9 稽古中のある出来事

 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「早く立て、シン」

「…………」


 一方シンは、オズヴィーンに稽古をつけてもらっていた。


(そこらじゅうが痛い……)


 オズヴィーンは容赦がなかった。だがこれでもまだ優しめなのか、攻撃を入れる順番は変えないでくれた。


 左足に一発、右腹と左腹に一発ずつ、そして頭か肩に一発。計四発の打撃を入れられる。


 オズヴィーンに竹刀で叩かれた箇所が痛み、シンは顔を歪める。だがここで諦めれば、不要になった俺は死罪確定、そしてティアとの契約はなくなり、勇者を殺してもらえなくなる。


(諦める、もんか……)


 シンは重い身体を起き上がらせる。


「そうだ。早くしろ」

(鬼畜だろ……)


 心の中で毒づく。


 相手は魔王騎士団最強の男だ。シンとは年齢の差があり、体格差があり、そして何より種族が違う。


 同じ騎士団の魔族と同等な稽古をつけるのはやめてほしい、とシンは思った。


 だがーー


『絶対、強くなって、俺、ティアのこと守れるようになるから』


 そう、アストライアと約束したから、今シンは踏ん張ることができるのだ。


「もう一度……もう一度、お願いします」

「言われなくてもそのつもりだ」


 足に力を入れ、シンはオズヴィーンに立ち向かった。




(ふぅ、やっと休憩だ……)


 オズヴィーンの一時間みっちり稽古を終え、俺は唯一もらえる三分間の休憩に入った。


 全て受けきれない攻撃、それが一時間ずっと続く。立ち上がらなければ降参と捉えると言われ、降参すれば死罪と伝えられている。


 そして待ちに待った休憩はたったの三分のみ。


(……俺、二年も耐えられるのか?)


 だが、耐えられる、耐えられないの問題ではない。俺には生きるか、死ぬかだ。


 水分補給を終え、またオズヴィーンの方へ行こうとしたその時だった。


「おい」

「…………」


 シンに話しかけた者がいた。


 服装からして騎士団の者に間違いはなく、また頭から二本の大きなツノが生えていることから、魔族と見て間違いはなさそうだった。


 それが三人。全員シンよりも身長も体格も優れている者であった。


「俺ですか?」

「ああん? あんた以外にいると思っているのか?」

(いないだろうな)


 人間なんて存在が魔王公認のもと魔王場に在住しているのはシンぐらいだ。一応、シン以外の人間もいるのだが、それらは全て地下の牢獄に監禁されている。


 また、当然の如くシンは周りから嫌われていた。


 魔王の愛娘で第二王女アストライアのお気に入りで、騎士団長オズヴィーンから直々に稽古を受ける者。それが今のシンだ。


「俺らよりも弱い人間のくせに、勝手に王女様に取り入ったり、団長に育ててもらったりしてるんだよ。何か使ったのか? なぁ? なぁ!」

「…………」


 シンは一言も返さない。ただ、黙秘を続けるだけだ。


 初めて魔王城に来た時とは違って、シンは魔族たちの容姿や魔力に慣れてきた。


 すぐに殺されると思って来たが、魔王公認となった今、勝手にシンを殺すことは許されていない。


 殺せば大半の魔族は喜ぶだろうが、その一方でアストライアの逆鱗に触れることになる。また、魔王のめいに背いた者として、殺した者もまた殺されるのだ。


 そのため殺されるまでにはいかないものの、多少なりともいじめを受けることはあった。


 それが今の状況である。


「ほら、なんか言えよ」

「所詮は人間だもんな」

「こんなんで王女様の従者になれんのか?」

「なれるわけねぇだろ」

「そうだよなぁ、がぁーはっはっはっはっ!」


 魔族たちがシンを嘲笑う。シンは何も言い返さない。ここで争ってもシンに利はないし、魔族たちの思う壺だ。


 それに、シンはこの魔族たちが言っていることは正しいと思っているのだ。


(俺が弱いことなんて、知ってる)


