番外〈飛花落葉に至るまで〉
花咲く庭園。
風がそよ吹き花弁が舞う。
拓けた位置にて向かい合う少年少女。
彼らが手に持つのは子供用の木剣だ。
長さは
表面は滑らかに削られ、剣としての機能を果たすことはない。
しかし、確かに質量を伴った少女のそれが少年に襲い掛かる。
勢い良く振り下ろされた刀身は空を切った。
少年が背後に後退し、僅かに届かなくなったからだ。
剣の持ち主たる少女は、空かさず切り上げる。
袈裟斬りから左逆袈裟斬り、一文字斬り。
相手に反撃の隙を与えぬように、少女は攻め続ける。
だが、少年に当たることはない。
全て紙一重で躱されてしまう。
焦燥感が兼筋に滲み始める。
筋力差や体力差の面から、長期戦になればなるほど少女の勝ち筋は無くなっていく。
だから、短期で決めなければいけない。
だというのに、決定打どころか一度も当てることすらできない。
ならば、と少女は一度距離を取る。
そして剣を天高く掲げた。
剣速なら、少女が少年を上回っている。
一撃でも当てて体制を崩すことができれば、その時点で少女の勝利は確定するだろう。
大きく息を吸って、吐く。
相手の一挙手一投足を見逃さないように、目を見開く。
両者の間に、氷のように冷えた空気が流れた。
この一撃で勝負が決まる。
どちらもそれを理解していたのだ。
風の音がやけに大きく聞こえる。
木の葉が流れ、鳥が囀る。
地を踏む足に力が籠った。剣を握る手に力が籠った。
両者の集中が最高潮に到達した瞬間、仕掛けたのは少女だった。
爆発的に解放された力が草地を蹴る。
少女が出せる最高速で少年に肉薄する。
そうして、雷の如く大上段に構えた剣を振り下ろ────さなかった。
寸前で勢いそのままに脇下に引き込み、正面に突き出す。
全力の
虚を衝かれた少年は一瞬反応が遅れてしまう。
疾風迅雷の一突きが、柄空きの少年の胴体を捉えた。
────獲った。
少女が確信した瞬間だった。
視界から少年の姿が消える。
そして足への僅かな衝撃の後、突如天地が逆転した。
地に着く背。移り変わる緑と蒼。差し向けられる剣先。
「勝者、アニスフィア!」
叫ばれたのは、少女の敗北を告げる言葉。
つまり、少年の勝利を告げる言葉だった。
遠くで彼らの弟が拍手をする音が聞こえる。
「……惜しかったね、リーゼ。
危なく負けるところだった」
「……今日こそは勝てると思ったのにい……」
リーゼロッテは頬を膨らませ、自身を見下ろすアニスフィアを睨んだ。
剣を左手に持ち替え、アニスフィアは右手を差し出す。
不服ながらもリーゼロッテはその手を掴み、立ち上がった。
背に付いた草を叩いて払うと、人差し指を勢い良く向ける。
「絶対ぜったい、お兄様が進学する前にボッコボコにしてみせるんだから!」
「兄としても男としても負けられないなあ、それは。
後、人を指差さない」
賑やかに会話する二人から少し離れた場所。
軒下の日陰に座り込む少年は、微笑ましそうに見守る女性へと話し掛けた。
「二人とも凄かったですね、母上!」
「ええ、本当に」
母と呼ばれた女性、クラウディアは余裕そうに笑うアニスフィアを見て、くすりと笑い掛けてしまう。
彼は来年中には一本取られる、そう分かってしまったからだ。
先の試合だって、一秒判断が遅ければリーゼロッテの一撃が入っていた。
防ぐことはできない、突きを避けることはできても追撃が避けれない。
そんな極限状態を切り抜けるため、咄嗟にした足払いが功を制しただけ。
次また同じような状態になっても、今回のように上手くはいかない。
二歳下の妹に負けそうになって、今頃滝のような冷や汗をかいているであろう少年の背を、にやけながら見つめていた。
「お母様! もう一試合やりますから、審判お願いします!」
リーゼロッテが元気に声を張り上げる。
彼女の顔はやる気に満ちていた。
「いいけど、怪我しないようにね」
「分かっています! レイもちゃんと見ててよね!」
「はいはい」
いい加減に返事した弟、レイフォードの態度が気に入らなかったのか、リーゼロッテはレイフォードの頬を摘み上げた。
「生意気な口はここかあ! 三歳下のくせにい!」
「痛い、痛いです姉上!」
頬を捻り上げられ呂律が回らなくなる中、レイフォードは謝り続ける。
だが、リーゼロッテはどんなに謝罪されても手を止めることはなかった。
縦に伸ばしたり横に伸ばしたり、まだ幼い弟の頬を思い思いに引っ張る。
「こらこら、レイが泣く前に止めなさい」
アニスフィアが制止したことで、レイフォードは姉の暴虐から解放される。
リーゼロッテに思う存分伸ばされた頬は赤く腫れていた。
「姉上酷い、やっぱり脳まで筋肉でできているんだ!」
「……へえ、いいよ。もう一度やってあげる」
「だから止めなさい。レイも余計なこと言わないの」
再び始まりかけた姉弟喧嘩をまたもや制止する。
喧嘩っ早い下の子を持つと苦労するのだ。
アニスフィアを挟んで啀み合う二人。
正に一触即発と言うべきだった。
そんな険悪な雰囲気を拍手が貫く。その拍手の主は、溜息を吐きながらリーゼロッテたちの思考を誘導した。
「リーゼ、試合やらないの?
やらないのだったら、私はそこでお茶でもするわ」
「お茶?! ……でも、試合やりたい」
クラウディアは後方にあった
少しずれているとしても、リーゼロッテだって八歳の女の子だ。
お菓子もおしゃべりも好きなのだ。
「試合はいつでもできるよ。
今日は終わりにしてお茶にしよう?」
「……でもでも、お兄様いつも理由付けて逃げちゃうし。
やっと捕まえて、やるって言ってくれたし」
その言葉にアニスフィアがぴしりと固まり、遠い目をした。
だって仕方ないだろう。試合をしたら負けるかもしれないのだから。
せめて、来年の夏くらいまでは負け無しでいたい。
それは、急成長を遂げる妹へのちょっとした抵抗だった。
「……分かった。また後でやってあげるから」
「……いいの? やったあ!」
今度試合をするまでに鍛え直してもらわないと行けないな。
剣の師であるとある使用人に、過激な訓練をさせられることが決定した瞬間であった。
「話は纏まったわね? ならお茶にしましょう」
少年少女と一人の女性は楽しく春の日差しの元で過ごしていく。
暦上では未だ冬であるが、もう春と言っても過言ではない。
花も風も、春の訪れを喜んでいるようだった。
とある男は、庭園で笑う彼ら彼女らを屋敷の二階の窓から見つめていた。
頬が緩んでしまっていることを自覚して、ばちりと叩き活を入れ直す。
愛おしい家族が笑って過ごす日々。
それが男の、シルヴェスタの生きる活力であり理由だった。
願わくば、永遠にこんな日々が続きますように。
手に持っていた紅茶を啜った。
アリステラ王国歴一四〇四年、遊戯の月二十六日。
暖かな春風がそよぐある日のことである。
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