第6話

 生まれた場所は俗にいうスラム街という場所だった。時代的にも戦争真っただ中だったため、特に治安は酷いもので親も齢五歳のときに殺された。盗みや詐欺、殺しや薬物が当たり前のように国全体に蔓延していた。希望はなく唯々今日を必死に生きていても虚しさが心を支配していた。

 しかし、自分は恵まれていたようで戦う才があった。ガラス片や手のひらサイズの石ころでも持てば大の大人でさえ殺すことができた。

 奪って……奪って生きていた頃、ある人にであった。その人は孤児院の院長をやっているのだとか。だから、誘われた。当時はまだまだ子供だったから。でも断った。だって、力のあった自分はスラムではそれなりの地位を築いていたからだ。

 そんな形のない自信に満ち溢れていた自分をその人は叩きのめした。一方的だった。大人と子供以上の格差をそのとき初めて感じた。そして、その人は言った。『お前がどう生きたいかは知らんがオレについてきた方が強くなれるぞ』って。恐ろしく魅力的な言葉だった。

 その人が運営する『頂きの孤児院』には多くの子供がいた。そこで初めて心ってやつを学ぶことができたと思う。今まで他人は搾取の対象でしかなかったからだ。

 そこから自分は殺しを学んだ。元からその孤児院は一部の子供を暗殺協会の手引きで育てる場所だったらしい。筋が良かった自分はアドーニス翁に見初められ特別に鍛えられたため、実質孤児院にいたのは三年ほどだった。

 過酷な教育だったが強くなる充実感は今まで味わった何よりも心を満たしてくれた。ナイフを一振りするたびに自分の人生が彩られるようだった。

 そして、十八の頃には組織の中でも最強の一角に数えられる実力者になっていた。立派になった自分の姿をあの人に見てもらうつもりだった。いや、見てもらうことはできた。

なにせ初めて協会に命じられて殺したのが——あの人だったから。

 肉を断ち切る感触、心のどこかに穴が開くような独特な感覚は忘れられない。

 今でも殺した瞬間のあの表情を夢に見ることもある。

 だが、後悔はしていない。あれは自分にとって一つのけじめだった。それに……それで救われたものを確かにあったように思う。

 運命の綾が自分の首を絞めないように——そう願うばかりだ。




 試験四日目早朝、セリルはそれぞれに頼まれたものを各部屋の前に置かれたボックスの中に入れると自室に戻り、ベッドに体を投げ出した。昨日から働き詰めのであるが訓練を積んでいるせいか倦怠感は感じない。

 己の強靭さを実感していると廊下側から話声が聞こえてくる。

「どちらが先に行く? 私はどちらでも構わないけど」

「私だってどっちでもいいわ。あなたに話を聞かれなきゃね」

 どうやら声の主はクロエとコトノハらしい。特段仲が悪いわけではないと思うが一日目の諍いをまだ引きずっているのだろう。ここはボクが人肌脱ぐのが筋かな。

 セリルはベッドから静かに起き上がるとゆっくりと扉を開けた。

「何を言い争っているんだい?」

 赤とブラウンの瞳が何かを訴えるように視線を送ってくる。しかし、そんな意思を汲む気はないと視線を微妙にずらした。

「どうせマーセルのことでしょ? それでお互いが持ってる手札を相手には教えたくない。でも、ボクと協力する権利は自分に譲れって主張してるから押し問答になっているってところかな」

 図星だったのか少女二人はばつの悪い表情で俯く。交渉についても色々と教えたはずだが身内同士だと上手く落としどころを作れないらしい。いや、追いかけているものが譲れないからかな。

