第38話 バッドエンドなんて認められるか‼

 狭間の獣が咆哮をあげた同時に、俺の身体は動いていた。そのすぐ後、ビアンカの悲鳴混じりの声が頭の中に響く。


『お父様! 今すぐその場所から離れてっ‼』


 パッと赤黒い光が視界に入ったかと思うと次の瞬間、俺がいた場所の地面が、深く抉り取られた。狭間の獣がいる場所から、一直線に土が抉れている。


 さっきの赤黒い光か?


『ご無事でよかったです……』

「ああ、何とかな。でも、さっきの話は一体どういうことだ? 狭間の獣の形や力が、お前たちが予想していたものとは違っていたということか?」

『……その通りです。今までの狭間の獣の記録を全て読み解き、準備を進めたというのに……あれは、過去に現れた獣を遙かに超える存在。祓えなければ、世界を滅ぼす程の力です』


 そう返事するビアンカの声は、悔しそうだった。

 悔しそうだと思ったのは、声色から予想したからではない。ビアンカの言葉と一緒に、そのときに抱いている感情までが伝わってくるからだ。ビアンカと俺が、聖女の刻印を通じて繋がっているからだろうか。


 今、俺に伝わってきているのは悔しさと、予期せぬ事態に備えなかった甘さに対する後悔。


 だが、たらればをどれだけ言っても仕方ないのだ。

 自分たちが今持っているカードで、戦うしか他は。


 前を見ると狭間の獣が、右足を大きく後ろに引いていた。それを見た瞬間、俺はその場でうつ伏せになっていた。


 頭上を、もの凄いスピードで何かが通り過ぎていく。後から遅れてやってきた衝撃派が、俺を襲った。地面に落ちた紙が風で舞い上がるように、俺の身体も吹き飛ばされそうになったが、聖剣を地面に突き刺して何とか耐えた。


 さっきまで俺の前にいた狭間の獣は、今、俺の後ろにいる。

 何が起こったのかというと、俺に向かって跳びかかってきた獣を、うつ伏せになって避けたのだ。あいつ、勢いがありすぎて、飛びかかるときにちょっと身体が地面から浮いているから、地面に這いつくばることによって、回避することが出来るのだ。


 ……いや、回避出来るのだって……あれ?

 何で俺、そんなことを知っているんだ?


 狭間の獣が、両手を空に向かって突き上げた。握った右拳の中に金色の光の筋が現れ――


『お父様ぁぁっ‼』


 ビアンカの甲高い叫びが頭の中に響くと同時に、目の前に広がった金色によって視界が一杯になった。


 だが、分かっていた。

 俺がが無事なことは。

 

 この目が捉えたのは、複雑な模様が描かれた丸い魔法陣に、狭間の獣から放たれた金色の筋――いや、もうあれは金色の槍と言った方がいい――が突き刺さった光景。

 だが槍が突き刺さっている魔法陣の後ろに、もう一回り大きな魔法陣が浮いている。


『ど、どうして? ……どうして私よりも早く防御陣が張られているのですか⁉』


 驚愕ともいえるビアンカの感情が伝わってくる。


 私よりも早く、ということは、槍が突き刺さっていない方の魔法陣は、ビアンカが俺を守るために張ったものに違いない。


 じゃあ、槍が突き刺さっている魔法陣は、一体誰が――


 気付けば、口が勝手に動いていた。


「――俺だ」

『えっ?』

「俺が……お前の力を借りて防御陣を張ったんだ」

『ど、どういうことですか? 確かに、私とお父様は聖女の刻印によって繋がっているので、お父様は私の力を使うことが出来ますが、でも私から力を引き出すためには、修行が必要なのです! お父様が使えるわけが……』

「今、それについて話している時間はない。ビアンカ、狭間の獣の動きを止めるという話だったが、一体どうなっている?」


 俺の指摘を受け、ビアンカはそれ以上の追及をやめた。代わりに俺の質問に対し、考えを巡らせながら慎重に答える。


『……狭間の獣の力が予想以上に強いため、時間が掛かりそうです。それに……動きを封じる力がもっと必要です。でもお父様を守りつつ、さらにこれ以上の力が必要となると……』

