#6 石化事件
「弟くん、ちょっといいですか?」
出番が来ないうちにとトイレに行った帰り、車輪の音と紅茶の匂いに足を阻まれた。
べたつくタイプの少し苦手な甘ったるさは、歌声と同じ。
「
「ちゃんと、配信上でもお手洗いを宣言して抜けてきましたよ」
だからか、
若干の威圧感にたじろいでしまうのは、ただ俺が彼のことを苦手だという問題の範疇なんだろうか。
多分
だから、視線の向きとしてはいつも思い切り見下ろしているのに、むしろいつも見上げているような気分になるのかもしれない。
「トイレならここの角を右」
「ああいや、お手洗いの場所を聞きたかったんじゃなくって。最近ってニュース見てますか?」
「見てない。別にお前みたいな便利屋してないし」
VTuber
本人も幽霊のゴーストバスター。
そして、この設定は演者である彼の副業をモチーフに作られた。
ドラマなんかでは、探偵役やその助手としてよく出て来るタイプの
機材というか機械全般に強く、イラストレーターとしての顔も広い彼は、まさに情報屋として適任なんだろう。
ドラマと大きく違うところは、車椅子で行動する彼自身が現場に乗り込む訳ではないってこと。
非常に気まずいことに、俺は
もちろんそれは、
それは不幸な事故だったけれど、幸いにも
目を覚ました
事故で轢いてしまったけれど大切に育てられてはいたのだから、当然
でも、それって被害者と加害者の同居だ。しかも、事故現場での。
迷子紐を着けていそうな年齢だったらしい
誰だけが悪いという話でも無く、ただただ事故で、だからこそ彼の家族との折り合いのぎこちなさはどうしようも無かったらしい。
「この辺りで、石化する傷害事件が相次いでいるんですよ。八百万の神と
その全容までが解明されているとまでは言わないけれど、まあ俺だったら右腕に鉱石が見えていて、鉱石を自分の思うように変形させられる、くらいまではカルテに記載されているはずだ。
ただ、もちろん
それでも、歴史に名を残している
「で、何? 俺のこと疑ってんの?」
「いや? 弟くん、最近出かけてないですよね」
「なんで決めつけるんだよ。兄貴から聞いた?」
「もちろん」
「俺のこと嗅ぎまわってんの? 俺はメドゥーサじゃねえぞ」
「知ってますよ。でも、やろうと思えば似たようなことは出来ますよね? 例えば、表皮を鉱石で覆うとか」
ココアの缶だ、未開封の。
「まあ、そうだな」
廊下に響いたのは、何か硬いもの同士が擦れたような音。
俺の顔からは粉のような破片が剥がれ落ちた。
――俺の年齢が三歳に決定された、最大の理由。
見た目が二十代だとしても、そもそもその見た目を構成しているのが鉱石だから。
二十代の見た目そのものが、
鉱石で出来ている全身のうち、右腕だけは普段からうまく見た目や質感をカモフラージュ出来ていないという表現が限りなく実態に等しい。
自分でも、自分の体を構成している物質がどういうものなのかイマイチ分からない。
右腕の一部分以外は人の皮膚くらいの柔らかさを保っているのに、軽い衝撃を受けると勝手に硬化する。
衝撃吸収材と似たような性質を持つらしく、どうやら他の人よりもかなり衝撃と感じる基準点が違うのは便利だけれど。
「……あ、受け取り損ねたわ、すまん」
咄嗟に体の前を手で庇ってしまってから、きっと意図が違ったのだと気づいた。
投げつけたんじゃなくて、高さに差がある俺に向かって投げ渡しただけだ。
俺が、受け取ろうとせずに防御姿勢を取ってしまっただけで。
「いや、こっちこそ、声を掛ければよかった」
攻撃する意図があったにしては、俺が自分を庇った時、
つまり、差し入れかスタッフの用意したものかは知らないけれど、俺宛てのものが別スタジオに混ざっていたから渡そうとしただけだろう。
「防御なら防御で、それこそ話してたバリアでも貼るかと」