 ここで何を言ったとしてもお互いの主張は平行線を辿ることは目に見えている。セリルは二人の表情を注視しながら口を開く。

「じゃあ、三人で行動しよう。全員隠し事はなしにしてね」

「ですが!」

 クロエが強い口調で否定を口にしようとするが、それを押しとどめるために人差し指で彼女の頭を軽く弾く。クロエは余程驚いたのか悲鳴のような声を漏らし、額を抑えた。

「否定は禁止。お互い思うところはあると思うけどボクを使う気ならこれくらいは従ってもらうよ。嫌なら自力で頑張ることだね」

 不満げな視線を向けられるがセリルはあっけらかんとした様子だ。クロエは小さくため息をつくと「分かりました」と呟いた。

「よし、和解もできたようだし、次は行動に移そう。ボクのところに来たってことは何かあるんでしょ?」

 一瞬探るような視線がクロエとコトノハの間で交錯するがセリルが咳ばらいをすると諦めたようにクロエが話し始めた。

「……私は山の反対側に犯人のアジトらしき洞穴を見つけました。おそらくそこに今だ見つかっていない凶器やマーセルの首があると思っています」

 クロエが次はお前だと言わんばかりの視線をコトノハへと向ける。コトノハは特に表情を変えることなく淡々と話し始める。

「私が発見したのは血の跡です。クロエが言っていた付近にわずかですが血が垂れたような跡があったのでその付近を捜索しようと考えていました。クロエの報告を聞く限りその洞穴に行く途中に凶器か首からこぼれた血液の可能性が高そうですね」

「私に感謝しなさいよ。しょっぱい情報を意味あるものにしてあげたんだから」

 突っかかるようなもの言いだな。しかし、コトノハは余裕のある笑みを浮かべ、頭を下げた。

「ええ、もちろん感謝してるわ。ありがとう」

 まったく気にしていないようなコトノハの感謝にクロエは不満げに鼻を鳴らす。この二人の確執はそう簡単に埋まらないようだ。

「何にせよ。そこに向かうことが第一目標だね。でも……まずは朝ごはんだ。ボクは昨日から働き詰めだし、どうせアシュリンあたりが作り置きの料理を食い荒らしてるだろうからね。問題ないよね」

「問題ありません」

「急ぎたいですが仕方ありませんね」

 三人は食堂に向かう。予想通り備蓄分の料理はなくなっていた。アシュリンは初日以来顔を見ないが食事はしっかりととっているらしい。セリルは一昨日狩った灰狼の肉を取り出す。肉は下味をつけしっかりと乾燥させている。その肉を炭火でじっくりと焼き上げていく。立ち上る煙が食欲を刺激し、食への期待感を演出している。食事には興味なさそうだった二人の少女も極上の匂いに釣られソワソワし始めている。やはり、美味というのは共通言語といっても過言ではないね。焼き色のついた肉を少し冷まし、切り分けて盛り付ける。もちろん特性のソースも添えて。ここにいるメンバー以外の肉は金属製の薄い紙のようなものにくるみ、保存しておく。まあ、全員の口に入るかは分からないけど。

 セリルは三つの皿に肉をより分け、備蓄庫から出した白パンを添える。

「待たせたね」

 盆に載せた皿を少女たちの目の前の木のテーブルに置いた。二人はテーブルに備え付けられているナイフとフォークを使って丁寧に食べていく。セリルもコトノハの隣に座り、肉にナイフを入れた。

「そういえば先生。昨日は帰りが遅かったようですが何かあったんですか?」

「アドーニス翁直々に依頼があってね。少し時間を食ってしまったってところさ」

 アドーニス翁の名前に反応して二人とも大きく目を見開いた。やはり暗殺協会の頂点にいるあの人は彼女たちにとっては天井人のようなものなのだろう。

「それは……なんというか流石ですね」

「別に凄くはないよ。元々あの人はボクの師匠だったから距離が近いボクを使ったってだけさ。それよりもコトノハ。君って『頂きの孤児院』出身なんでしょ? なんで言わなかったの?」

 コトノハのナイフの動きが止まる。

「『頂きの孤児院」って何ですか?」

「暗殺協会が出資していた孤児院の一つだよ。まあ、もうなくなっちゃったけどね」

 特に興味なさげな様子でクロエは肉を口へと運ぶ。

「単純に言う必要がないから言わなかっただけですよ。それに私があそこにいたのは十歳まで。記憶も朧げなものばかりです」

 コトノハは淡々とした口調で事実を告げ、食事を再開する。

「そっか、ごめんね。余計なこと聞いてさ」

「いえ、私としても隠すようなことではありませんので」

 食事も話も終わりかけた時、不意に思いついたのかクロエがナイフとフォークを置くと同時に口を開いた。

「ちなみにその孤児院がなくなった理由って何なんですか? 災害にでもあったんですか?」

 至極真っ当な質問だ。しかし、セリルにとっては傷を抉る問答だった。

 セリルは一呼吸挟み、笑みを浮かべる。心の平穏を保つために。

「当時の孤児院を管理している人がいられなくなったんだよ」

「でも、協会が出資してるなら人なんて簡単に集められますよね?」

「『頂きの孤児院』は辺鄙なところにあったせいかかなり老朽化が進んでいたんだ。人数も減ってきていたし、その管理人がいなくなるのを機に閉鎖したってわけさ。今は孤児院なんて何処に建てても人は集まるしね」

