第17話 だってビアンカだもの

 アリシアから拒絶されてからの数日間、俺は、彼女と関わることが出来なくなっていた。顔を合わせることはもちろん、ポチに成り代わって話すことすらできなくなっていた。


 全てが彼女の演技であることは、俺が叔父を泣かせた後に見たアリシアの様子と言葉から分かっている。


 だが、もう二度と立ち上がれなくなるんじゃないかと思う程、打ちのめされた。

 思いっきり自分の甘さを突きつけられたからだ。


 三年間の空白が、ほんの少し彼女に歩み寄っただけで埋まるわけがないのに、俺は浮かれて……


 しかし、ここで打ちのめされて倒れているわけにはいかないのだ。

 初めてこの世界が白雪姫の物語っぽいと気付いたときの決意を思い出して、折れそうになっていた心を何とか保った。


 考えることは、もう一つある。

 俺が立ち去った後、アリシアが微笑みながら呟いていた言葉についてだ。


(”私はこの国に、災いを齎す存在なのですから――” そう言っていたな。一体どういうことだ?)


 ガラガラと馬車が進む音を聞きながら、アリシアの発言を思い返していた。


 彼女は元敵国であったエデル王国の王女。

 だからこれを聞いて一番に思いついたのは、エデル王国の侵攻だった。


 だがエデル王国とは今のところ良い関係を保っている。過去、戦争をした関係であるとはいえ、被害を受けたのはこちらも同じなのだ。


 だから、エデル王国が攻めてくる可能性は限りなく低いだろう。


 じゃあアリシアの言う【災い】とは、一体何を指しているのだろうか。

 ……分からない。


 しかし、何故断罪されようとしていたのかが見えてきたと思う。


 彼女が断罪されたい理由――それは、アリシアの存在が、エクペリオン王国にとって災いを齎すと、本気で思っているからだ。

 それを阻止するため、断罪からの処刑を望んでいるというところか。


 まあここでも、なら何故自死を選ばず、わざわざ悪女となって処刑されるという遠回しな方法を選んでいるのか? という疑問が湧いてくるわけだが。

 そもそも、アリシア一人でこの国をどうにか出来るとも思わないし。


 答えをこの手に掴んだと思えば、スルッとすり抜けてしまう。

 前進しているように見えて、実は何も動いていないのではないかという苛立ちで、心がざわついた。


 ……が、今日だけはこの憂鬱な気持ちを忘れなければならない。

 なぜならば、


 ビアンカが、半年ぶりに帰ってくるからだ‼

 あの可愛いビアンカが、やっとやっと帰ってくるからだ‼


 ポチの存在を知ってからは、毎日アリシアとともに、ビアンカの様子を鏡を通じて見ていた。そのたびに、身悶えするアリシアと一緒に可愛い可愛いしていた。


 だが、所詮は鏡越し!

 本物に勝るものはないのだ‼


 俺の不安や悩みを、無垢で純粋、無邪気で優しくて、可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いビアンカに見せるわけにはいかないのだ。


 あの子には、いつまでも何も知らずに笑っていて欲しい。

 幸せになって欲しい。


 ……七人のこびとたちや、死体愛好家の王子の魔の手に触れさせるものか。


 俺の可愛い可愛いビアンカは、現在十歳。

 八ヶ月前に突然大神殿――聖法を管理し、邪纏いに対抗する団体の本部――に行きたいと言ったので仕方なく許可したら、何故か聖女認定されて帰ってきたのだ。


 聖女とは、邪纏いを祓う神官たちの中でも最高位の存在。その力には、歴史上最強最悪とされる邪纏い【狭間の獣】すら祓うことが出来ると言われている。


 いや、狭間の獣を祓うために聖女が、大神殿が存在しているといっても過言ではない。


 まあビアンカなので、聖女でした! と言われても特別驚きはなかったのだが、問題はエクペリオン王女を聖女として大神殿に仕えさせるかということだ。


 大神殿的には、邪纏いに対抗する手段として聖女という存在は、喉から手が出るほど欲しい。


 だが俺は大大大大大大大大大大大大大大大反対だ。

 可愛い娘を、邪纏いなんていう危険な存在と関わらせてたまるか。


 しかし心優しいビアンカは、お試しでいいから聖女の修行をさせて欲しいと俺に頼み込んできたのだ。自分の実力を修行によってハッキリさせたいのだと……


 俺はもちろん反対した。

 ビアンカが、聖女の才能を絶対に開花させるって分かっていたからだ。


 根拠はないが確信はある。


 だってビアンカだもの。れをん。


 しかし思いも寄らぬ人間が、ビアンカに加勢したのだ。

 それがアリシアだった。


 いつもは俺たち親子に無関心な彼女が何を思ったのか、ビアンカの聖女修行を許可するように直談判してきたのだ。

 あまりにも驚きすぎて思わずOKを出してしまい……その結果、半年間も離れることになってしまったんだが。


 あのときは、アリシアがビアンカを嫌っていると思っていたから、継子を厄介払いしたくて聖女修行を推したのかと思っていたんだが、アリシアのビアンカに対する熱い想いを知った今、結局理由は分からずじまいだ。


