第15話 拳士、入門する

 六畳の畳敷きの空間。

 それが、この道場であった。

 学生服姿で正座する棍宮クロウと相対しているのは、作務衣を着込んだ三十代半ばほどの男である。


「よく来たねえ、クロウ君。猿堂拳術道場へ、ようこそ。私が道場主の猿堂シシオだ」


 無精髭の男は、ニコニコと笑う。

 叔父の友人というこの男、座っていても重さというか、身体の中にある肉が詰まっている感じが、クロウには伝わってきていた。

 クロウは武術に関してはまったく門外漢ではあるが、猿堂がとても強いのは何となく分かった。


「よ、よろしくお願いします」


 クロウが両手を畳に着けて頭を下げると、猿堂は大きく笑った。


「ははは、そんなに固くならなくていいよ。といっても難しいか。まあ、追々慣れてくれればいい。それで、君はどれぐらい強くなりたいのかな?」


 直球である。


「えっと、その……」


 クロウは、学生服の下の、痛む身体を思い出した。

 弄りという名の、複数人での暴行による痛みで、身体には幾つもの痣がある。

 猿堂は、クロウの言葉を待っていた。


「うん」

「じ、自分の身を……自分の自信が持てるぐらいには、強くなりたいです」


 言ってて、ちょっと何言ってるのか分からないな、とクロウは反省した。

 勝ちたいとか、そういうモノではない。

 相手を分からせる、なんてことを考えたら、相手と同じレベルに落ちそうで怖い。

 ただ、不条理な暴力をはね除けられるぐらいの力が欲しい、というのがクロウの望みであった。


「なるほど、分かった。自分の身を、自分で守れるぐらい強くなれれば、自信も自然と持てるようになるだろう。そうだな、具体的には集団相手にも後れを取らないぐらいかな」


 猿堂はまさしく、クロウの望みを口にした。


「そ、それぐらいで……」

「問題ない。ああ、でもウチの道場は、昨今のこういうところと同様に、ダンジョンに入ることになる。だから、その許可は保護者の方からもらうことになっている。棍宮……ああ、君の叔父さんの説明や、、表の門下生募集の張り紙にもあったと思うけど、そこは大丈夫かな?」

