のらねこ喫茶へようこそ 店に寄りついたのらねこ少女はひとたび懐くとデレがすごい

愛上夫

第1話


「ねぇじいちゃん。世界でいちばんおいしいコーヒーってなに?」


 小学生のころ。ふと気になって、店の手伝いをしていたときに喫茶店の店主であるじいちゃんに尋ねたことがあった。


 国やら農園やら品種やら、そのほかいろいろ。数えだしたらきりがないくらい種類があるんだから、いちばんと呼ばれるものはきっとさぞすごいのだろうと興味が湧いたのだ。


 ところがだ。かわいいの孫の好奇心たっぷりの問いかけに対して、吸ったこともないくせに紫煙を吹かすような仕草で細いため息を吐くと、じいちゃんは難しい表情を浮かべてにべもなくこう答えたのである。


「知るか。それがわかってりゃこっちだって苦労せんわい」


 耳を疑った。専門職の人間がそんなこと言っていいのかよ。僕が猜疑心をあらわに半眼になると、待て待て話は最後まで聞けとじいちゃんは苦笑する。

 

「そうさな。なら逆に聞くが、おまえさんのなかでいちばんのコーヒーってのはなんだ?」


「え? えっと、それは……ブルーマウンテン? テレビとかでよく聞くし」


 このときの僕はまだそこまでコーヒーに精通していなかったので、浅い知識からひっぱりだしてそう答えた。じいちゃんは今度は粘っこく濃いため息を吐くと、さっきよりも増し増しで嫌そうな表情をする。

 

「いかにも俗っぽい答えだな。だがそりゃ周りが言ってるいちばんだろ。違う。かおるがいちばん美味いと思ったコーヒーのこと言ってるんだ」


 ああ、うん。そういうことか。それなら迷わず答えられる。


「じいちゃんのコーヒー」


「……ほぅ。うれしいこと言ってくれるな。どれ、あとで飲ませてやろう」


「やった」


 気難しそうに見えて結構ちょろいのだこの祖父は。よろこぶ僕の頭をじいちゃんはぽんぽんと撫でた。


「まぁなにが言いたいかというとだ。人それぞれ好みってのがあるんだから、世界でいちばん美味いコーヒーなんてもんは決めようがない。強いて言うなら……最高のコーヒーっていうのは、飲んだ人が好きなコーヒーってところか。つまり、おまえさんにとっての世界でいちばんおいしいコーヒーは、じいちゃんが淹れたコーヒーってことだな」


 得意になったじいちゃんはどやりとしたり顔になる。格言じみたその言葉に僕は感嘆の声をあげて、きらきらとガラス玉を散りばめたような眼差しを向けた。


 しかし、いい感じでまとまりかけた話はここで終わらなかった。


 この一連のやり取りを傍で聞いていた母さんが、にやりとタイミングを見計らったかのように(というか間違いなく見計らって)話が終わった後に真相をバラしたのである。


「お父さん。それ絵美ちゃんのお店に書いてあるのから取ったでしょ」


 からからとした土鈴どれいの音のような笑い声とは裏腹に、僕とじいちゃんの間には微妙な空気を含んだ風がそよ吹く。店内の明度もいくらか下がった気がした。


「……ふん。よけいなことを」


 孫の前では威厳を保ちたかったじいちゃんは老齢のしわをよりいっそう深くさせて、不貞腐れて店の奥にひっこんでいった。なんとも情けないオチだ。


 けれど、なるほど。じいちゃんが虎の威を借りたのはともかく。たしかに自分の好きなものが世界でいちばんだというのは素敵な考えだ。子供心に染み込んだその言葉は時が経っても褪せることなく僕のなかでひろがっていく。


 と同時に、また新しい疑問が芽を出していた。


 じゃあ、飲む人にとっての最高のコーヒーがそれなら、淹れる人にとっての最高のコーヒーとはなんだろう。


 答えは、それから数年後に花をひらかせることになる。ようやくバリスタとして店に立てるようになった高校1年生。のらねこのような少女、白峰咲希しらみねさきに出会った春のことだ。


