結晶からのめざめ 3

 リティの膝の上には、仰向けになったメイナの頭が載っていた。メイナの胸には、灯りをはなつ右手が置かれていた。メイナの呼吸にあわせて光が動き、周囲の世界の陰影がゆれた。


 リティはしばらく、メイナの顔をのぞきこんでいた。すると、すこしずつ、メイナの瞳が現実を受け入れていくのがわかった。


「リティ、ねえ、アズナイさまは?」


 というのが、メイナが正気づいてから、はじめて言った言葉だった。リティは答えた。


「わからない。見てないよ」

「そっかー。やっぱり、氷の年で……」

「だから、わからないの」

「ふうん。じゃあさー、町のひとは?」

「行ってないから、わかんないって」


 メイナはまだ腑に落ちない様子で、


「だったら、逆にさー、なにがわかるの?」


 リティはしばし考えて、答えた。


「わたしたちが、生きてる、ってことかなあ」




 リティは、メイナとともに森のはざまの道を歩いていた。ひとまず、森の先にあるラーニクの町を見にいくことにしたのだ。町の外れに、アズナイと暮らした家もある。


 メイナは右手の先に明かりを灯し、それを掲げていた。メイナが進んでゆくと、木立や草むらの影が、光をいとうように動いた。


 森には倒木が目立ち、獣や鳥はどこにもいない。


 やがて森を抜けて、ラーニクの町の市場通りへとたどりついた。メイナは通りや建物を見まわしながら、


「なにかさー、やっぱりちがうよね」


 それに対してリティは、


「そうねえ。なんだろ。道が、草だらけだし」

「そうそう。建物の扉も、壊れてる? 灯りも、ぜんぜんないよ……」


 最後のほうは、暗澹あんたんとした声だった。


「やっぱり、世界は……」


 メイナはそう言って、右手をさらに高く上げた。右手の灯りが強まり、周囲を照らした。そこには真っ暗な、朽ちかけた町並みが続いていた。





「ふたりとも、ちょっと、いいかな?」


 アズナイの声がして、メイナは本から顔を上げた。眠たくて仕方がなかったから、好都合だった。


 家の窓から入ってくる日の光は、アズナイの白い髪と、端正な顔を輝かせた。結晶の魔法を使う、すぐれた魔法使いであるアズナイは、町の守り神であり、人々の教師みたいな存在だった。


 メイナのとなりにはリティもいた。リティは真剣に本を読んでいたらしく、ややあってから、顔を上げた。リティが読んでいたのは、魔法と神話に関するものだった。


 暖炉には火がくべられていた。夏だというのに、ここのところどんどん寒くなっている。


 アズナイは、ふたりの注意が集まったことを確認したように、うなずいた。


「まえにも言ったけれど。このままでは、もうじき、大変なことが起こると思っているんだ」


 そこでリティは言った。


「世界が、氷に覆われる、という、あの話ですか?」


 アズナイは寂しそうに、やさしい笑顔を見せた。


「ああ。そうだよ、リティ。そのとおりだ」


 それからアズナイは窓から外に目を向けて、


「この、世界を包む冷気は、はるか北の聖地――ファナスから広がってきている。それは、まえに言ったとおりだ」


 そこでメイナは、


「女神ミュートが、人間たちに怒って……。それに、このままいくと、もっと、もっと寒くなるって……」

「そうだ。世界は、もっと寒くなる。すべてが、氷に包まれてしまうほどに。そして人々は、救いを求める」


 そのとき、リティは言った。


「静寂なる女神ミュートが、世界をふたたび凍らせるとき、最北にて人々は救われるだろう」


 アズナイはうなずいた。


「そうだ。『王家の伝承 第四章十二節』のとおりだね」


 メイナは信じられない気持ちでリティを見た。


「よくそんなの、暗記してるね……」


 リティは当然、といった表情で、


「なんども読んでるじゃない」

「うーん、そうだけどさー」

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