「だ、大丈夫です!」


 クロウの、家族への説得は既に終わっている。

 動機に関しては、何となく察しているようだったが、黙認してくれているのはありがたい。

 叔父が、後押ししてくれたことも大きかった。


「用意がいいねえ。ちなみに武術の経験は?」

「あ、ありません!」


 どちらかといえば内向的な性格のクロウは、運動自体あまり得意ではない。

 体育の成績も、せいぜいが下の上といったところだろう。

 クロウの答えを聞いた猿堂だったが、表情は相変わらず笑顔のままだった。


「そうかい。初心者大歓迎だ。何か聞きたいことはあるかね?」

「え、えっと、他の門下生はおられないのでしょうか?」


 何しろ六畳の道場である。

 隠れる場所はないし、或いは今日は、稽古が休みの日なのか。

 クロウの疑問に、猿堂はパンと膝を叩いた。


「はっはっは、現状君が、唯一の門下生だ」

「えええええ!?」


 経営が成り立っていないのではないだろうか。

 いや、他に何か仕事をしているのかもしれない。

 そこはクロウが心配することではないが、それでもやはり不安であった。


「ははは、お恥ずかしい話だが、隣の剣道場が大繁盛でね。ウチは全然なのだよ。というか、そもそも道場と気付かれていない節がある。入り口が小さいからね」

「それは……まあ、分かります」


 道場は小さく、入り口も本当に小さな日本家屋のくぐり戸というのか、これもまた本当に小さかった。

 クロウも入るのに、躊躇したぐらいである。


「ちなみにウチには道着はない。普段の生活からして戦闘状態、みたいな部分があるからね。ダンジョンも普段着で入るよ」

「ええっ!?」


 ダンジョンに入る際には、プロテクターを身に付けるのが常識だ。

 軽くて頑丈なプロテクターは、一番安いモノでもモンスターの物理攻撃を防ぐことが出来る。

 それなしでダンジョンに入るなんて、本当に大丈夫だろうか……。

 そんなクロウの不安を読んだように、猿堂はニカッと笑った。


「大丈夫。私も同行するからね」




 そしてあれよあれよと、ダンジョンの中に入ることになった。

 スタンダードな石壁の回廊型だ。

 ダンジョン前には探索者協会のガードマンもいるのだが、猿堂が書類を見せるとあっさりと通ることが出来た。

 少し歩くと、すぐにスライムと遭遇した。

 距離はまだ充分にあり、例え飛び掛かられたとして、クロウでも回避することが出来るだろう。

 なお、探索者としての職業は猿堂は拳聖、クロウはノービスであるが、格闘戦を重視することで拳士になることができるので、成長後はこれを選ぶことになっている。


「最初の内は、私が戦う。クロウ君は、後ろで私の動きを見ていること」

「は、はい」


 前衛に立つ猿堂が、コキリと首を鳴らした。

 気楽そうに見えて、スライムからはまったく目を離していなかった。


「この第一層は、何故かモンスターは一体ずつしか出てこないんだ。だから、戦闘中の不意打ちの心配はないよ。安心してくれ」

「わ、分かりました」

「では――」


 す、と猿堂は滑らかな動きでスライムと距離を詰め、蹴りを放った。

 下段の蹴りを食らったスライムは、ゼリーが砕けるような音をさせて、消滅した。

 残ったのは小さな魔石だけだ。


「す、すごい。一撃で……」

「それはまあ、これでも道場主だからね。ここで、君がダメージを負っても軽傷程度になるまでは、私が戦う。そこから先は、君が戦うことになる。危なくなったら私が手助けをするけれど」

「は、はい……!」


 クロウは両拳をグッと固めた。

 それを見て、猿堂がまた笑った。


「ははは、まだ先の話だから、緊張するには早すぎるよ。それと私の動きだけではなく、モンスターの動きも見ておくといい。イメージで戦うなら、家でもできるしね」

「確かに……やってみます」


 猿堂に言われた通り、クロウは猿堂とモンスターの動きを集中してみるよう、努めるようになった。

 その日は、ひたすら見学するだけで終わってしまった。




 翌日。

 同じダンジョンで、いよいよクロウがモンスター討伐を行うこととなった。

 戦う前に、猿堂は簡単な攻撃と防御のレクチャーを、クロウに施した。

 一発当てたら、後ろへ下がる。

 今回の相手もスライムだ。

 ペチンと、弾力のあるスライムの身体に拳を当て、すぐに後ろへと下がる。

 モンスターの相手も、もう二十回は超えていた。

 スライムだけではなく、ゴブリンやバットや小さなウルフの相手もした。小ウルフの相手が一番手こずったが、怪我は猿堂が治療をしてくれた。


「そうそう、いい調子だ」

「は、はい! ……あの」


 クロウはスライムから目を離さないまま、猿堂に声を掛けた。

 ペチン、と当ててまた下がる。


「うん?」


 猿堂の声が、遠い。


「どうして、そんなに距離を取るんですか?」


 クロウは大きめの声で、問うた。

 スライムと戦うクロウと、後ろに立つ猿堂との距離は十数メートルはあったのだ。


「ああ、ダンジョンにはルールがあってね。ある程度距離が近いと、パーティー扱いになって、いわゆる経験値が分配されるんだ。そうして、石板に刻まれるレベルが高くなり、君の基礎ステータスも上昇する。最初の頃は、私が戦い、君にも分配されるようにしていた。わざとね。だけど、君が戦っている時に、私に経験値が分配されたら、それは成長の妨げだろう? 君が強くなる為の、探索なのだから。もちろん、最初に言った通り、君が危なくなったら助けるつもりだから、駆け付けられる距離にしているけどね」