🐈‍⬛ 🐈‍⬛ 🐈‍⬛


 まずはじめに断っておきたいのだけど、うちの店はべつに猫カフェというわけではない。


 猫好きの母さんが子供のころに駄々をこねたから、店名は猫の恩返しから取ってバロン・コーヒー。


 入り口にかけられた小さな看板は猫のかたちを模していて、風通しよく居心地がいいからか、はたまたここが集会場なのか。のらねこたちが居座ってテラス席のわきっちょにたむろしている。なんならお客さんが可愛がってエサをあげるものだから年を追うごとに数を増やしている。

 

 大正浪漫あふれる外観と内装に同居する猫づくしの光景に、はじめてのお客さんにはほとんどの確立で猫カフェだと勘違いされるし、口コミにもいい猫と出会えましたなどと書かれるし、のらねこ喫茶なんて呼ばれているけど断じて違う。つっこまれた際に言い訳ができるようもろもろの手続きもしているらしいけど違うったら違う。


 ここまでよりどりみどりなら、もう猫カフェでもいいんじゃないだろうか?


 まぁコーヒーをメインにしたい僕としてはちょっと複雑な気持ちはあるけど、たとえ猫目的でもお客さんがよろこんでくれるのは素直にうれしい。それなりに繁盛させてもらってるし、この店に来たのがきっかけでコーヒーに興味を持ったって人もいるんだから、きっとあの猫たちは招き猫かなにかなのだろう。そういうことにしておこう。


 そんな猫目的のお客さんのなかに、彼女はいた。


「あの子、また来てる」


 テーブルを拭きながら扉のガラス越しになにげなく入り口の方を見ると、僕と同じ学校の制服を着た女の子がしゃがんでいるのが目に入った。


 肩口まで伸びた淡い亜麻色の髪。華奢な体躯。ぽけぇっとしていてなにを考えているのかわからない表情。どことなく猫っぽい印象だった。


「たぶん、僕と同い年だよな。ここ最近見るようになったし」


 新年度に入ったあたりだったか。それから放課後になると、通学路の途中なのかほぼ毎日ここに寄るようになった彼女。ただ、入り口の前にふてぶてしく鎮座するうちのボス猫であり看板猫(?)のジュンさんといつもじゃれてるだけで、店内に足を踏み入れることはなかった。というか目が合ったら逃げ出す。


「迷惑ってわけじゃないんだけど。ジュンさんも懐いてるし」


 今日で数えはじめて五日目。この短い期間でよくもあの図々しく尊大なジュンさんに懐かれたものだと感心するとともに、できれば店に入ってほしいとも思う。売り上げがどうとかつまらないことではなく、同級生なんだからなまえくらい聞いて、あわよくば友達になりたい。


「う~ん」


 しかし、声をかけようにも真正面から話しかければまちがいなく逃げられるし、さてどうしたものか。


「ねぇじいちゃん。すこし店外していい?」


「べつにいいが、どうした急に」


「いや、ちょっと……」


 僕はちらりと仮称ねこ娘をうかがう。ジュンさんの顎を指先でこちょこちょ撫でて、にへらと幸せそうに頬を溶かしていた。


「ん? ああ、あの子か」


「うん。さすがにこう毎日来てれば気にはなるし、声かけてみようと思って」

 

「まぁうちとしても、ああして入り口に居座られるより店に入ってもらった方がいいが……馬鹿正直に行っても逃げちまうだろ。どうやって声かけるつもりだ」


「気づかれないよう裏からまわって、後ろからこっそり近づこうかと」


「却下だ、馬鹿垂れ。なに考えてやがる」


 じいちゃんが呆れて辛辣に言う。そりゃそうか。傍から見ればただの不審者だもんな。


「学校一緒なんだろ? すれ違ったときにでも話かけてみりゃいいじゃないか」


「入学して一週間くらい経つけど、学校で見かけたことないんだよね。クラスもわかんないし。かといって、用があるわけじゃないのに捜してまで声かけるのもどうかと」


「おまえは用がなけりゃ女の子に声もかけられんのか」


「用もないのに知らない男子にいきなり声かけられたら警戒するでしょ」


 お店でならそれも接客として受け取られるけど、学校でとなると途端に難易度はあがるのだ。


「向こうだって顔くらいは知ってるだろ。ふつうに『たまには店のなかにも入らないか?』って言えばいいだろうに。雇われてる身だったら、呼び込みでもしてすこしは店の売り上げに貢献しな」


「うわ……」

 

