第4話 のんびりスローライフ

ネオアースでの初めての朝を迎えた。


太陽が地平線から登ってくるわけではない。

疑似太陽の光量が増していくだけのことだ。

疑似太陽はまったく動かないのかというと、そういうわけではない。

数時間をかけて上空をゆっくり移動している。

日が当たる部分がいつも同じにならないようにしているのだ。


ネオアースに天気はない。

毎日が快晴。

なぜって、雲がないからだ。雨も雪も降らない。風も吹かない。

雨が降らなくても水は計画的に循環されている。


それでは寂しいという地球からの移住者や、地球の「天気」を知らないシリンダー出身の人のために、地球の天気を疑似体験できる施設がつくられている。

そこに行けば、この宇宙ステーションでも雨、風、雪を体験できる。


傘をさしたりレインコートを着たりして人工雨の中を歩くというレジャーは、なかなか人気らしい。

そんなことにお金を使うのはバカバカしいと思ってしまうのだが、いずれは地球が恋しくなって、俺もそういうところに行くようになるかもしれない。


しかし、雨や風が娯楽になる時代が来るとは。


ネオアースができてから数十年が経過したこともあり、ネオアースで誕生した人たちも増えてきた。

ネオアース出身者はスラングで「宇宙人」と呼ばれる。

また、ネオアースが円柱状であることから「シリンダーズ」とも呼ばれている。


ネオアースで生まれネオアースで育った若者は、地球のことを学校での授業やメディアを通じて知る。地球旅行をするネオアース出身者も増えてきた。

人口比では、地球からの移住者の方が多いのだが、いずれは逆転する時代がくるのかもしれない。



ネオアースでの初めての出社。


俺は自分が担当する大豆工場に到着した。

俺の新しい職場だ。

俺は大豆を生産する農家になるのだ。


工場の中に入り説明を受ける。

ここでの大豆はすべて水耕栽培となっている。土を使わない農業だ。

地球のように天候に左右されず、安定して大豆を生産することができる。

害虫もいないし疫病対策も万全。

太陽光の強さや温度、湿度はすべて自動的にコントロールされている。

また、工場内の二酸化炭素濃度は生活圏よりも高めに設定されている。光合成の促進のためだ。

生活圏で排出された二酸化炭素の一部は、農業工場内へと送られる。こうしてネオアース内の空気の調整が行われているのだ。


俺が担当する大豆工場は大規模ではあるが、ほとんどの作業は機械が行うため、俺の仕事はリモートでの監視作業のみ。

機械が正常に動いているのかの点検と故障時の対応が俺の仕事。

スローライフをしたい者にとっては快適な職場だ。



大豆は良質のタンパク質を含む食品だ。

人間はタンパク質を摂らないと生きていない。

必須アミノ酸と言われる栄養素は、人間の体内で合成できないからだ。

よって、食品から摂取する必要がある。

大豆は必須アミノ酸をたくさん含んでおり栄養評価は高い。

タンパク質消化吸収率補正アミノ酸スコア(PDCAAS)での大豆の評価は最高スコアだ。

大豆は地球や宇宙で生きる我々人間にとって欠かせない食品。

大豆の生産に携わることで、我ながら誇らしい気持ちにもなれる。


出勤は基本的にはしなくてよく、自宅からのリモート監視でよい。

俺には時間がたっぷりとある。

ということで、読書や散歩などをしながらのんびりとネオアースでのスローライフを楽しんでいる。


かつて地球でしていた仕事は、人と接する仕事だった。

ほとんどが機械化された地球において高収入を得るには、人間相手の仕事をするのが一番手っ取り早かった。

人間相手の仕事は大きなストレスがかかる分、給料も高い。

こうして、俺はカネを貯めることには成功したが、カネと引き換えに自分の時間と心の健康を失ってしまった。

これが、スローライフに踏み切った大きな理由だ。


* * *


ネオアースでの生活も数ヶ月が過ぎた。


俺には、なんと彼女ができた。

ネオアース内のネットワークのコミュニティで彼女と知り合った。

彼女はネオアースで畜産業を営んでいる子だ。

デートを重ね、交際は順調に進展していった。


ある日、彼女は自分の職場を見せたいと言って畜産エリアに案内してくれた。

俺は初めて畜産エリアに入った。

そこにはたくさんの牛や馬、羊などの動物が飼われていた。

彼女の父も俺と同じように地球での人間関係に疲れ、ネオアースに渡って畜産業を始めたとのこと。

そして、彼女自身は宇宙人シリンダーズ、つまり、ネオアースで生まれ、ネオアースで育ったお嬢様だった。