 戦争が終結して間もないため孤児はどこにでも必要とされている。残酷なご時世ってやつだ。そんな事情を知る一人でもあるためかクロエは納得したようだ。

「さて、話はここまでにしようか」

 二人は縦にゆっくりと首を振った。食器類を片付け、三人は下駄箱を抜け、森へと足を踏み入れる。

 先頭はもちろんクロエである。彼女はこちらの様子を確認しながらも速度を落とさず、森を駆けていく。それなりの速度で探索しているがコトノハも当然のごとくついていけている。彼女の腰には刀が携えられているため他の生徒よりも動きにくそうだが……。

「大丈夫ですよ。刀が邪魔で動きが鈍るなんてことはありません」

 こちらの意図を察したのか適切な回答がなされる。歩きづらい獣道であろうとも周囲への警戒は怠っていないようだ。

「いや、そんな心配はしてないよ。ただ……ここでは刀の扱いなんて教えてないのに何でそこまで熟練しているのかって思ってね」

「さっき孤児院を移ったと言いましたよね? その場所の管理人が戦争帰りの兵士の方で刀の扱いを教えて頂きました」

 コトノハは見せつけるように速度を落とさず抜刀し、舞うように刀を振るう。その動作があまりにも流麗で見入ってしまうほどの妖しさを感じた。少女はゆっくりと刀をしまい、自信ありげな笑みを見せた。普段の彼女よりも開放的な行いを見るに余程刀に執心なのだろう。セリルはそれに答えるように拍手を送った。

「凄いね。暗殺協会でもそこまで華麗に刀を扱う人は数えるくらいしかいないよ」

「お褒めに預かりありがとうございます。しかし、先生の方が刀の扱いは上でしょう」

 断定するような口調に違和感を覚えたが、確かに今はまだセリルの方が優れた使い手だろう。いや、どの武器であっても自分では勝てないという意味だったのか? 真意は分からないがコトノハはセリルのことを大きく評価しているようだ。

「まあそうだろうね。というかどんな武器であろうとまだ候補生の君たちに負けるわけにはいかないかな」

「二人とも軽口はほどほどに。ここら辺は音に敏感な獣が多いので」

 クロエに謝罪の意を込めて両手を合わせて頭を下げる。

 そこからは無言で三十分ほど進んだ。途中、灰狼や鎧熊(アーマーベア)などの獣と鉢合わせないように迂回していたせいで無駄に時間を食ってしまったな。だが、この森の生態系を壊して貴重な薬草が取れなくなったら最悪だ。必要な行動だと割り切るしかないね。

「あそこです」

 クロエが指さした場所には自然によってできた鍾乳洞があった。しかし、洞窟の中に視線を向けると不自然な光の反射が起こっている。おそらくワイヤーのような何かが仕掛けられているのだろう。

「なるほどね。トラップがあるように見えたからクロエはここを推したってことか」

「そういうことです。流石に見えるほどの罠が張られている場所に単身で乗り込むほど自惚れてはいませんので」

「さて、それじゃあボクが先頭で……」

 先陣を切ろうと前に出るセリルの前に白い手が立ちふさがる。その手の主はコトノハだった。

「私が先陣を切ります。この情報の対価を支払わねばなりませんので」

 コトノハはちらりとクロエへと視線を向ける。律義なことだ。しかし、単なる作業が心躍るイベントになるのは喜ばしい限りだ。セリルは優しげな笑みを浮かべ、コトノハの肩を力強く叩く。

「そういうことなら頼んだよ。助けが必要になったらいつでも言ってくれていいからね」

「承知しています。私もここで無理をするつもりはありません」

「クロエもいいよね?」

「問題ないです」

 クロエはコトノハとすれ違いざまに「足を引っ張らないでね」と呟いた。ここまで来ると競争意識を煽った方がかえっていいかもしれない。そんなことを考えているとコトノハから号令がかかる。