「な、なるほど……」


 ペチン、とスタイムにまた一撃。

 ふるり、とスライムが振るえたかと思うと、身体がバラバラに砕け、小さな魔石が回廊に転がった。

 クロウの息が切れる。


「よし! 第一層は問題ないようだ。そろそろ第二層に挑戦してみようか。第二層からは、複数のモンスターが襲ってくる。気を引き締めよう」

「は、はい!」


 そうして、二人は第二層へと進み、今回もやはり猿堂の手本を見ることに、クロウは集中したのだった。




 ダンジョンの入り口に戻った二人は、左の石板の前に立った。

 手を当てて表示されたクロウのステータスを確認し、すぐに離れる。

 他にも石板を確認したい探索者は多いので、ステータス確認後はすぐに離れることが、探索者達の間ではマナーとなっていた。

 ノービスだけだったクロウの職業選択欄に、新たに拳士が加わっていた。


「職業、拳士で最初に覚えるべきは『チャクラ』だ。丹田に力を込め、全身に気を流し込む」


 ダンジョンには、入る人もいれば出てくる人もいる。

 そんな中、建物の隅で二人は話を続けていた。


「それで、強くなるんですか?」

「どちらかといえば、準備段階だな。この気を流す作業で、攻撃力や防御力を上げたり、体力回復ができるようになる」

「それは……確かに、最初に覚えたいですね」


 拳士のような格闘系の職業は、身軽さが大切で、プロテクターも重いモノは着用できない。

 ましてや猿堂は、そもそも着けさせてくれないという。

 ならば、防御力を高められるスキルは、重要だろう。


「本当に大切なのは、習得した後なんだ。『チャクラ』はスキルとして発動させれば、自動的に気が全身に流れるようになっている。けど、猿堂流はこれを、ダンジョン探索のスキルでなく自分自身で扱えるようにすることが、キモなんだ。最近動画でも流れてるけど、スキルの中には石板による習得ではなく、修練を積むことで再現できるモノもある。この『チャクラ』もこれに該当する」

「知ってます。えっと、つまり……ダンジョンの外でも、『チャクラ』が使えるように、なるんです?」


 猿堂の話を、クロウは頭の中で噛み砕いて、口にしてみた。


「そういうこと。そこで、君が猿堂流の門を叩いた理由を考えてみなさい」

「た、確かに『チャクラ』を覚えて、身体強化や回復ができるようになれば、自分の身を守れるようになりますね!」

「うん。『チャクラ』の次に習得すべきモノもあるんだが、それはまあ、もっと後の話に……」


 そんな話をしていると、ふとダンジョンに入ろうという一団から、声が掛かった。


「おいおい、棍宮じゃねえか。何してんだ、こんな所で」


 声を掛けてきたのは、金髪に染めた髪を後ろで束ねた、剣道着姿の少年だった。

 拝エイゾウ。

 クロウのクラスメイトだ。

 中肉中背のクロウに対し、背は高く、筋肉の付き方も見事だ。

 その後ろには、その友人である太っちょの鳥間とつり目の羽尻もいた。

 クラスメイトではあるが、友人ではない。

 仲良くもない彼に話しかけられ、クロウの身体が自然と強張ってしまった。


「え、あ、お、拝君……」


 そんなクロウを、猿堂が横目で見て、その視線をエイゾウに向けた。

 そんな猿堂に、エイゾウは気付かないで、ニヤニヤと笑っている。

 さらにその向こうには、同じ剣道着を着た若い一行が、こちらの様子を窺っていた。こちらに干渉する気はないようだ。


「まさか、お前みたいなカスがダンジョン探索? マジかよ。あ、もしかしてアレか? 弱っちいから強くなりたいですーってやつ? ぷぷっ、無理無理。戦いってのは、闘争本能が必要なんだよ。お前にゃ向いてねえよ」

「そ、それは」


 抗弁しようとするクロウに、ズイ、と距離を詰めてエイゾウは凄んだ。


「あぁっ!? 俺の言ってることが間違ってるっつーのかよ! ……殺すぞ」

「殺すまで出るとは、穏やかじゃないなあ」


 そんな二人の間に、猿堂は文字通り首を突っ込んだ。

 気配を消していた猿堂が突然割り込んだので、エイゾウは顔を引きつらせながら後ろに下がった。


「うわっ、何だオッサン!?」

「どうも。クロウ君の師匠になっている猿堂シシオという者だ。なるほど。なるほどねえ……その道着。犬威さんとこの門下生かぁ。それで、こっちは名乗ったんだが、君達は一体誰で、クロウ君とはどういう関係かな? 今のやり取りを聞いた感じ、友達ではなさそうだが?」

