第16話
「マチェットは本物だから気を付けろよ」
驚愕の事実を鳴河の背中に浴びせる鮫島さんは、再びその彫りの深い顔を俺へと向ける。
そのあと鮫島さんは、マチェットが本物なのはリアリティを追及するためだとか、血は偽物の血糊だとか、目が充血しているのは爽快感の高い目薬を使ったからだとか、口が異様に臭いのはシュールストレミングという世界一臭い食べ物を口に塗ったからだとか、神と会話という設定は危ない奴のイメージを演出するためだとか、なるほどそうだったのかという話を頼んでもないのにしてくれた。
「お互い、いい経験になったな」
俺の肩をポンと叩くと、その場から去っていく鮫島さん。
しかし、全てを知った上で楽しみながら演技している鮫島さんと、何も知らずに心の底からリアルな恐怖を感じていた俺を、同じ〝いい経験〟で括ってほしくはないものだ。
そんな鮫島さんの無神経さにムッとしたところで、入れ替わるように生首のほうではない高柳が現れた。
「ごめんね、裕司。なんか騙した感じになっちゃってさ。これも全部、会長が本物の恐怖を撮りたいってごねるからさ。本当にごめん」
高柳は
「くはぁ、生き返ったっ」
「ははは。殺人鬼に殺されてはいなかったけどね」
「笑い事じゃないだろ。本物と言えば、本物のマチェットってなんだよ。そんな物を俺のすぐそばで振り回すとか、何考えてんだ、あの人」
特に最後の振り下ろしなど後頭部ぎりぎりだったが、樽井会長のカットの声がなかったら、そのままザクロのように頭がかち割れていたかもしれない。
「それもそうだけど、城戸をあんなにも乱暴に投げ飛ばすのもどうかと思ったよ。あれには、ちょっとむかっ腹が立ったかな」
高柳が廊下のほうを睨む。温厚な高柳にしては珍しく怒りを露わにして。
その様に俺は何か感じるところがあったが、口に出すことはしなかった。
「あー、でも、くっそぉ。今のも撮影だったとはなぁ。いや、撮影で良かったけどさぁ。ああ、マジでやられたぜ、くそっ」
「それは、ごめん。としか言えなくて、ごめん」
押さえ込まれた怒りがようやく表に出てきたと思ったら、そこに羞恥心が加わって苦笑いが出る。どう処理していいのか分からない混然とした感情は一旦脇に置くとして、俺は鮫島さんが氷塊してくれた以外の疑問点を高柳にぶつけることにした。
「ってことは、だぞ。例の✖✖市で起きた一家殺人事件ってのはもちろん」
「起きちゃいない」
「だよなぁ。どんなタイミングだよって感じだもんなぁ。でももしも、俺がネットで検索したら……って、あ、そうか、天王寺の野郎、あいつわざと押しやがったな」
「ご名答。検索されたらばれちゃうので、天王寺にはレフ板でパソコンを押す役を与えていたんだよ。うまくやれるか不安だったけど、結果はご存じの通り」
「検索しようとした俺は、結局パソコンに手が届かなくて調べられなくなりましたとさ。……はは、実に巧妙な手口ときたもんだ。となると、鳴河がなっかなか鍵を持ってこなかったのも、俺をずっと拘束状態に置いておくためにわざと、だよな?」
「ああ、裕司の拘束解いたら映画の撮影自体が成り立たなくなるからな」
鳴河の性格を考えると、例え打ち合わせをしなくとも鍵を持ってこなそうではある。それはそうと、鳴河如きが俺を嵌めやがってという憤懣遣るかたないものが込み上げるが、俺はそれを抑え込むと次のいくつかの疑問点の解消へと進む。
「窓ガラスのあの染みは?」
「もちろん、用意しておいた血糊」
「アットマークから始まる〈審判者〉の後釜みたいな、あれは誰だ?」
「それは俺。〈審判者〉でログアウトしたあと、別アカウントのそれでログインしたんだよ。文章もカタカナを使って不気味な感じを出してみたよ」
「ったく……。そうだ、綾野が小便から戻ってこない設定は何のためだ? 殺人鬼に殺されたのではと俺に思わせるためか? あいにく俺の思考はそこまで回らなかったがな」
「いや、それは本当だよ。ただ、小便じゃなくて大のほうだけどね。腹痛くてふんばっていたらしい」
「あいつも野糞かよ」
「でも俺、裕司を尊敬しちゃうな」
「何でだよ?」
今度こそ拘束を解いてもらって、伸びの一つでもしたいところだが、もう少し高柳の話に付き合う時間的猶予はある。
「いや、だって裕司はあの人を本当に殺人鬼だと思っていたわけだろ?」
「ああ、そうだな。殺されるお前らもいい演技しやがって、チクショー」
「その本物だと信じ込んでいる殺人鬼による〈表現ゲーム〉で、パニックにならずに文章を作り上げちゃうんだもんな」
「まあ、色々と悪知恵を働かせたからな」
「だとしてもだよ。寧ろあの状況下で悪知恵を働かせるところに、裕司の冷静さと機転の良さが現れていて、そこは会長なんかはすごい褒めていたよ」
〈化粧マスクの殺人鬼〉の撮影を終えたとき、樽井会長は俺の演技にパーフェクトの評価を付けた。あのとき俺は、そんな簡単に完璧な演技と称賛する樽井会長に違和感を覚えたものだ。しかし今となってはその理由が分かる。要は高柳殺人鬼版は本番撮影ではないので、敢えて俺の演技に難癖を付ける必要もなかったのだ。
あとで何か良いことが起きると確定しているような樽井会長のパーフェクトの言葉だったが、鮫島殺人鬼版での俺の活躍ぶりが正にそれだったのかもしれない。樽井会長の掌の上で踊らされているようで癪ではあるが、いい撮影ができたのならと良しとしようと自分に言い聞かせた。
「あ、裕司の最後の必死の命乞いが、〝私がもっとも欲しかったものよ〟とも言ってたっけな。じゃあ、俺は本当に撤収の準備があるんで戻る」
高柳は、羞恥の念を呼び覚ますようなことを述べると、廊下へと去っていく。
必死の命乞い、か。
耳が熱いがおそらく真っ赤なのだろう。高柳や樽井会長は俺の適応能力の良さを褒めてはくれたが、最後の締めがあれでは相殺されたようなものだ。もっと潔く死を受け入れるべきだったのかと考えたりもするが、平和な日本で暮らす普通の大学生にそんな武士道的観念などあろうはずもない。
「あー、でもだっせーなぁ、あれはダサかったっ」
しかし格好悪いものは確かなわけで、俺は一人、恥かしさに耐えられず声を上げた。
そのとき俺は気付く。未だ開きっぱなしの〈モジノラクエン〉の右上に、通知を示す印が付いていることを。
すでに鮫島殺人鬼バージョンの撮影も終わっている以上、〈@5い21HH7%4〉からではないはずだ。別のユーザーからなんらかのアクションがあったのだろう。珍しいこともあるものだと俺は何とはなしにクリックした。
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【Adan Webber】
あなたのいのちノさいごをキかせて
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Adan Webberとは、あのアダン・ウェバー――だろうか。俺にはそうとしか読めなかった。そして一言、〝あなたの命の最後を聞かせて〟とは一体。
なんともうすら寒いものを感じた矢先に、背後で何かが倒れる大きな音がした。
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