モラハラ王子に婚約破棄させたので、次は玉座を奪います。

花麓 宵

第1話

「お前は本当に、何もできないのだな」


 婚約十年目、3650回を優に超える溜息を吐いたケヴィンに、リーゼロッテはそっとフォークを置いた。


「……はい。大変お恥ずかしい限りでございます」

「まったく、そこでろくに反論できないところがお前の駄目なところだ。何かひとつでも秀でるところがあればよかったものを」


 公爵家でぬくぬく育てられた挙句、幼い頃から王子と婚約して左団扇ひだりうちわ、将来をうれうこともなくただ漫然まんぜんと未来の王子妃の座に安住あんじゅうし、荒波に揉まれたことがないせいでろくに世間を知らない。


 くどくどと、まるで八つ当たりのように垂れ流され始めた不満に、リーゼロッテは途中から耳を傾けるのをやめ、ただ微笑んでおいた。


「……お前は本当に静かに微笑む以外何もできないのだな」


 そう呆れた言葉をかけられたが、やはり微笑むだけにしておいた。




 そんな空気の悪い昼食後「あら、リーゼロッテ様ではございませんこと?」と明るく、しかし鼻にかかった声に呼び止められる。振り向いたところにいたのは、淡いピンク色の髪と目をしたニーナ・ドライ・ヘルシェリンだった。


「ごきげんよう、ニーナ様」

「ご丁寧に、リーゼロッテ様。聞きまして? 最近、カッツェ地方から賊が攻め入ったとのお話……怖いですわよねえ、なんたって我が国とフェーニクス帝国の境ですもの」

「……そういえば、そんなお話がありましたね」


 知識をひけらかすようなニーナの話は、しかし少々おかしかった。カッツェ地方はフェーニクス帝国の辺境伯によって治められている地だが、その辺境伯は大層人格者で、賊とあらばどちらの国の利益かなど考えずに討伐してくれる。現に、最近カッツェ地方で問題になった賊はその辺境伯によって討伐済み……帝国との境でよかったと言ってもいい話だ。


 しかし、それを指摘してもプライドの高いニーナは苛立つだけだ。黙って聞き流せば「そんなお話、ですって?」とニーナはまなじりを吊り上げる。


「将来の王妃ともあろうお方が、帝国と接する辺境での事件を“そんなお話”呼ばわりだなんて! 信じられませんわ……将来のケヴィン殿下をお支えになる身として、もう少し国政に興味を持たれてはいかがでしょう?」

「……ニーナ様はさすがですね。ヘルシェリン侯も鼻が高いのでしょう、よくニーナ様の自慢話をお聞きします」

「いやですわ、リーゼロッテ様ったら」


 満更でもなさそうに頬を染めながら、ニーナは洋扇を開いて口元を隠す。


「お父様は、娘の私が言うのもおかしいですが、少々親ばかなのです。……あ、ごめんなさいリーゼロッテ様、ご両親の亡くなったリーゼロッテ様の前でお父様のお話を」


 非常にわざとらしい謝罪だったが、リーゼロッテは「構いませんよ」と微笑んで流す。


「ヘルシェリン侯はニーナ様が大好きなのでしょう。そうしてニーナ様がお話していると知ればお喜びになるでしょうし」

「そう言っていただけると嬉しいですわ。でもお父様のお話が当てにならないのは本当なのです、実際の私は男性からは敬遠されがちですから。その点、リーゼロッテ様は――」


 ちらとその視線が部屋の扉に向けられる。リーゼロッテとケヴィンが昼食を摂っていたときの会話を聞いていたかのように。 


「いつも静かに殿下のお話を聞いて、良妻のかがみですわね。私のような女はうるさいと言われてしまうのです。恥ずかしながら私、政治にも経済にも興味が湧いてしまい、ついつい考えたことを口に出してしまいますので」


 いや、これは盗み聞きしていたな……。そう分かりながらも、リーゼロッテはニコニコと微笑みながら「そうなのですね。では私はこれで」と擦れ違う。ニーナが勝ち誇った目を向けてくることにも、気が付かないふりをした。




 公爵令嬢リーゼロッテ・ノイン・エレミートが第一王子ケヴィン・ファンフ・ヒエロファントと婚約して、はや十二年。そのうち実に十年近く、リーゼロッテはケヴィンに罵倒されて生きてきた。


 いつからか、ケヴィンは口を開けば「お前は随分いいご身分で何よりだ」と口にするようになった。王子として政務にたずさわれば「お前は嫁げば安泰あんたいのお気楽な人生だ」、外交に出向けば「お前は表に立たないでいいから楽なものだ」、戦から帰れば「お前には剣の重さも分かるまい」、魔法を扱えば「お前は回復魔法しか使えず前線の恐怖も知らない」などなど。


 素直なリーゼロッテは「そうか、私は何もできないし何も分かっていないのか……」とその罵倒ばとうに謙虚に頷いてばかりであった。


 しかし、素直過ぎたリーゼロッテは「じゃあ政治を学ぼう!」「本だけじゃ足りないから実際に隣国と取引しよう!」「剣も持とう!」「実戦経験のために前線にも出よう!」――と、こっそりと家庭教師に学び、本を読み漁り、他国で商取引をし、剣を学び、あろうことかお忍びで従軍までするなど、まるで男のように研鑽けんさんを積んだ。


 そうして自らの知見に自信をつけたリーゼロッテは、度々ケヴィンの発言の誤りに気が付いた。しかしそれを指摘すると、ケヴィンは余計に苛立ち憤慨し「お前は何も分かっていない」を繰り返してしまう。


(挙句の果てに、最近はニーナ様にご執心だし……)


 脳裏には、さきほどリーゼロッテに喧嘩を売ったニーナが、ケヴィンと腕を組んで話していた光景が浮かぶ。


 大人の事情で勝手に婚約させられた身で「好きになってほしいです」とは言わないし、現に自分もケヴィンに恋情はないのだが、そうだとしても脇目わきめを振らないくらいの責任感はある。それなのに、ケヴィンが他の侯爵令嬢とこれ見よがしに仲良くするとはいかがなものか。


 なんてことを指摘すれば、またお決まりの「何も分かってない」を口にするだけなのだろうけれど。リーゼロッテは、ケヴィンほどとは言わずとももう何度目か分からない溜息を吐いた。

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