 よくよく考えれば商売なんだから当然といえば当然だ。しかし、あまりのがめつさに僕は思わず押し潰したような声を喉奥から漏らした。


「感じ悪いから、そういうのあんま店で言わない方がいいよ」


「うっ……いや、今のは言葉のあやで、べつに無理してなにか頼めとは言わんが……」


 僕が萎えたため息まじりにぼそっとつぶやくと、じいちゃんは言い訳がましくあわてて付け加える。


「ただ、他のお客さんの目もあるからな。1人だけ特別扱いはできんのだ」


「猫見るだけでもいいって勘違いされたら困るから?」


「そういうことだ。まぁ全員よそから来て居ついてるだけだから、正直なんも文句言えんがな」


 元から文句なんて言う気もないくせに。ジュンさんと遊んでくれてありがたいと話していたのはつい昨日のことだ。

 

 とはいえ、病院で診てもらったり(一応飲食店なので)ご飯をあげたりと面倒を見ているのは僕たちなので、ちょこっとお願いするくらいならいいだろう。


 そんなのは建前で、本当はただあの子と話してみたいだけなんだけど。


 なんというか、見ていると庇護欲が湧いてくる。目を離した瞬間どこかへ行ってしまいそうで放っておけない。猫っぽいからだろうか。


 内心そんなことを考えて彼女を見ていると、じいちゃんが見透かしたような含みのある笑みを浮かべて意地悪く言ってくる。


「気になるんだったら屁理屈こいてないで、なんでもいいからさっさと話かけにいけばいいじゃねぇか」


 そう。いろいろそれっぽい理由を並べてはいるけど、じいちゃんが言うように僕は単純にあの子が気になっているのだ。


「……あ、気づいた」

 

 ガラスを隔てて目が合った。


 彼女は僕たちが自分を見ていることに気づいて居心地悪そうにそわそわすると、いそいそと立ち上がり、去り際にジュンさんに小さく手を振って速足で帰ってしまった。


「ありゃ、行っちまったか」


「まじまじ見てたから、気を悪くしちゃったかな……て、ん?」


 僕はそれに気づいて、彼女がいた場所に目を凝らす。


「あのハンカチ。もしかしなくてもあの子のだよね」


「相当てんぱってたからな。落としたのに気がつかなかったんだろう」


 店を出てハンカチを拾えば、猫の刺繍がほどこされた可愛らしいやつだった。やっぱり猫が好きなんだな。


「今から追いかければ間に合うかな」


 と、走り去っていた方に視線を向けたところで、タイミング悪くというか、数組のお客さんが来てしまった。もうじき混み合う時間帯だ。今から追いかけて捜して見つけて……逃げる彼女をまた追いかけて。となると、ちょっと抜けるのは難しいな。

 

「う~ん、しょうがない。明日学校で渡すか」


「そうしな。ま、これで話しかける理由も出来たしよかったんじゃないか?」


 しれっと顔を出して扉のふちに寄りかかるじいちゃん。お客さん来てるんだから接客しろよ。


「しっかし、薫がコーヒー以外に。しかも女の子に興味もつとは……色恋なんて無縁だと思っとったが、やっぱり年頃かね。たけし友梨奈ゆりなが知ったらすっ飛んで帰ってくるかもしれんな」


「なんか勘違いしてるようだけど、ほんとそういうんじゃないから。ほら、さっさと仕事もどるよ」


 じいちゃんの背中をごりごり押して店内にひっこんだ。


 扉を閉める前に、もう一度あの子が去っていった方向を見る。


 興味をもつ、か。たしかに珍しいかもしれない。話したこともなければ、なまえも声もなにも知らないのに。唯一、猫が好きだということくらいだ。なのになぜこうも気になるんだろう。


 それはきっと、はじめて彼女を見たときの――。

 

「一目惚れってやつじゃないか? 結構可愛い顔してたもんな」


 じいちゃんの揶揄うような声が思考に割り込んだ。人の心を読むんじゃねぇよ。孫のこといじって楽しいのかちくしょう。


 結局その後はよけいなことを考えないよう、僕は黙々と仕事に取り組んだわけだけれど……感情の変化を機敏に感じ取った猫たちに「フシャ―!」なんて鳴き声を浴びせられたときはガクリと肩を落とした。僕もあの子みたく猫から無性に懐かれたいと思った。

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