魔界の扉が開いた 3

「アシュリー様……?」


 私の呼びかけに、アシュリー様はにっこりと微笑んで応える。

 

「遅れてしまい申し訳ありません。ヘザー様、お怪我はありませんか?」

「私は大丈夫です。ところで、どうして大聖女のアシュリー様がここに?」

「叔母の悪行を止めるためですわ。ヘザー様が追放されてから、叔母に気づかれないように密かに探っていましたの。今回の追放にずっと違和感を感じていましたから」


 アシュリー様が片手を挙げると、彼女が引き連れてきたらしい聖騎士たちが一斉に動き、王妃を拘束した。

 捕まえられていた子どもは、自分を拘束していた騎士が倒れたことに驚いてその場に固まっていたが、聖騎士に抱き上げられて救出された。


 あっという間に、王妃も王妃が連れてきていた騎士たちも拘束されて一カ所に集められた。


「アシュリー! 王妃である私にこんな扱いをしたら、不敬罪で処刑になるわよ!」

「あら、それは叔母様が正しく王妃を務めていたらの話ですわ」

「……どういうことなの?」

 

 王妃殿下の目に一瞬、怯えの色が見えた。すぐに表情を取り繕ったが、いつもの自信に満ちた表情ではない。

 明らかに、動揺しているように見える。

 

「叔母様のこれまでの悪行を調べ上げましたの。ヘザー様が私を陥れようとしていると叔母から聞かされた時、全く信じられませんでしたから。だってヘザー様は、お金儲けにならないようなことに時間と労力を割くようなお方ではありませんもの。ね? ヘザー様?」

「それは、そうですけど……」

 

 当たっているけど、人に言われるとなんだか複雑な気持ちになる。自分で自分をそのように言うことと、人に言われることでは、わけが違う。

 おまけに、大聖女のアシュリー様に真っ直ぐな瞳で見つめられながら言われてしまうと、心にくるものがあった。

 

「お気を悪くされたのなら申し訳ございません。ただ、わたくしはヘザー様のそのような割り切った性格がを好ましく思っていますの」


 アシュリー様は魔王に怯まずに私に歩み寄ると、私の両手を握って微笑みを深める。


「それに、ヘザー様はお金儲けにならないとわかっていながらも、困っている人を見ると助けられない人でもあると、知っていますから」

「――っ、そ、そんなはずありません!」

「あら、ヘザー様はすっかりお忘れなのかもしれませんが、わたくしはヘザー様がお金儲けにならないとわかっていながらも助けてくださったうちの一人ですのよ?」

「へ……?」

「まだ私が聖女として神殿に来て間もない頃、私に婚姻を迫る侯爵家の令息から守ってくださったのです。あの時は、どんなに断っても追いかけてきますし、相手が侯爵家の令息ということで誰も口出しできなかったのですが――ヘザー様が皆に聞こえる声で注意してくださったんです。神殿は聖女を追いかけるための場所ではない。祈りを捧げるのではなく色恋をお求めなら他所に行ってくれと。おかげで、あの令息は社交界で非難されて、以降は追いかけて来なくなりました。誰かの一言が必要だったのに誰も言ってくれない状況で、ヘザー様だけが口にしてくれたのです。あの時に抱いた感謝と安堵は、今でも忘れていません」


 その言葉の通り、アシュリー様の宝石のような目がいつも以上に輝いている。尊敬と感謝、どちらも私にはに使わない想いが込められており、なんだか居心地が悪い。

 悪口や批判に慣れてしまったせいで、こんなにも純粋な感情を向けられるとぎこちなさを感じてしまうのだ。


(確かにアシュリー様に言い寄っていた侯爵令息に注意した記憶はあるけど……こんなに感謝されるようなことなの……?)