 セリルたちは自前の小さな懐中電灯を取り出し、中へと進んで行く。湿った空気が独特な緊張感を生み、反響音が神経に触る。

 それに足場もかなり悪い。所々に岩肌は研磨されたようにつるつるしていることに加え、湿っている。罠の視認及び解除をしながら進むのには難易度が高い地形だ。どんな技術も高いレベルで習得しているコトノハでも亀のように歩みが遅い。

「ちょっと。こんなペースじゃ日が暮れちゃうわ。もういいから先生と変わりなさい」

「いや、まだコトノハにやってもらおう」

「ですが……」

「大丈夫。もう少しでペースは上がってくると思うよ」

 クロエは不満な眼差しを向けてきたが、ゆっくりと首を縦に振った。日ごろの信頼のおかげで信じてもらえたようだ。はっきり言ってさっきの言葉に根拠なんてない。単純に僅かな時間でもコトノハなら罠のクセに慣れてくれるだろうという希望的観測でしかない。

 頼むぞ、コトノハ。ボクの信用は君にかかっている!

 無言で探索し、罠を解除しているコトノハの背中を見ながら両手を合わせる。まるで神にでも祈るように。

 およそ十分、時が流れた。祈りが通じたのか先ほどまでとは比べ物にならない程の速度で罠を解除していくコトノハ。仏頂面を浮かべ続けているクロエもこれでは文句も言えないだろう。

「コツを掴んだみたいだね。何か特徴でもあるのかい?」

「地形の関係上、仕掛けられるポイントが限られるようです。それに加えて罠を仕掛けた人物は火薬が好きなようですから」

 コトノハは物陰に置かれていた黒い箱のようなものを見せつけるように持ち上げた。それは確実に校舎にストックしてある火薬箱だ。それも罠に使いやすいように改良されたモデルである。

「この鍾乳洞を封鎖するためには適当な場所に爆発物を置いても湿気で使い物にならなくなりますからね。ここまで分かれば罠の場所は丸裸も同然でしょう」

 少し自信ありげ声が鍾乳洞に響き渡る。コトノハはどんどん奥へと進むペースを速めていく。しかし、気の緩みを狙い打ったかのようにコトノハの足元が窪む。セリルは瞬時に加速し、足場の不利など意にも介さず壁を走り抜け、飛来したナイフをキャッチした。

「油断は禁物だよ」

「……すみません」

 コトノハは珍しく落ち込んだ表情を見せた。

「自業自得ね」

 厳しいクロエの言葉に一層表情が暗くなる。周囲の雰囲気も相まってメンバー間の空気間は最悪だ。

 セリルは軽く息を吐き、両手を勢いよく打ち鳴らす。劈くような音が反響し、思わずクロエとコトノハは耳を塞ぐ。音の爆弾は感情の波を打ち消すと同時に少女たちの無駄な思考を掻き消した。

「二人とも暗殺者の心得ってやつを思い出しなよ。心に振り回されるのが立派な暗殺者かい? 違うでしょ。君たちがどんな未来を思い描いてるのかは知らないけど、少なくとも心を制御できる人間であって欲しいね」

 セリルの言葉に二人は言葉を詰まらせた。やはり実力はあってもまだまだ心は未熟のような。今期の候補生たちはどうやら何かに執着する気質が強いように思える。実力を十全に発揮できればピカイチだが、心が乱されると途端に周りが見えなくなる。しかし、この状況は少し好都合かもしれない。

「反省を促したいところだけどそれは後でいいよ。君たちはもう過程ではなく結果で実力を示さなければならないからね。だから、ここからは二人で探索を行ってもらうよ。やり方は好きにしていいけどあくまでも『協力』してことを運んでね」

「「……分かりました」」

 今までなら嫌々従っていただろうクロエも反省したのか、ブラウンの瞳からは感情が読み取れない。コトノハも意識を切り替えたのか今までよりも警戒の色が濃いように見える。

「私があなたを守るからあなたは同じように罠の探索に集中して。ただ危険な時は情報を共有してちょうだい。ハンドサインは頭に入ってるわね?」

「もちろん。お互いベストを尽くしましょう」

 クロエとコトノハは笑みを浮かべないまでも表情は柔らかい。こういう切り替えの早さは流石だね。だけど、ここからはさらに難易度が上がるみたいだ。道の大きさが広がるとともにざっと見ただけでも六か所の横穴が見える。正解がどれかは見た目では分からないだろう。