 だから強くなってアストライアの従者になることを認めてもらいたいのだ。そのためにシンはオズヴィーンの地獄の稽古に耐えている。


(何とでも言えばいい)


 それでこの魔族たちの気が満たされるのであれば問題ない。


 そう、思っていたのだがーー。


「いやぁ、こんなやつを従者にしたいだなんて、王女様の頭はおかしいんじゃないか?」

「だな。こいつのどこがいいんだか」

「六歳だから仕方ないだろ、馬鹿なんだよ王女様は。まだ何もわかっていないピヨピヨの幼鳥なんだよ」

「!」


 アストライアの悪口まで言われると、シンは自分が震えているのがわかった。


「こいつを従者にするためにお部屋に監禁された王女様。まさに鳥籠の中の幼鳥だな」

「こりゃ傑作だ! 魔王様に甘やかされて育ったからだろう! ほんと、変な王女様だなぁ!」

「おい、お前ら。こいつ、震えているぞ」

「怖くなったってか? やっぱり人間だわ」

「ほら、泣くなよ人間。もっと無様になる」


 シンが震えているのは怖くなったからではない。


(許さない……)


 シン自身に何か言うのは好きにすればいいと思っていた。だが、アストライアまで好き勝手言われるのはどうしてもシンには許せなかった。


(馬鹿? 変? それはお前らだろ)


 アストライアは馬鹿ではない。むしろ魔族の幼女の中で最強と言われる天才児だ。


 たしかに思考は変わっているが、変と決めつけるのはまた筋違いなことである。


「…………な」

「ん? なんか言ったか?」

「ティアを……侮辱するなぁっ!」

「!!?」


 シンは攻撃を魔族たちに入れた。


 まず右の魔族の腹に一蹴り。つばと一緒になった吐瀉物としゃぶつが口から出る。


 シンは吐瀉物それが自分にかかる前に蹴った腹そこを踏み場にし、次に左の魔族の首に一殴り。ゴキッと一部の骨が砕ける音がし、その魔族は悲鳴を上げる。


 そして最後に真ん中の魔族の首を下から足で蹴り上げた。骨は折れずも、ミシミシとヒビが入る音がする。そして後方に倒れた。


 周りの騎士たちがどよめく。何が起こったのか、どうすればいいのか、などと言った空気が走る。


 一人残ったシンは、物足りないのか拳に力を入れる。そして二ターン目の攻撃に入れる。


 ーーが、それは嘲笑った魔族ではなく、ある者のてのひらに吸収された。


 それがーー


「き、騎士団長……!」


 オズヴィーンだった。


「聞いてください! こ、こいつ、俺らに暴力を……!」

「あっちが急に攻撃して来たんです!」

「…………」


 オズヴィーンに被害者だと騒ぎ立てる魔族たち。周りの者もそうだそうだとはやし立てる。


 オズヴィーンはシンを見る。


 シンは黙って静かにオズヴィーンを見つめていた。


「一旦沈まれ。……で、これは見せ物ではないのだが、野次馬をしている貴様らは私の出した課題を終えたのか?」

「! す、すみません! 今やります!」

「早くしろ。今は気が短い」

「は、はいぃぃっ!」


 こうして三人の魔族とシン、そしてオズヴィーン以外は散って行った。


 オズヴィーンはシンに訊く。


「何か言いたいことは?」

「…………こいつらはティアの悪口を言いました」

「っ!」


 魔族たちの体がビクッと跳ねる。


「だから殴り蹴ったのか?」

「はい。どのような処罰でも受けますが、この者たちにも王族への不敬罪で何かしら罰して欲しいです」

「そうか……」


 パンッ!と大きな音がした。


 オズヴィーンがシンに平手打ちをしたのだ。


 シンの頰が赤く腫れる。だがシンの表情は変わらない。オズヴィーンはもう一度叩く。そして、シンに叱責を飛ばした。


「馬鹿者っ!」

「!」


 オズヴィーンがこんなにも大きな声を出すなんて、シンは思ってもいなかった。


「貴様は人間なのだぞ!? こいつらが本気を出せば、貴様はすぐに死んでしまうんだぞ!」

「っそれは……」


 人間の命、ましてや平民の命など、すぐに吹き飛んでしまう。いつ死ぬかわからない環境で生きてきたシンは、自分の命を軽く見ていた。


「命は大事にしろ! 貴様にだって、死んでしまえば悲しむ者ぐらいいるだろう!?」

「…………」

(いるわけないじゃないか)