 私はただ、孤児院の子どもたちに注意するような感覚でいっただけのため、それに恩義を感じられると戸惑ってしまう。

 

「たしかに私は一時期、命を狙われることや、根も葉もない噂を流されたことがありましたが――それを、弱き者を守るヘザー様がするわけがない思っていました。ですので、ヘザー様が追放された後に、国王陛下に密かに相談して、密偵に調べていただいたんです」

「――っ、陛下に?!」


 王妃殿下の顔が真っ青になる。国王直属の密偵が調べたとなると、逃げようがないと悟ったのだろう。

 国王直属の密偵は優秀だし、調べた内容は漏れなく全て国王の耳に入る。もしもアシュリー様が単独で調査していたのなら誤魔化せたのかもしれないが、国王も一緒となると、そうはいかない。

 

 王妃殿下の取り繕っていた表情は崩れ、ガチガチと歯を鳴らして震えている。


「王妃殿下が暗殺ギルドに依頼して私を死なない程度に襲わせたことも、王宮の侍女にお金を握らせてあらぬ噂を立てたことも、全て調べましたわ。関係者は全員、拘束して自白させましたの。もう逃げ場はありませんよ?」

「そ、そんな……私は何も……」

「何もしていないわけがないでしょう。胸に手を当てて聞いてみるといい」


 聞き覚えのある、もったいぶった声が聞こえた。この声の主は確か――神殿長。

 私を見るとゴミを見るような目で見てきた、あの神殿長だ。


 声がした方に顔を向けると、神殿長とそのおつきの聖騎士がこちらに歩み寄る。

 最後に見た時より少しやつれているその顔は、今まで見たことがないくらいしおらしい表情を浮かべている。


 この人もこんな顔ができるのかと、思わずまじまじと見つめてしまう。すると、神殿長はその場に膝をつき、そして額を地面に擦り付けた。

 突然のことで、すぐには状況を飲み込めなかった。

 

「なっ……何をしているんですか?!」

「……申し訳ございません。私が先入観に負け、あなたに罪がある決めつけてしまいました。聖職者にあるまじき失態です」

「私の無実をわかっていただけたのならけっこうですので、土下座はやめてください!」


 気に食わないと思っていたけれど、こんな謝罪を求めていたわけではない。立ち上がらせようと手を差し出すと、なぜかその手を神殿長ではなくハロルド様が取ってしまった。


「ハロルド様?」

「ん?」

「どうしてハロルド様が手を握っているの?」

「どうしてって、ヘザー様には私以外の男の手を握ってほしくないからだよ。もちろん、お義父さんは例外だけど」

「はい……?」

 

 唖然として言葉が続かなかった。

 その間に、ハロルド様は空いている方の手を神殿長に差し出して助け起こす。


 神殿長も最初は呆然としてハロルド様を見ていたけれど、その手を取って立ち上がった。

 

「――コホン。そういうことですので、王妃プリシラ、あなたを大量死傷事件の首謀者及び大聖女暗殺未遂の容疑者として拘束します」

 

 王妃殿下は聖騎士たちに連れられ、粗末な荷馬車に乗せられた。

 もう逃げ場がないとわかっているのにも関わらず、王妃は自分は悪くないと言い出す始末。その声は、荷馬車が遠ざかっている間も聞こえてくるのだった。


     *** 


 私たちは街に残り、街の人たちの治療と、騎士たちに壊された建物の修復にあたった。

 最初はアシュリー様と一部の聖騎士たちも残って手伝ってくれたのだけど、復興の兆しが見えた頃合いに王都へ帰った。

 これから、王妃プリシラの裁判の準備があるらしい。

 

 私も一緒に戻らないかと打診があったけれど、断った。

 もう神殿や王族と関わりたくない。慰謝料は貰いたいところだけど、それは後ほど神殿や王族から貰えるらしいから、わざわざ王妃殿下に関わる理由もない。

 そう言うと、アシュリー様はにっこりと微笑んで、「ヘザー様のその割り切った考えが大好きですわ」と言われるのだった。


 なぜか、その言葉を聞いたハロルド様から冷気のようなものを感じたのだけど、気のせいだと思っておく。


 そんなこんなで、街が元通りになった頃。

 街中では、道端で人間と魔族が笑顔で世間話をしているという、珍しい光景が当たり前のようになっていた。


 街の人たちは魔族にお礼として食べ物や街の特産品である銀細工の装飾品を贈り、魔族はそれをとても気に入ったらしい。

 

 変化といえばもう一つ。

 国王陛下が先日、自らこの地に赴いて、私とフローレアさんに謝罪をしに来た。

 王妃がこれまでに行ってきた悪行を見抜けず、私たちに不遇な道を歩ませてしまった償いだと言っていた。

 しかしフローレアさんが、魔王と出会えたから気にしないのだといったおかげで、魔王が上機嫌になった。ついでに、カロス王国と魔族は同盟を結び、互いの領民を傷つけないと約束を交わしたのだった。