「クロエ。ルートの選定もお願いしていい?」

「しょうがないわね」

 クロエは軽く壁を叩き、無数にある横穴の選定を行っていく。三十秒ほどで確認が終わったのか指を動かし、セリルとコトノハを誘導していく。

息の合ったコンビネーションで罠にかかることなく、進む。そして、おそらく迷ってもいない。肌を撫でる僅かな空気の流れを上手く辿っている。ここを根城にしている誰かが横穴に証拠品を捨てている可能性もあるが、その可能性は低いだろう。ここまでに仕掛けられている罠には強い自負を感じる。真っ向から陥れる、そんな気概が隠れているように思う。矛盾を孕む歪なこだわり、とんでもない変態野郎だね。でも、それが今はありがたい。彼女たちの成長には打ってつけの試練だ。まあ、ボクには少し物足りないけど。

セリルが益体のないことを考えているうちに洞窟の最深部にまで侵入できたらしい。これ見よがしに広い空間に台座のようなものが置いてある。

「必ず何かあるわね」

「でも、近づかないわけにはいかない。私が先頭。後ろは任せた」

「承知したわ」

 二人は警戒レベルを最大にまで引き上げ、中心の台座へと進んで行く。台座には大きな黒箱が置かれており、それには鍵穴などは一切ない。

コトノハは息を整えると腰の刀を走らせる。刹那の斬撃が箱の上部を斜めに薄皮一枚ほど切り裂く。ゆっくりと切った破片が滑り落ち、中が顕わになる。予想通りそこにはべっとりと血のついたナイフとワイヤーが入っていた。二人の少女の顔に喜色が見えたその時——天井が落ちた。

一切の音もなく岩が雨のように降り注ぎ始める。クソ! 作り手の人間性を見誤ってた! ここまでの全てがフェイク。この必殺の仕掛けを通すための仕込みだったのだ。セリルは全力で加速するとクロエとコトノハを壁際まで蹴り飛ばした。

強い衝撃に二人は身もだえし、体を起こした時には果てしない岩の山が来た道を完全に塞いでいた。

そして——セリルの姿もそこにはなかった。

「先生! いま——」

大きな声を張り上げ、クロエが呼びかけようとするがコトノハが口を塞ぎ、止める。いきなりの行動にコトノハの腕の中でクロエは暴れだす。

「落ち着いて。大声を出すのは不味い」

そう言ってコトノハが指を指した先には先ほどの声で震えた瓦礫の山があった。崩れればクロエとコトノハも危ないが近くに居るであろうセリルも危険にさらしてしまう。クロエは冷静さを取り戻し、軽くコトノハの手を叩く。