 シンを唯一大切にしてくれたのは、歳の離れた姉だけだった。そんな姉は勇者に攫われ、聖女として勇者に献身している。


 シンは姉を自由にするため、魔界に来てアストライアと主従契約を結んだのだった。


 姉はシンが魔界にいることを知らない。村の人には姉にシンのことを尋ねられたら死んだと言ってほしいと頼んである。


(だから俺には誰もーー)

「いないとは言わせないぞ」

「!」


 何故オズヴィーンは自分の言おうとしたことがわかるのだろうか、とシンは驚く。


「はぁ、少なくともアストライア姫殿下は悲しむ」

「! ……そう、ですかね」

(ティア…………)


 自分を助け、契約を結んだ主人。歳はシンより三つ下。魔王から溺愛される愛娘で第二王女。子供らしく振る舞うこともあれば、大人のように毅然としていることもある、不思議な主人。


 それが、シンの主人、アストライア・エイベル。


「そうだ。アストライア姫殿下に助けてもらったその命を捨てる気か?」

「……そんなつもりじゃ」

「なら、興奮を抑えるんだな」


 そう言うと、オズヴィーンはこっそり逃げようとしていた魔族たちに視線を移す。


 魔族たちはビクッと震え、そして全速力で逃げた。しかしオズヴィーンは容易く捕まえ、罰として関節技をする。


「ぎぃやあぁぁぁぁっ!!!」

「す、すみません団長! お慈悲を!」

「痛い痛い痛い痛い痛いっ!!!」

「これに懲りたならシンには関わらない方が賢明だぞ。……わかったか?」

「わわわわわわかりましたっ!」

「ずみまぜんでじだっ!」

「そ、それではこれで失礼しますっ!」


 ふっ、と冷たい目で魔族たちを見るオズヴィーン。そんなオズヴィーンをシンは驚嘆する。


「どうかしたか?」

「! その……どうして庇ってくれたんだ?」

「言葉遣い」

「……どうして庇ってくださったんですか?」


 少なくともシンは魔族が人間を庇うだなんて聞いたことがない。しかもシンを庇ったのは騎士団長のオズヴィーンだ。それなりに地位もある。


 オズヴィーンは少し間をおいて話した。


「……貴様が死ねば、アストライア姫殿下は怒りで魔力を暴走させる」

「え」

(ティアがそんなことするわけない)


 アストライアがシンを気に入っていることはシンもわかっていた。だが、シンはアストライアにとって大切な者だとわかっていない。


 だから自分の命を軽んじているのだ。シンはアストライアのことを、全然わかっていなかった。


「貴様のやることはただ一つだ。強くなってアストライア姫殿下をお守りすること。そのために私は貴様を育てているんだ。命を救われたなら、その命をもってアストライア姫殿下にお仕えしろ。わかったな」

「っ! はい」

「さて、休憩は三分と言ったが、なんと三十分も経っている。夜まで休憩なしで稽古するぞ。いいな」

「…………」


 シンは思わず顔を歪める。オズヴィーンはそんなシンに当然の処罰だと言い、「早くしろ」とシンを急かせた。


(あれ……)


 そしてふと、シンは気づく。


(俺の処罰、休憩なしってこと?)


 あまりにも軽すぎる。たしかにオズヴィーンの稽古は辛いが、死ぬことはない。休憩がなくなるともっと辛くなるが、その分強くなることができる。


(騎士団長って、意外と優しい?)

「ほらシン。早くしろ」

「あっ、すみません」


 何を考えているのかわからないオズヴィーンだが、実は優しいかもしれないと思うと、不思議な気持ちになるシンだった。



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