ネオアースでの畜産には地球にはないメリットがある。

それは、畜産エリアと他のエリアを隔離することで大気汚染の問題を解決できるということだ。

地球では、温暖化が長期間にわたって続いており、地球の天候の不安定さに拍車をかけていた。

温暖化の原因の一つが温室効果ガスの増大だ。

昔の地球では温室効果ガスの「二酸化炭素」を目の敵にして排出量の削減に国家レベルで取り組んできていた。


にも関わらず、地球の温暖化は年々進んでいった。

温室効果ガスは二酸化炭素だけではなかった。

牛のゲップには「メタンガス」が含まれている。

メタンガスには二酸化炭素の25倍以上もの温室効果がある。

二酸化炭素ばかり規制するのではなく、メタンガスの方も厳しく制限すべきだったのだ。

しかし、二酸化炭素に比べてメタンガスの規制は難しかったのも事実。

二酸化炭素の抑制であれば化石燃料の消費を抑えれば良い。

しかし、牛のゲップを抑えるのは難しい。

餌の品質改善なども進んではきたがメタンガスを抑える決定打にはなれなかった。


そもそも、牛からなぜメタンガスが出るのか。

これは牛に限った話ではない。

羊、ヤギ、鹿もメタンガスを含むゲップをする。

共通しているのは「反芻動物」だということ。人間とは違って、胃を4つもっている。

メタンガスが発生するのは第一の胃での消化時だ。

第一の胃には微生物が住んでおり食物を分解する際にメタンガスを発生させている。

地球上には人間に飼育されている動物の他に野生の動物もいる。

牛・羊・ヤギ・鹿。反芻動物が地球環境に与えている影響は大きく、そして、人間の力では制御は難しい。


一方、ネオアースでは温室効果ガスの問題は発生しない。

太陽光に含まれる熱の成分は計画的にネオアース内に取り込まれているため、シリンダー内の気温は人間がコントロールできているからだ。

ネオアースの畜産エリアの空調はメタンガスの処理に特化したものになっている。

そういう意味において、ネオアースは畜産に適した場所といえるのだ。


人間嫌いの俺ではあったが、スローライフで時間に余裕ができてくると人とのつながりが恋しくなってくる。

俺には彼女ができたわけだが、彼女に会いに行くために畜産エリアに行くとネオアースの動物たちともふれあうことができる。それも楽しみ一つとなった。

地球で忙しく日々を送っていた頃は誰とも関わりたくなく、動物にも興味がなかったが、宇宙に来て俺はだいぶん変わったと思う。

やはり、スローライフはいいものだ。人や動物に寛容になれる。



俺が地球の話をすると、彼女はとても興味深く聞いてくれる。

地球にまだ行ったことがない彼女にとって、俺の話は新鮮に思えるのだろう。

彼女は目を輝かせながらこう言った。


「旧東京海中ビル群、見てみたい! 海の上にたくさんのビルが突き出しているんでしょ? すっごく不思議!」


「いや、不思議でもなんでもないよ。地球温暖化で海面が上昇して、東京が海に沈んだだけだ。旧東京は高層ビルが多かったからね」


俺は旧東京出身ではないが、俺の生まれた故郷も旧東京と同様に今では海の底になっている。俺に帰る故郷はない。

宇宙への移住を決意したのはこういった事情も背景にある。


日本は島国であるがゆえに、温暖化による海面の上昇によって国土を大きく失った。

海に近い平野に都市が発達してきたため、多くの大都市が失われた。

旧東京がその最たるものであった。

日本に住むところがなくなったのであれば大陸に引っ越せばよいのでは、とネオアース出身者は考えるようだが、地球には「国」の概念がある。

簡単には外国に移住できない。


こうして、日本では住むところが極端に減少し、大陸への移住を希望しない日本人の多くがネオアースへと移住していった。

ネオアースを開拓した人のほとんどが日本人だ。

ネオアースの法律や行政は、地球オールドアースの日本のものに準じているため住みやすく、移住先として人気が高まっている。



ある日、俺は彼女とデートに出かけた。

目的地は「メインピラー」だ。

メインピラーとは、ネオアースを支える柱の一つで柱の中にたくさんのお店や娯楽スポットが入っており、一日中楽しめる場所だ。


今回のお目当ては「無重力体験」。

俺たちはメインピラー内のエレベーターに乗り、ネオアースシリンダーの中心部へと向かう。

ネオアースの中心部には重力が発生しない。

宇宙空間に出ることなく無重力体験ができるのだ。

メインピラーのエレベーターは普通の建物のエレベーターとは異なっている。