 かくして魔界の扉は双方の協力により、常に開かれるようになった。


 そうしてついに、運命の日がやって来た。

 魔王とフローレアさんは魔界の扉の前にいて、二人とも私の方を向いている。

 

「ヘザー、お前はどうしたい?」

「私は……人間界にいたい」

「……そうか。それがヘザーの願いならしかたがない」


 魔王は眉根を下げ、しゅんとした顔になる。今にも泣きそうな彼を見ると、胸の奥がツキンと痛くなった。


「ヘザー、元気でね。ママもパパも、あなたの幸せを願っているわ」

「そうだぞ。もしも嫌なことがあったら、いつでもパパとママのもとにおいで。何があってもパパとママはヘザーの味方だ」

「……そう」

「元気でな。食事をしっかりとるんだぞ。無理をしてはいけない。厄介なことがあったら、あの小僧に押し付けろ。ヘザーの伴侶になるのはまだ許せないが、恋人くらいなら目を瞑ってやろう。それに――ああ、このままでは埒が明かないな……」


 とても弱々しい声でそう言うと、魔王とフローレアさんは手を取り合い、くるりと振り返る。


「またな、ヘザー」


 そう言い残し、二人は魔界の扉をくぐった。

 どんどん遠くなる背を見つめていると、視界がじんわりと滲んでいく。二人の姿が輪郭を失い、ぐにゃりと歪んだ。


「――っ」


 震える喉が、嗚咽を零す。

 どうして、と疑問を口にする前に、次々と声にならない声が出る。

 胸にぽっかりと穴が空いたような気がした。


「ヘザー様、追いかけましょう」


 ハロルド様の声が耳元に落ちると、ふわりと体が包まれる。彼が抱きしめてくれているのだと気づくのに、少し時間を要した。

 大きな掌が、背中をゆっくりと撫でてくれる。それがとても心地よかった。


「だって、泣いていますよ? まだお義父さんたちに話したいことがあるから、別れたくないんですよね?」


 そう言い、ハロルド様は指先で私の目元を拭ってくれた。

 涙でぐちゃぐちゃの顔になっているはずなのに、目が合うと優しく微笑んでくれる。

 

「私にしっかりと掴まっていてください」

「えっ?! ちょっと!」

 

 浮遊感がして、あっという間に視界が少し高くなった。

 目の前にはハロルド様の顔が近づく。睫毛の角度までしっかり見えるくらい近い。


「追いかけますよ」

「ま、待って! 私なんか抱えて走ったら、重くて腕が疲れるよ?!」

「全然重くないですよ。背中に羽が生えているのかと思ったくらいです」

「~~っ」

 

 ハロルド様は私を横向きにしっかりと抱えると、走り出した。

 魔王は私が細いと言っていたけれど、人間界では標準体型だ。そんな私を軽々と持ち上げ、走っているから驚きだ。

 

 魔界へ続く扉をくぐると、魔王とフローレアさんの背中が見えた。二人は思っていたよりゆっくりと進んでいたようで、すぐに追いつくことができた。


「あ、あの!」


 声を張り上げて呼び止めると、二人はすぐに振り向いてくれた。どちらも驚きに目を見開いているし――目が赤くなっている。

 フローレアさんは目元を拭う仕草を見せた。もしかすると、泣いていたのかもしれない。

 

「ヘザー、どうした?」

「何か忘れ物があったの?」


 ハロルド様に下ろしてもらった私に、魔王とフローレアさんが駆け寄ってくれる。

 

「たとえ嫌な事がなくても……次の満月の夜になったら、魔王城に遊びに行ってもいい?」

「来て……くれるのか?」

「うん。もっと、まお――パパとママと一緒に話したいから……」

「ヘ、ヘザーがパパと呼んでくれた!」

 

 魔王の赤い目から、涙が一筋落ちる。


「もちろんだよ。いつでも帰っておいで」


 魔王は――パパはそう言うと、フローレアさん――ママと一緒に、私を抱きしめてくれた。

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