「何か問題があるのか?」

『それが……』

『――聖女様』


 俺たちの会話に、突如別の声が割り込んできた。

 この声は、聖騎士の一人だ。確かビアンカと犬の名前で盛り上がっていた女性騎士だったはず。


 聖騎士の声からは、強い覚悟が感じられた。


『何を思い悩む必要があるのでしょうか。どうか私たちの力を存分にお使いください』

『駄目です! 今以上にあなたたちから力を引き出したら……』

『私たち聖騎士は、狭間の獣を祓うために存在しています。そのためなら、この命を失っても後悔はありません』

「命を……失う? どういうことだ⁉」


 聞いていない。

 そんな話、聞いてないぞ⁉


 ビアンカが苦しそうに吐き出した。


『私が未熟なため、聖騎士たちの力を借りているのはご存じですよね? ……今、私に与えられている聖騎士たちの力は、彼女たちの生命力なのです』

「つまり……命を削って……」

『はい。狭間の獣の力が想定以上に強い分、抑えるための力も必要になる。でもこれ以上彼女たちから力を貰えば、皆が死んでしまいます』

「相手から生命力を貰って力にするって……聖法というよりも邪法っぽくないか⁉」

『この世界にある不可思議な存在や力には元来、善悪はないのです。不可思議な力を聖法・邪法と分けているのは、人間の都合なのですよ』


 そう話すビアンカの口調には、自虐が混じっていた。

 邪纏いを祓うために、奴等と近い力に頼らざるを得ない自分を、嘲笑っているかのようだった。


 毒を以て毒を制すってことか。


 でもな、ビアンカ。

 強敵を倒すために、自ら堕ちる主人公。


 俺、そういうの、嫌いじゃないぞ?


 とはいえ、このまま聖騎士たちの力を使い続ければ、彼女たちはいずれ命を落とすことになる。


 俺がビアンカの立場なら、必要な犠牲だったと言いつつも彼女たちを殺してしまった事実を、ずっと背負って生きて行くだろう。

 そのせいで責められることがあったとしても、俺の罪だと受け止めるだろう。その覚悟はある。


 だが、ビアンカにそんな思いをさせたくはない。

 必要だったとはいえ、聖騎士たちを犠牲にした事実を背負って生きて欲しくない。


 人殺しだと後ろ指指される未来など、あの子には相応しくないだろ?


 王族なんだから、そのくらいの覚悟を持つべきだっていう人間には、苦労や障害を経験させなければ成長しないっていう人間には、中指を立てて言ってやるよ。


 自分の子どもが苦労や障害なく、死ぬまで幸せに生きるのを願って何が悪い‼

 ばーーーーーーーーーーーーーーかっっっっっっっ‼


 だから――


「話は分かった。お前が俺を守るために割いていた力を全て、狭間の獣の動きを封じるのに使うんだ」

『そんな! 未だかつて無い形態の狭間の獣が、どう行動するか分からないのに、無茶――』

「大丈夫だ」


 俺はビアンカの言葉を遮るように言い切った。そして、後ろを振り向くと、フーフーと口から白い息を吐き出す醜悪な獣を睨みつけながら言い放つ。


「さっきも見ただろう。危なくなれば、お前の力を使わせて貰う。それに、獣の動きは分かっている。心配するな」

『……分かり、ました……お父様、ご武運を……』


 それを最後に、会話は途切れた。


 信じてくれた、というよりは、もう俺に任せるしかないといった感じだった。

 それほど、現状の立て直しに急を要しているのだ。


 狭間の獣の左拳から、先ほどと同じように金色の槍が出現し、こちらに向かって放たれた。それを、ビアンカが張ってくれていた防御陣が受け止める。


 防御陣が槍とともに消えると同時に、俺は両足に肉体強化の聖法をかけると、人間が持ち得ぬスピードで駆け出した。獣が咆哮をあげたからだ。次の瞬間、俺がいた場所の地面がごっそりと抉られ、粉々に砕け散る。


 何故、初めて対峙した狭間の獣の攻撃を、避けることが出来たのか。

 何故、ビアンカの力を修行なしで使うことができたのか。


 答えは簡単だ。


 経験しているからだ。

 この戦いを。


 覚えていなくとも、この場の雰囲気を感じただけで、身体が勝手に反応してしまうほど……そして、長き修行が必要なはずのビアンカの力を習得できるほど、何度も……何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――‼


 心臓が激しく脈打っている。

 全身を血が爆速で駆け巡っているというのに、頭の中は恐ろしいほど冷え切っていた。


 だって、そうだろ?

