§011 カフェ②

「……うわ~苦そう」


 俺の目の前に置かれた漆黒の飲み物を見つめた水無月さんから思わずそんな言葉が漏れた。


 心なしか顔も引き攣っているように見える。


 が、俺もその感想に完全に同意。


「あれ、エスプレッソってコーヒーの上に泡々なミルクが乗ってるやつじゃなかったっけ?」


 そんな俺の言葉に水無月さんはキョトンとした表情を見せる。


「律さん、それはカプチーノですよ。エスプレッソはコーヒー愛好家が飲む深煎りのコーヒーのことです」


 俺は自身の顔が茹で蛸のように真っ赤になっていくのを感じた。


 ……ああ、やってしまった。


 穴があったら入りたいとはまさにこの時のことを言うのだろう。


 カフェオレとか無難なものを頼んでおけばよかったのだが、「俺はコーヒーも飲める大人なんだぞ」という謎の見栄から、詳しくもないコーヒーを頼んだ結果がこれだ。


 駅から店のチョイスまで結構うまくいっているなという自覚はあったので、ここでのミスにより心が急激に萎んでいくのがわかった。


 ……こんなかっこ悪い姿を見せたら、水無月さんも俺のこと呆れているだろうな。


 そう思って、彼女の顔色を窺おうとした瞬間――水無月さんが「ぷっ」と吹き出すように笑い出した。


「え?」


 俺は何が起きたのかわからず、ただ呆然と彼女を見つめる。


「いや、すみません。律さんのそういう顔を見るのは初めてで、つい我慢できなくて」


 そう言って彼女にしては珍しく「あはは」と声を上げて笑った。


「あ……え、……」


 俺はどう反応していいのか狼狽えていると、ひとしきり笑い転げた水無月さんは、目尻に溜まった涙を指の腹で拭うと、眩しいほど笑みで俺に笑いかけてきた。


「こんなに笑ったの人生で初めてかもです。実はさっきまでは初デートということでかなり緊張していたんですが、たくさん笑ったらなんだか緊張も吹っ飛んじゃいました」


「緊張? 全然そんな感じに見えなかったけど」


「律さんは私をなんだと思ってるんですか! 私は人生でデートなんて一度もしたことない元根暗女子ですよ! 内心は心臓バクバクだったんです」


 彼女はぷんすかと言った効果音が似合う表情でそこまで言い切るが、すぐに嫋やかな笑みに戻すと、俺の目を真っ直ぐ見つめて言った。


「律さんといると本当に楽しいですね」


「俺といるのが楽しい?」


 てっきり失望とかかっこ悪いとかそういう言葉が出るのかと思っていたから、俺は思わず問い返してしまった。


 そんな俺の言葉に、え、当たり前じゃないですかという表情で言う彼女。


「律さんと一緒にいられるのは楽しいですよ。私、普段はこんなに声を出して笑うことってありませんし」


「……そうなのか?」


「はい。言葉にすると難しいですが、私が声を出して笑えない理由は、中学時代に醸成されたものが一番大きいと思うんですよね。空気を読む……じゃないですけど、ここは笑っていい場面かなとか、笑って失礼じゃないかなとか、人にはどう思われているのかなって考えたら、純粋に笑えなくなってしまったというか」


 その気持ちは元陰キャである俺もものすごく共感できるところだった。


「でも、律さんは私が笑ってもきっと怒ったりしないと思えましたし、そんな律さんだからこそ、私の全てを見せてもいいかなと思えてくるんです。私はそんな関係が好きというか……とても居心地がよく感じられるんですよね」


 そこまで言うと、彼女は心配そうな表情を見せて、笑っちゃったこともしかして怒ってます? と上目遣いを向けてくる。


 ……俺といるのが楽しい。

 ……そんな関係が居心地がいい。


 そんな言葉、今まで言われたことはなかった。


 俺は元陰キャで、どちらかと言えば存在するだけでその場を盛り下げてしまう存在。


 高校に入ってからは、「イケメン」とか「カッコイイ」と言われることは増えたものの、一緒にいて楽しいと言われたことはなかったし、今後も言われることはないと思っていた。


 でも、彼女はそんな俺と……一緒にいるのが楽しいと言ってくれた。


 それはどんなに「カッコイイ」と外見を褒められようとも得ることができなかった、確かな充足感を俺に与えてくれるものだった。


「怒るわけないじゃん」


「え」


「……一瞬嫌われたと思ったのはそのとおりだけど、それ以上に、俺も水無月さんと一緒にいられるのが本当に楽しいなと思っていたところだから」


 その言葉に水無月さんは安堵の表情を浮かべた。


「エスプレッソとカプチーノを間違えたくらいで嫌いになるわけがないじゃないですか。むしろお茶目で可愛いなと思いますよ」


 更に彼女はしみじみとした声音で続ける。


「……別に間違えてもいいじゃないですか。私達は付き合うのも、デートをするのも初めてな高校生なのです。むしろ、こういった経験が積み重なって、それが思い出へと昇華していくと思うと、私は今後の律さんとのお付き合いが楽しみで仕方ありません。私は……もっともっとこういう楽しい思い出を……律さんとたくさん作っていければなと思っていますよ」


 そう言って透き通るような瞳をこちらに向け、可愛らしくコトンと首を傾げた。


 そんな彼女が、本当に女神に見えて……愛おしくてたまらなくて、気付いた時には俺は――目の前のエスプレッソを一気に飲み干した。


「ちょ、ちょっと律さん!」


「苦っが……っ!!」


 口一杯に広がる大人の味に苦悶の表情を浮かべる。


「初デートの味はほろ苦いな~! これは一生忘れられない味だわ!」


 そんな俺の言葉と行動に最初は目を見開いていた水無月さんだったが、その目は次第に細まって微笑みに変わると、更なる笑いへと昇華していった。


「あはは、これでもう律さんがエスプレッソとカプチーノを間違えることはありませんね。一歩前進です」


「次に来た時は絶対カプチーノ頼むからまた来よう。リベンジマッチ」


「律さん気が早すぎです。まだパンケーキも食べてないですよ」


「確かに!」


 そう言って笑い合う二人。


 そうこうしているうちに店員さんがパンケーキを運んできてくれた。


 三段重ねのパンケーキを丁寧に切り分けてくれる水無月さん。


 そんな彼女の優しさと甲斐甲斐しさに心を打たれつつ、俺はパンケーキの甘さで先ほどのほろ苦さをどうにか上書きした。


 こうして俺達の初めてのデートは幕を閉じた。


 一人、電車に乗る帰り道。


 俺には以前にはなかった一つの感情が生まれつつあった。


 それは――もっといろんな水無月さんを知りたい、というもの。


 俺は水無月さんのことを、まだ少ししか知らない。


 でも……学校での淑やかな彼女、太陽のような笑みを微笑む彼女、声を出して大声で笑う彼女を見ていくうちに、彼女のことをもっともっと知りたいという気持ちが芽生えつつあった。


 これは恋愛感情とは、もしかしたら違うものなのかもしれない。


 それでも俺は、順調に彼女の可愛さに絆されていっているな~ということを自覚しつつ、帰路についたのであった。


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