるなら今のうちにやっておこうって感じかな」


 ただ、これでは今回のテストのために勉強している水無月さんのモチベが下がってしまう気もしたので、「あ、もちろん、直前になったら俺も本来の試験範囲を見返したりするけどね」というフォローもいれる。


 でも、どうやらそんな俺の言葉は水無月さんにとっては目から鱗だったようで、目を丸くしながら、もはや放心状態のように呟く水無月さん。


「律さん、すごいです。そんなに先のことまで考えて勉強をされているんですね……。私なんてテストでいい点数取ろうとしか思っていませんでした」


「まあ、俺は一応やりたいことがあるっていうのがあるからね」


「やりたいこと? 聞いてもいいですか?」


 そんな水無月さんの問いにどう答えたものかと逡巡したが、素直に話してしまおうと心に決めると、俺は自らが描いているビジョンについて語る。


「漠然とした目標だけど、俺、国立大学の心理学部に行こうと思ってるんだよね」


「……国立大学の心理学部?」


「うん。国立大学っていうのは、あくまで学費が安いからってだけなんだけど。まあ俺もわがまま言って都内の私立に行かせてもらって、一人暮らしまでさせてもらっているわけだから、その辺くらいは親孝行しなきゃかなって感じで……。それで心理学部を選んだのは……ゆくゆくは人の気持ちに寄り添うことができる臨床心理士になれたらいいなと思ってるんだよね」


 おそらく水無月さんはそういった分野に造詣が深いわけではないだろうけど、臨床心理士というのがどんな職業なのかはある程度知っているようだった。


 ただ、さすがに詳しくはわからないだろうから、「臨床心理士というのは、主に心に負担を抱えてしまっている人に対して、心理的な観点からサポートや治療をする職業なんだけど……」と補足した上で。


「ほら、前に好きだった子を傷付けちゃった話をしたじゃん?」


「……はい」


「あの時は結局俺がいじめの加害者側になってしまったんだけど、あの結果は、俺がいじめっ子に言い返すことができなかったという心の弱さが一番の原因だと今でも思っている。でも、いろいろ考えるうちに、もっと根本的なところとして、あの子に対するいじめをどうにか止められる手段はなかったのかな……って考えたんだ。もちろん俺に力があればと考える時もあったけど、さすがに暴力に訴えるのは何か違うなって思って……そう考えた時に思い付いたのが心理学の知識を身に付けることだったんだよね」


「…………」


「もうその子にはどんなに謝っても遅いのかもしれないし、まず間違いなく、俺の言葉はその子の心にトラウマを残してしまっているだろうと思っている。過去を変えることは決してできないから。でも、将来は変えられる。そう思うんだ。だから、俺やその子のような加害者・被害者を今後生まないためにも……仮にその子に再会した時は、もっともっとその子に優しくしてあげることができるよう……将来はそういう職業に就ければいいなって……思うようになって。って、あ……」


 つい感情が昂ぶってしまい、語りすぎてしまったと思った。


 そこでポカンとされていないかなと水無月さんの方に視線を向けると……水無月さんは今にも泣き出しそうな表情で俺のことを見つめていた。


「……水無月さん?」


 俺が水無月さんの名前を呼ぶと、彼女はハッとしたように肩を揺らし、潤む瞳をこちらに向けながらゆっくりと微笑んだ。


「……とても素敵な考えで、なんか他人事には思えなくて……ちょっと涙ぐんじゃいました」


 そう言って目元を拭う水無月さん。


「私が言うのもなんですけど、律さんなら……絶対になれると思いますよ、臨床心理士。だって、律さんはこんなにも優しくて……人に寄り添った考えができる人なのですから。それに比べて私は一体何をしてるんでしょう……」


 そうして少しだけ遠い目をする水無月さん。


 水無月さんも何かのために勉強をしているのかな?と素朴な疑問として思った俺はそれを彼女に尋ねようとすると。


(キーンコーンカーンコーン)


 そんな俺の声を遮るように最終下校時刻のチャイムが鳴り響いた。


 同時に図書委員の生徒から「は~い、残ってる人は退館してくださ~い」と声がかかる。


「出ようか」


「そうですね」


 俺達は短く言葉を交わすと、教科書を片付けて図書館を出た。


 その後はもう勉強の話をすることはなく、俺達はいつもどおり好きなアニメ(今回のテーマは眼鏡女子)で盛り上がっていると、日は完全に落ち、宙には満天の月が輝いていたのだった。



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