十七節〈今宵の月はとても美しい〉
瞬間、身体が傾いた。
戦闘が終わった安心感からか、それとも肉体の限界か。
もしくは、その両方か。
レイフォードは、受け身も取れず崩れ落ちた。
「────レイ……!」
ユフィリアは、悲痛な叫びと共に彼に駆け寄る。
倒れた衝撃で床に広がった血液は、夥しい量であった。
しかし、それ以上に。
それ以上にいけなかったのは、
「無茶し過ぎたなあ……」
「喋らないで! 傷が、傷が広がっちゃう!」
「……もう、無理だよ」
ユフィリアは、レイフォードの患部を抑える。
腹部の中心、大きな動脈が通っているところ。
両手を
それでも、流血は収まらない。
レイフォードは分かっていた。
自分はもう、生きられないと。
これは、魂そのものが死んでしまうのだ。
肉体だけあっても、意味は無かった。
「なんで、なんでこんな……?!」
「……源素は、肉体と魂両方に作用する。
今まで、何も言ってなかったよね。
僕の病気は……源素が、肉体も魂も壊してしまうものなんだ」
「そんな……!」
ぽろり、と瞳から雫が零れ落ちた。
レイフォードの頬に、彼女の涙が滴る。
「……ごめん、約束守れそうにないや」
「違う、違うの。そういうことじゃ、なくて」
上手く息も吸えなくて、ユフィリアは呼吸がままならない。
胸が張り裂けそうなほど痛くて堪らない。
そんなユフィリアを、レイフォードはただ見ているしか出来なかった。
いや、ただ見ることさえも出来なかった。
視界は霞み、朧気な輪郭ほどしか解らない。
涙を流す少女の顔すら見えなかった。
もっとよく見たい、そう思っても血濡れた手では彼女を引き寄せられない。
純白の彼女を穢せなかった。
ユフィリアは、大粒の涙を零し、レイフォードに縋り付く。
もう痛みなんてどこも感じないはずなのに、心がちくりと痛んだ。
肉体は、もう半分ほどが光へ変わっている。
足先から徐々に、レイフォードを溶かしていく。
残された時間は、数えられるほど。
共にいられる時間は、限られていた。
「……ユフィ、伝えたいことがあるんだ。
だから、僕に顔を見せて」
俯いていたユフィリアに声を掛ける。
弱々しく、掠れた声。
けれど、彼女はそれを聞き届けてくれた。
ようやく見えた、少女の顔。
つい数時間前、互いの息が混ざるほど近くにあった顔。
雲のように純白の髪が垂れ、煌めく
「……そんな顔しないで。
僕は、ユフィに笑っていて欲しいんだよ……?」
「……笑えるはずないじゃない……!」
それはそうだ。
だから、レイフォードは皆の記憶から消えようとしたのだから。
こんなはずじゃなかったのに。
誰もいないところで、一人で死んで。
誰も知らないように、一人消えて。
皆が笑っていられるようにしたかったのに。
これじゃあ、駄目じゃないか。
一番哀しませたくなかった人を、哀しませてしまっている。
君が舞台に上がってきたから。
それとも、僕が舞台を降りてしまったから。
脚本にない
そんなことをしてしまえば、結末が変わることなんて予想付いただろうに。
なら、もういっそのこと。
全部壊してしまおう。
自分で描いた脚本を。
演出も、役も、全部。
「────世界で一番、君を愛している」
ずっと、君を愛し続けていた。
出会った時から、ずっと。
届かないと知っていた。
それでも、手を伸ばすのを止められなかった。
無駄だと知っていても、意味が無いと知っていても。
伸ばさずにはいられなかった。
レイフォード・アーデルヴァイト。
仮初の命。
堕ちて壊れた、機械仕掛けの
そんな
手を伸ばし続けたからこそ、
どうか、赦してほしい。
君の記憶に遺ってしまうことを。
君の記憶から消えてしまうことを。
それでも、愛を伝えることを。
どうか、どうか赦してほしい。
手を伸ばす。
触れられないと分かっていても。
少年は、手を伸ばした。
「────君が好きだ」
この世界の誰よりも、この世界の何よりも。
君のことが、好きだったんだ。
誰かが問う。
────それは、誰に向けた言葉なのだろう。
答えは、決まっている。
僕の、大切な人。
僕の、愛する人。
他の誰でもない、君に向けた愛言葉だ。
────ああ、今宵の月はとても美しい。
光が弾ける。
少年の身体が、全て光に変わる。
「……嫌、いや! いかないで!」
空中に舞う光を、少女は掻き集めた。
藻掻いて、藻掻いて、藻掻き続ける。
届かない星月に、手を伸ばすように。
しかし、どれだけ掴んでも光は世界に溶けていく。
泡沫、水面に映る月。
正しく、実体のない
「────……あ」
最期の一粒。
それが少女の指に触れる。
暖かく、明るい光を帯びて。
少女に寄り添って。
それは、儚く消えていった。
「────ああ、ああ」
慟哭。
誰にも聞こえない宵闇の帳の中で、少女は泣き叫ぶ。
この夜空に、星月は無い。
閉ざされた檻の中、少女の哀は絶えることはなかった。
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