第36話 前世の知識の新しい使い方

「あのっ、レオン様……」


 隣を歩くリュミエールが、俺の名を呼んだ。少し歩幅を狭めながら、彼女の問いに答える。


「何だ?」

「結婚式のドレスを選ばれたのは、あなた様でしょうか?」

「ああ、そうだが。何か不都合があったか?」


 まずったか?


 彼氏が選んだアクセサリー、ダサすぎ、自分で選びたかった、と愚痴るSNSの投稿を思い出し、背筋がひやりとした。だがリュミエールは小さく首を横に振ると、俺を安心させるように僅かに口角を上げた。


「そうではないのです。とても素敵で、このままずっと着ていたいくらいです。でも、どうして白色なのでしょうか? あなた様のお衣装の色もそうですが、白色がお好きなのですか?」


 言葉だけとれば、俺の好きな色を聞いているように聞こえるが、実際彼女が聞きたいのはそれじゃない。


 この世界のウェディングドレスは、一般的にカラードレスなのだ。


 自分の好きな色、相手が好きな色、家門のイメージカラーだったりと、その家や関係性によって、当日花嫁が身につけるドレスの色が決まる。


 それにウェディングドレスとして着用した後は、訪問着用ドレスとして直されて着続けるため、その辺も考慮して作るものならしい。


 結婚式のときだけ着るのなら白でもいいが、今後も着るのなら、汚れが目立たないカラードレスのほうがいいという、ファナードでも前世の世界でも変わらない共通認識があるせいで、ウェディングドレスに白を選ぶ者は少ない。


 だから、ドレスに白を選んだことを疑問に思っているのだろう。

 しかしドレスにわざわざ白色を選んだのには、理由がある。


「ここから離れたとある国では結婚式の際、【相手の色に染まります】という意味のある白色のドレスを身につけるそうだ。それを取り入れた」

「相手の色に染まる……」


 まあ、遠い国ではなく、違う世界での話なんだけどな。


 リュミエールは俺の発言の一部を反芻すると、絡めていた腕に力をこめた。

 互いの身体が密着し、彼女の身体が僅かにもたれかかる。


 吐息の混じった呟きが、耳の奥をくすぐった。


「……とても、素敵」


 ドレスから視線を逸らして俺を見上げた彼女の表情は、少しくすぐったそうにしながらも、とても嬉しそうで――


 リュミエールさん、俺色に染まらんでよろしいです。ずっとそのままのあなたでいてください。


 代わりに俺が、あなた色に染まりますので!


 心が、キュゥゥゥーーーンという音を立てながら、締め付けられた。


 式が終わるまで、耐えきれるんか、俺?