「俺は拝エイゾウ! ソイツとは、ただの腐れ縁だ!」

「鳥間キイチ!」「羽尻イツカ!」


 後ろの二人も、名を名乗った。

 クロウがどうしようか迷っている間も、猿堂とエイゾウの話は続く。


「自己紹介ありがとう。それで、クロウ君が強くなるのが無理と言っていたが、そんなことはないよ。彼は強くなれる。というか、今日一日で、昨日の彼よりもずいぶんと強くなっているしね」


 それは、クロウも分かる。

 少なくとも、ノービスから拳士にはなれたのだ。

 それに、第一層のモンスターとも、戦えるようになった。

 しかし、エイゾウはそれを鼻で笑った。


「はっ、下らねえ。昨日よりマシになってようが、所詮は棍宮じゃねえか」

「何なら試すかい?」

「せ、先生!」


 猿堂の挑発に誰よりも驚いたのは、クロウだった。

 けれど、止めようとするクロウを、猿堂は手で制した。


「大丈夫大丈夫……で、どうする、試すかい? まあ、一対三だと、さすがにちょっと厳しいけど、やり方次第かなぁ」


 エイゾウの額に、血管が浮かび上がった。


「ふざけんじゃねえ! 雑魚一人に三人とかありえねえだろ!」

「でも、いつも三人掛かりじゃないのかい?」

「なっ……!」


 まるで見ていたかのような猿堂の言葉に、エイゾウや他の二人の顔が真っ赤になった。

 実際その通りなのだが、どうして猿堂はそれが分かったのだろうか、クロウには不思議だった。

 そう、クロウが強くなりたい理由は、彼らの言う『イジリ』から逃れる為であった。

 クロウはそれを『イジリ』なんてモノではないと思っている。アレはもう、『イジメ』である。

 しかし、エイゾウと戦うとか、そういうのは何というか、まだ早すぎるとクロウは思うのだ。


「ふふふ、そこで言葉に詰まる辺りが子どもだねえ。何、犬威の爺さんとは知り合いでね。そういう勝負なら、喜んで賛成してくれるよ。で、真面目な話どうするんだい? 一対三? それとも一対一?」


 猿堂の挑発と提案に、エイゾウはあっさりと乗った。


「上等だ。やってやろうじゃねえか。俺と棍宮の一騎打ちだ。……オッサン、ウチの師範と知り合いってのは、マジなんだろうな」

「ああ、うん。君の口の利き方がなってないっていうのも伝えておくよ」

「はぁっ!? 告げ口とか、卑怯じゃねえか!?」


 慌てるエイゾウに対し、猿堂はニヤニヤと笑っていた。


「年配の人間に対する口の利き方がなっていないっていうのは、ただの事実だろう? 犬威剣道場の門下生は礼儀もなっていない、とかいう噂は評判に関わるだろうから、その辺は……ご愁傷様だな、少年。勝負の時期とかは、犬威の爺さんの方から行くと思う。ああ、一応言っておくけど、その試合の前に、勝手に一対三の勝負とか、やめてくれよ。準備が台無しになる」

「しねえよ! クソが! おい、行くぞ!」


 エイゾウは身を翻し、後ろで待っていた一行に合流しに向かう。

 取り巻き二人も、その後ろを慌てて追いかけていった。

 えらいことになった、とクロウは思った。


「せ、先生、無茶ですよ! 拝君の身体、見たでしょう!? メチャクチャ、力が強いんですよ!?」

「本当に、大丈夫だよ。彼との勝負までに、君は強くなる。私が強くするからね」


 どうやら、猿堂には、勝つ見込みがあるようだ。

 こうなっては……腹を括るしかないかもしれない、とクロウも考える。


「それに、そもそも力だけなら、このダンジョンのモンスターは大概、人間よりも強いよ。力の強さは勝敗に有利に働くけど……絶対じゃあない。それに犬威の爺さんとこは今、息子の師範代がちょっと、ね。ボヤいていたし、いい機会ではあるんだ」


 にいぃ、とちょっと物騒な感じの笑みを、猿堂は浮かべていた。


「……先生、何考えてるんです?」

「うーん、今はクロウ君を鍛えることかな?」


 かくして、棍宮クロウと拝エイゾウの対決が、決定したのだった。






 基本的に一話完結を銘打っていますが、さすがにこれは続きを書かなきゃならんな、と思っています。

 近日公開。

 明日になるか先になるかは、私も不明です。

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