「こんな狭い場所でバリア作って、お前が怪我したら困る」
「え、オレのこと心配してくれたんですか」
「な訳。疑われてる身で脛に余計な傷作りたくないだけだわ」
バリアなんて仰々しいものを作らなくたって、きっといくらでもやりようはあった。
缶を撃ち落とすとか、缶を叩き落とすとか。
一切動かなかったのは、俺の保身だ。
「オレが思っていたよりも、弟くんが冷静でよかった」
「あっそ」
俺が生後一か月に満たない頃、発話も曖昧で、自分の状態も把握出来ていなかった時期。
俺は、他の患者が飛ばしたサッカーボールが顔面に当たるより早く、ナイフを手から生やして切り裂いてしまったらしい。
ハサミひとつ持ち込めないような病棟に居たところで、自分の体から鉱石を生やせる奴には意味が無い。
その当時は鉱石の出力や制御も不安定だったから、自分の手で掴んで振るう短刀にしかならなかったのがせめてもの救いか。
今となっては、ダーツや弓矢の代わりに鉱石を的の中心へ突き刺せる程度の精度で制御出来るけれど。
当時、そんなことが出来ていたら、怪我人を出していてもおかしくなかった。
「正義に狂った民衆に焼き殺されないように、気をつけて」
「ご忠告、どうも」
「じゃ、オレは戻りますね」
「トイレは?」
「ああ、それはただの口実。そもそもオレ、このスタジオではひとりでトイレ入るの大変なので。
「ほんとそういうところ過保護だよな」
「過保護にしてもし足りないくらい、繊細ですからね」
俺が
「ああ、あと、今日の打ち上げには来てくださいね。そうじゃないと、オレが貴方を家まで送ることになるので」
「……やっぱり疑われてんじゃん」
唸り声を、喉の奥で鳴らした。
「まあまあ。今貴方が拘束されていないのは、廊下まで監視カメラ付きのマンションから貴方がここ最近一度も出入りしていなかったことが既に確認されていて、アリバイが完璧だからなんですから」
セキュリティのしっかりしたマンションの高層階に住んでいて、ストーカー対策以外にこんなメリットがあるとは。
「捜査対象ではあるってこと?」
「そうですね。まあオレは首を突っ込む権利を得た
「カトリって何」
「カトリを知らないんですか。怪奇現象取締官の略ですよ」
「ああ、それ?」
麻薬取締官がマトリと略されるのはドラマで見たことがあったけれど、怪奇現象取締官はカトリになるのか。
警察官とは思えない姿で麻薬の流通現場に潜り込み、麻薬の摘発を行うのがマトリなら、警察官とは思えない姿で
「一体何年日本に住んで……ああ、三歳か、このガキ」
「馬鹿にしてる?」
「まあそれなりに。見た目でつい、成人として扱おうとしてしまうので、自戒も込めて。貴方は保護対象なんですから、大人しくしていてくださいね」
コイツのことが苦手な理由を、言語化されたような気がした。
一切対等な相手として見て貰えないから、腹が立つらしい。
地域のニュースに絞った時点で、石化事件がトップに出てきている。
石化した人間が相次いで路上で発見されている、というより、直前まで普通に歩いていた人が、いきなり石化しているらしい。
体表の石化により意思疎通が困難になっているが、石になったままでも呼吸は出来ており、今のところ命に別状は無い。
石化の速度を考えると、ひとり暮らしの人間が自宅で石化した場合は発見もされていないだろうことから、警察や区職員が単身者の安否確認に回っているらしい。
現在の被害者は十数名、年齢、性別、地域に共通点は無し。
「……ああ、これは」
石化した被害者の搬送時の様子が、ニュースの終盤で一瞬だけ映し出された。
布で隠され、ほとんどモザイク処理された中でも僅かに見えたその人物の足は、自分の右腕で見慣れた硬い白だった。
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