 今のあれで、リュミエールに対する語彙力が、


 むり。

 つら。

 しんどい。


 まで低下しているんだが。


 祭壇に辿り着くと、爺――いや、大神官の姿があった。リュミエールが入って来た扉とは別の入り口から、いつの間にかやって来たのだろう。


 大神官の進行の元、結婚式が始まった。


 聖法による穢れの浄化から始まり、俺の前で土下座して謝っていた人物と同じとは思えない、重々しくも音楽的な祈りの言葉が、大神官の口から奏でられる。


 エクペリオン王国の結婚式は、前世の知識でいうと、教会式と神前式を混ぜたような感じだ。


 女神という存在が広く認知されているので、偉大なる存在に誓うという挙式スタイルが生まれたのは、必然だともいえるだろう。


 個人的には、教会式だろうが神前式だろうがどちらでもいいんだが、前世の記憶が蘇った今、俺にはやりたいことがある。


 その一つが、この世界では珍しい白のウェディングドレスを、リュミエールに着せること。


 もう一つが――


 リュミエールとともに誓いの言葉を口にしたあと、聖水を飲み干した。

 後は、大神官が新たな夫婦の誕生を宣言することで、式は終了する……はずだったが、突然大聖堂の扉が開き、小さな影が静々とこちらに近付いてきた。


 俺もリュミエールも、通路に伸びた影を見ただけで、誰がやってきたのか分かっていた。


 シルエットだけでもうすでに可愛い、俺たちの信仰対象ビアンカだ。


 いつもなら俺たちの姿を見た瞬間、駆け寄ってくるのだが、今は違う。

 真剣な表情を浮かべながら、両手に乗った白いクッションを落とさないように、慎重にこちらへ向かってくる。


 フワフワな薄いピンク色のドレスを身につけ、頭には花飾りを付けている姿は、この穢れに満ちた漆黒の現世に舞い降りた、羽のない花の妖精。


 ……いかん。

 あまりにも娘が可愛すぎて、厨二なポエムが出来上がるところだった。


 花のようせ――ではなくビアンカが、俺たちの前で立ち止まった。ほぼ同時に、大神官が口を開く。


「では、結婚指輪の交換を」

「えっ? けっこん、ゆびわ?」


 恐らく俺と同じように、心の中でポエムを捧げていたと思われるリュミエールが、大神官の発言の一部を反芻しながら首を傾げた。が、すぐに何かに気付いたのか、ハッと息を飲むと俺に視線を向けた。


「もしかして、これもレオン様のご提案でしょうか? ドレスの色と同じく、この指輪にも何か意味が?」

「ああ、そうだ」


 そう。

 この世界の結婚式では、指輪交換がない。


 っていうかそもそも、既婚者の証として結婚指輪を付ける習慣がない。


 正直、前世の世界のように、俺たちが、既婚者の証として指輪を付ける必要はない。俺たちが夫婦だってことは、周知の事実だし。


 だけどな……


 お揃いの結婚指輪、付けたいだろーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼

 俺らは特別な関係なんだって、匂わせたいだろーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 前世を思い出した俺にとって、お揃いの結婚指輪を着けることは憧れであり、幸せの象徴だった。


 ということで、ファナードの世界の結婚式に、結婚指輪を取り入れてみた。

 

 大神官の言葉を受け、大切に持ってきたリングピローを、ビアンカが差し出した。ちなみにリングピローとは、結婚指輪を置く物のことだ。前世の世界では一般的にクッション型だったので、今回はそれに倣っている。


 ツルツルの布地で作られたリンクピローの上には、白金色のリングが大小二つ並んでいる。生活に支障が出てはいけないので、指輪に宝石は付けず、代わりに職人技な彫刻で装飾をしている。


 俺は小さい方の指輪を手に取ると、リュミエールの左手を取った。


「指輪には、永遠の愛という意味が込められている。そして――」


 左手の薬指に指輪をはめた。白金色の輪が、きつくもなく緩くもなく、細い指におさまる。


「左手の薬指は、心と繋がっているそうだ」


 そう伝えると、彼女の左薬指に唇を落とし、手を離した。


 俺の手が離れるとリュミエールは、まるで何かに操られているかのように、左手を僅かに震わせながら自分の方へ近づけると、右人差し指で、結婚指輪を何度もなぞっていた。

 青い瞳が、左薬指の輝きに注がれている。


「ドレスの色も結婚指輪も、この国では馴染みのないものばかりで、戸惑わせて申し訳なかった。だが……」


 彼女の視線が、指輪から俺に向く。


「俺の気持ちを、少しでも目に視える形で知って欲しかった。俺と一緒に転んだり、笑ってくれる者として、これから先、ずっと隣にいて欲しい」

「そんな……そん、な……」


 リュミエールの瞳が潤み、大聖堂内の光を反射して輝く。


「私は……じゅうぶん……十分すぎるくらい、あなた様の想いを頂いております。なのに、こんな素敵な……素敵な結婚式をして頂いたら……この身が、もちま、せん……幸せ、すぎて……わたし……」


 ギュッと瞑った瞳から、涙が二粒零れ落ちた。


 リュミエールが、喜んでくれている。

 見ている俺の心が、彼女への愛おしさで苦しくなるほど――


 異世界転生のラノベでは、前世の知識を使って色んな物を発明したり、奇抜な方法で敵を倒したり、快適な生活を送るシステムを作り出したりしていた。


 だが悲しいことに、俺には物語の主人公のように、大それた前世の知識はない。

 石鹸を作る方法も知らないし、前世の世界のインフラがどうなっていたかなんて分からない。


 医療の知識だって無いから、体調が悪ければ換気をしっかりして、病人を世話する人間はマスクと手洗いを徹底する、後は病気が悪化しないように、しっかり食べて寝ろ、と言うぐらいしか出来ない。