 身体が勝手に動くほど、相手の行動を見た瞬間、何の攻撃が来るか分かるほど、俺はこの戦いを経験しているんだぞ?


 そしてこれだけ経験してもなお、世界は繰り返し続けている――


 その事実に、喉の奥から恐怖がせり上がってくる。

 両膝から力が抜けそうだ。


 でも……それでも、俺は――


 狭間の獣の胸に埋まっているリュミエールに、視線を向けた。恐怖で冷えていた頭に、怒りという熱が注ぎ込まれる。


”お父様……私、本当は怖いのです。二度目と三度目の人生は突然終わりました。だから今がどれだけ幸せでも、気付けばまたやり直しているかもしれない。そう思うと怖くて……堪らないのです”


 大神殿に滞在中、ビアンカと二人っきりになったとき、あの子が耐えきれずに吐露した恐怖を思い出す。


 ビアンカを苦しませる存在は、例えアリ一匹でも許さない。


「……諦めるものか」


 呟きが、更なる熱を呼ぶ。


 例え今まで何度やり直しを繰り返していても、俺は諦めるものか。

 皆、救う。

 リュミエールも、ビアンカも、国も、世界も!


 バッドエンドなんて、認められるか‼


「俺はなあ……ハッピーエンド信者なんだよぉぉぉぉーーーー‼︎」


 狭間の獣の攻撃モーションを見切るなんて、あらゆるアクションゲームをやり尽くした俺にかかれば、朝飯前なんだよっ‼


 と思ったら、狭間の獣が数歩後ずさり、咆哮をあげた。


 ……やばい。

 やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい‼


 俺は急いで、狭間の獣から距離を取ろうとしたが、その前に獣が高く飛び上がり、思いっきり両足を地面に叩きつけた。大きな振動が刺激となって、俺の両足から脳天に向かって駆け上がった。もちろん立っていられるわけがなく、無様に地面に転がってしまう。


 ふと前を見ると、先ほどまでなかった黒い影が、俺の周辺に落ちていた。

 まさか、これは……


 咄嗟に聖剣をかざしながら、ビアンカの力を引き出した。


 俺の周辺が半透明の半球に包まれた瞬間、狭間の獣が丸まった体勢で落ちてきた。獣の身体は半球――防御結界に、まるでボールのように弾かれたかと思うと、あの巨体からは想像出来ないほど軽やかに、両足をついて着地した。


 あっっっっっぶなかったぁぁぁぁぁぁ‼

 聖剣の力でビアンカから引き出した聖女の力を増幅しなければ、やられてたな、俺……


 前言撤回。


 いや、強いわ。

 狭間の獣、強すぎワロタwwwww


 ……………………

 ……………………

 ……………………

 ……………………


 って、草生やしておちゃらけてる場合じゃない。


 聖剣を握る手に、脂汗が滲み出ている。しっかり掴んでいるはずなのに、何かの拍子で飛んで行ってしまうんじゃないかと思う程、じっとりと湿っている。


 今こそ、願うべきだ。

 狭間の獣を祓う、チート能力を。


 心で願うだけでいいんだ。

 狭間の獣を祓う力をくれと――


 なのに……たった一文が、愛する妻と娘を救うためのたった一文が、願えない。


「なんっ、なんだよ……」 


 俺は聖剣を握りしめながら呟いた。苛立ちながら、拳を地面に打ち付ける。

 何度も何度も打ち付ける。


 チート能力を願おうとする俺を必死に引き留める、何かの存在を振り払うように。


”――思い出して”

”――思い出せ”


 ファナードの女神と俺とそっくりな声が、耳の奥で重なる。


 何かが引っかかっている。

 俺はここに引っかかってるぞーと存在を滅茶苦茶主張してくるくせに、どこに何があるのかが分からない。


 苛々する。


 思い出せという言葉に。

 思い出せない俺自身に――


「……一体何なんだよ……何を思い出せって言うんだよっ‼」


 狭間の獣の攻撃を避けながら叫んだ瞬間、俺の頭でパチンと何かが弾け、目の前が真っ暗になった。

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