全員が着席し、シートホルダーで体を座席に固定する。

普通のエレベーターは上からロープで吊るされており、ロープを巻き取るのに電力モーターを使う。

一方、メインピラーのエレベーターはロープで吊るされていない。なにせ、世界シリンダーの反対側までつながっているので、そもそも吊るすということができないのだ。

よって、磁気浮上式鉄道のように電磁石の力を使ってゴンドラを動かしている。

なぜ全員着席しないといけないのか。

それは、シリンダーの中心付近まで来ると重力がなくなり、ふわふわと体が浮かんでしまうからだ。

中心部分を通り過ぎればまた重力が復活するが、なんと、次は頭の方に重力が働いてしまう。

天地が逆になるということ。

よって、このエレベーターはシリンダーの中心付近まで来るとゴンドラが180度回転する。無重力状態でゴンドラが回転するため、乗っている人を座席に固定しておく必要があるのだ。

今まで頭があった方がシリンダーの反対側では足の方になる。なかなかにおもしろい。


俺たちは無重力空間で遊ぶため、シリンダーの中心部で降りた。

ふわふわと体が浮かぶので、手すりを持って移動する。


利用者登録を済ませ、さっそく無重力空間へと飛び出してみた。

彼女と手をつないで、ふわふわと浮かんでみる。

ネオアースに向かうシャトル内でも宇宙空間の飛行中は無重力自体にはなったが、あのときはシールホルダーで体が固定されており、遊泳はできなかった。

この部屋では思う存分、無重力体験ができる。

遊泳とは言っても、泳ぐ動作をしたところで移動することはできない。

移動用におもちゃのピストルのようなものを渡された。

この銃を撃つことで空間を移動するのだ。

試しに俺は正面に向かって銃を撃ってみた。

すると、俺は背中の方向へとバックしていく。

そのまま、背中が部屋の壁に当たったが、この部屋の壁には柔らかいクッションのようなものが壁に貼られているため、ぶつかっても痛くない。

彼女も試行錯誤しながら、銃で自分の位置をコントロールしようとしている。

何度もやるうちに感覚がつかめてきた。

俺たちは再び手をつなぎ、銃で同じ方向に撃ってみた。

二人分のパワーが加わり俺たちは手を繋いだまますごい速さで移動していく。

なかなかに楽しい!


こうして俺は彼女と無重力空間の遊泳を満喫した。


そして、これは事前にわかっていたことだが、彼女の顔はパンパンに膨らんでいる。

それは俺の顔も同じらしい。

彼女は膨らんだ俺の顔を見て大笑いする。

そっちだって、顔が膨らんでいるのに……

今、彼女に鏡を見せる訳にはいかないな。


無重力状態のため、下半身の血液が上半身に移動し顔がむくむムーンフェイスの状態になっている。

俺はネオアースに向かうシャトルの中で経験している。


彼女の顔は見たことがないような丸顔になっているが、それはそれでかわいい。

彼女の別の魅力を見た気がする。


空間遊泳は楽しかったが制限時間がきてしまった。

無重力状態は骨密度や筋力の低下、脱水症状などにつながるので、遊泳時間は制限されている。

カルシウムドリンクを飲みながら家路についた。


「また来ようね!」


と、パンパンの丸顔で言う彼女。

この丸顔も数時間でもとに戻るので心配はいらない。

俺は答える。


「うん。楽しかった。ネオアースに来てよかった」


「そっか、地球ではこういうところ、ないんだもんね」


「二人で地球に行くことがあったら、俺が地球の娯楽を教えてあげるよ」


「うん! いつか地球に連れて行ってね!」


地球が嫌になってネオアースに来た俺だったが、今の俺は彼女に地球の良さを教えたい気持ちになっていた。

二度と戻ることはないと思っていた地球だが、彼女と一緒なら地球に行ってみるのも楽しいかも。


ネオアースには自然が足りない。

山も川も海も観賞用としての人造的なものしかない。

登山が好きな人はネオアース内の人造山では物足りなくて、結局は地球に行って登山を楽しんでいるようだ。

海も地球のように水平線が見えるわけではなく、大きなプールのような感じで風情がない。

やはり、宇宙ステーション内で地球の自然を再現するには限界がある。


俺の仕事は順調で高品質の大豆を大量に生産することができた。

彼女の仕事の方も順調でネオアースでおいしいステーキが食べることができるのは彼女のおかげと言ってもよいだろう。

お金もだいぶん貯まってきた。


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