 水素と酸素が化合すれば水になるなどという知識があっても、この世界でどう役立てればいいかも思いつかない。


 俺が持つ前世の知識なんて、その程度だ。

 世界を変えたり、無双したり出来るような代物じゃない。


 しかし、こうやって妻を喜ばせることができた。

 前世の知識を使って、特別な結婚式にすることができた。


 ならば俺は、前世の知識を今後、妻と娘を喜ばせることに使う‼

 今日の結婚式のように前世の知識をつかって、全力でリュミエールとビアンカを喜ばせ、幸せにする‼


 これが、前世の知識の新しい使い方ってやつだぁぁぁぁ‼


 何も言えなくなっているリュミエールと、前世の知識の使い方を心の中で熱弁している俺の間に、ビアンカの明るい声が通り抜ける。


「ほら、お義母様? 今度はお義母様がお父様に、結婚指輪をつけてあげてください」

「……はい、もちろんです」


 ビアンカに促され、リュミエールは涙を拭いながら、リングピローに残る指輪を手に取った。そして俺の左手をとると、


「私の永遠の愛を――あなたの心に捧げます」


 その言葉と共に、俺の左薬指に指輪をはめた。


 この日――俺は初めて、意識を保つために唇の裏を嚙み、無事結婚式は終了した。


 その日の夜は親子三人、一緒に寝ることになった。


 リュミエールの隣には、ビアンカ。

 ビアンカの隣には俺がいる。

 

 身体を起こしたリュミエールの左手が掛け布団を掴み、ビアンカの上にかけ直した。その手の薬指には、結婚指輪が輝いている。

 ビアンカに布団をかけ直してポンポンッと軽く撫でると、俺に微笑みかけた。


「今日は、ありがとうございました、レオン様。忘れられない素敵な式でした」

「それはよかった。でもお前が突然倒れたときは、驚いたな」

「あれは……その……以前レオン様が、倒れそうになっても唇を嚙むなと仰ったので……」

「そうか。ちゃんと守ってくれたんだな」


 唇嚙めば大丈夫な程度だったか、あれ?

 まあいいか。


「いよいよ……明日出発ですね」


 リュミエールの声色が固くなった。実際邪祓いが始まるのは四日後だが、もう緊張しているのだろう。

 彼女の視線が、眠っているビアンカの上に落ちた。愛おしそうに継子を見つめながら、寂しく呟く。


「……私は、どのような結果になろうとも、後悔はありません」

「結果は一つだけだ」


 俺はわざと、淡々とした声色で答えた。

 さもそれが、当たり前だというように。


 そうだ。

 俺たちがつかみ取る結果は、たった一つ。


 無事、狭間の獣を祓い、リュミエールを、この国を救うこと。

 それだけだ。


「そう、ですね」


 不安そうだった彼女の瞳に、強い光が蘇る。先日、幸せになる覚悟を決めたことを思い出したのかもしれない。

 手を伸ばし、リュミエールの頭をそっと撫でると、彼女の頭を抱き寄せ、唇を重ねた。


 ……まあ、ビアンカがいるからな。今日はここまでだ。


 明かりを消して、ベッドに横になる。

 聞こえてくるのは、ビアンカの規則正しい呼吸。しばらくしてそこに、リュミエールの寝息も重なった。


 次第に俺の意識も遠くなり、現実と夢の境目が曖昧になっていく。

 ぼやけた意識は次第に、何かの輪郭を作りだした。


”ありがとうございます、レオン”


 ――満面の笑顔を浮かべるリュミエールだ。


 これは、俺が薄黄色のドレスを贈ったとき、彼女が直接礼を言いに来たときの記憶だ。

 今世ではない、繰り返した人生の中で経験したことだったはず。それが夢に出て来たのだろうか。


 ……まただ。

 この違和感は、一体何なんだ。


 触れそうで触れられない何かに、苛立ちが湧き上がる。しかし、フッと落ちるような感覚に突然襲われるたびに、リュミエールの笑顔が途切れ、やがて完全な闇に沈んでいく。


 意識が途切れる寸前、声が聞こえた気がした。


”――思い出せ”


 ファナードの女神と同じ意味を発するその声は、俺とそっくりだった。

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