 単純に、大好きなビアンカの助けになりたいと思った、という可能性もあるにはあるが……


 ビアンカは明日王都に戻ってくる予定だった。しかし、俺の会いたい気持ちが炸裂したため、お忍びで迎えにいくことにしたのだ。


 ちなみに、ポチの分身たる手鏡は持ってきていない。

 万が一神殿に見つかれば、速攻ポチは没収されて二度と返して貰えないと思うので、置いてきた。


 ふとした瞬間にアリシアとのことを思い出し、気持ちが落ち込むし、また叔父みたいなのに唆されていたらとか思って不安もあるが……まあ往復一日の距離だ。大丈夫だろう。


 俺も、少し環境を変えてこれからのことを考えたい。


 そうこうしている間に、馬車はフィルムの街に辿り着いた。

 さすが聖法を管理し、邪纏いに対抗する団体の本拠地がある街だ。それほど広い街ではないが王都に負けず劣らず賑わっている。とはいえこの街の見所は大神殿ぐらいしかないのだが。


 馬車は、街の中央にある大神殿に続く広い通りを進み、大神殿の裏門に入っていった。国王自らが大神殿に来ていることを知られ、混乱させないためだ。


 大神殿に足を踏み入れると、城とはまた違った荘厳な雰囲気に鳥肌が立った。ここに来たのは、数えるほどしかない。


 こんな感じだったかな、などと古い記憶を探りながら広い廊下を進んでいくと、だだっ広い聖堂に辿り着いた。


 中に入った俺を迎えたのは、真っ白な石で作られた女性の像。

 見覚えのある姿に、思わず瞳を見開く。


 僅かに進む歩みを早くすると、女性像の前で足を止めた。


 まるでギリシャ神話の女神のような布を巻き付けたような服装に、頭から布を被った姿は紛れもなく、俺にチート能力を授けずに転生させた自称女神だった。


 何故、あいつの像がここにと思うと同時に、王太子時代に初めてここを訪れたとき、大神官から聞いた説明を思い出した。


”レオン殿下。これが、我々神殿が崇めているファナードの女神像です”

”そうなのか。しかし女神など本当に存在するのか? 先日も、邪纏いによる大規模な疫病が蔓延したが、何故女神は俺たちを救ってくれないのだ?”


 信仰がなんたるかがまだ分からなかった幼い俺は、そんな無邪気な質問を当時の大神官に容赦なくぶつけた。しかし大神官は俺の質問に臆することなく、穏やかな笑みを湛えながらこう答えた。


”確かに、邪纏いは我々人間の生活は脅かします。しかしそれはあくまで人間にとって脅威であるだけで、世界にとっては些細なことなのです。偉大なる女神様のお役目は、この世界を存続させること。人間を救うことではありません”

”じゃあ女神は、邪纏いのせいで人間たちが滅んでも救ってくれない、ということなのか?”

”それに抗うために、我々神殿があるのです、殿下”


 そんな会話を交わした記憶が蘇った。


 目の前にある女神像は、間違いなく俺を転生させた自称女神その人だ。

 つまり……あいつ、本当に異世界ファナードの女神だったんだな……


 女神のくせに、世界を存続させるだけで、俺たちに救いの手を差し伸べてくれないのは、何だか腑に落ちないけどな。

 まあ、力ある存在はいつの時代も、そんなもんか。


 それにしても、


「……なんで像も頭から布被っているんだ?」

「それは、この世界の管理者たる女神様は、交代することがあるからですよ、お父様」


 後ろから聞こえた、幼な声。

 心の中に、喜びと興奮が湧き上がる。いつもはキリッとしているはずの目尻が、だらっと緩むのが自分でも分かった。


 俺は勢いよく振り向きながら叫んだ。


「ビアンカ!」

「お父様!」


 次の瞬間、俺の背の半分ぐらいしかない小さな身体が、胸に飛び込んできた。


 背中を流れる黒色の髪、そして雪を思わせる白い肌。頬はリンゴのように赤く染まり、透き通った黒い瞳が俺を捉える。


 ビアンカ・ネーヴェ・エクペリオン――俺の最愛の娘。


 幼い命の存在を噛み締めるように、小さな身体を抱きしめた。

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