「……ありがとう。今のは私の失態だわ」

「構わないわ。今はそれよりもここからどう抜けるかが重要でしょう」

「そうね。それに先生ならあれくらいの事故で死んだとは考えにくいしね」

 コトノハは同意するように首を縦に振った。

「でも、せっかくの証拠が台無しになってしまったのはショックだわ」

「同感ね。これだけ苦労して得られたのは更なる苦難だなんて笑えないわ。でも……」

「「首はなかった」」

 二人は同じ結論を口にした。最もあるべきものがなかったことでここがダミーであることが確定した、その認識を少女たちは短い言葉で共有したのだ。

 クロエは壁を少し叩き、洞窟の内部情報を得ようとするが崩落の影響があるせいか行ほどの精度で確認はできない。思わず彼女の口から舌打ちが漏れる。

「外には辛うじて繋がっている道があるみたい。でも……数を絞り切れないわ」

「取り合えず、順に見ていきましょう。幸い私たちの体に異常もないし、長期戦覚悟でいきましょう」

「……いや、そうも言ってられないかもしれないわ」

 クロエが壁に耳を当てるようにコトノハに促す。彼女はその命に従ってぴったりと耳を岩肌にくっつける。すると、何かを噴射してるような不快な音が聞こえてくる。

「……ガスの可能性が高いかしら」

「おそらくね。時間が経てば鍾乳洞全体に充満して中毒症状で死ぬでしょう。あの天井の崩落は直接的な攻撃と間接的な攻撃の両方を担ってたようね」

「随分と性格が悪い罠を仕掛けるものだわ」

 無駄口はそこまでというようにクロエはハンドサインで行軍を促す。足早に枝分かれした暗い道を小さなライトで照らしながら進んで行く。

 しかし、足元のぬめりが彼女たちの足を鈍らせていた。刻々と近づいているであろうタイムリミットを感じながらコトノハはごくりと喉を鳴らす。

 無言で走り続けること五分、クロエが右手を上げ、岩でふさがれた天井付近を指さした。その意図を図りかねているとクロエは素早く手の形を変え、言葉を伝えてくる。要約するとクロエはガスが溜まっている部分を着火させ、爆発を起こすことで道を開こうとしていた。あまりの危険性の高さに思わずコトノハは首を横に振っていた。コトノハは無数の岩でふさがれた通路の岩を細かく刻むことを提案するがクロエは首を横に振る。詰まっている岩は見えている範囲だけでなく、その上にも無数にあるため除去しきれない、そうクロエは伝えた。

 コトノハは即断できず、俯くように考え込む。しかし、代替案など思いつくはずもない。コトノハがクロエに視線を向けると彼女はブラウンの瞳を動かすことなく、真っ直ぐにコトノハを見つめている。

 二人の間に確固たる信頼関係はない。それでもクロエがこの方法を選んだということはそれ以外の選択肢はないのだろう。しかも、生死を分ける行動をコトノハに託してきた。単純にコトノハの刀による斬撃でないと硬い岩を壊すことはできないということだと思うが、それでもコトノハの心には喜びの色が滲んでいた。

 コトノハはクロエと目線を合わせ、ゆっくりと首を縦に振った。そして、一歩前に出ると刀の柄をしっかりと握る。滴り落ちる水の反響音が聞こえるほどの静寂。コトノハはふっと息を吐き、鞘内を滑らせ、渾身の抜刀術を披露する。流麗な動作で抜き放たれた剣線は見事硬い鍾乳石を切り裂き、そして火花を散らす。

 瞬間——炎と爆音が辺りを包んだ。

 ほんの数秒前はひんやりとしていた空気が砂漠の灼熱を孕んだ風に変わる。舞い上がる砂塵と熱気にあてられコトノハはしゃがみ込み、目を瞑った。五秒ほどたち彼女が目を開けるとそこには軍服のジャケットを脱いで盾のようにしたクロエの姿があった。彼女は爆発の余波からコトノハを守っていたのだ。

「ありが……」

「ぼさっとしない! すぐに抜けるわよ」

 クロエはコトノハの言葉を遮り、彼女の手を引っ張り、起き上がらせる。駆けだした二人は振り返ることなく、岩の粉塵が巻き上げられた開けた通路を進む。爆発の影響で崩れているのか不穏な振動音がそこかしこから聞こえてくる。瞬く間に天井が崩落し、生き埋めになってもおかしくない。

 少女は不安を拭うように必死に足を動かす。反響する音が大きくなり、ちらりと背後を一瞥すると崩落の影が迫っているのがはっきりと見えた。

しかし同時に暗かった洞窟内に一筋の光が差し込む。二人は顔を見合わせ、速度を限界まであげる。近づいて来るガラガラという音の恐怖を振り切り、少女たちは森の中へと飛び込んだ。コトノハは荒くなった息を整え、洞窟の方へ視線を向けると案の定そこには鍾乳洞の姿はなかった。

「なんとか助かったわね」

 クロエは砂と泥で汚れた顔を拭いながらそう言った。コトノハは彼女の姿を見て頬を拭うと手の甲は見事に茶色に染まった。無我夢中で走っていたせいか少女は初めて自分の状態を自覚した。

 コトノハは笑みを浮かべ、「そうね」と返す。

「先生は大丈夫だったかしら」

 コトノハが言葉を発する前にどこからともなく「もちろん」と声が聞こえてくる。二人がその声の方へ視線を向けると分かれた時と変わりない姿のセリルがいた。予想外の人物の姿にコトノハは目を丸くした。

「二人とも無事だったみたいだね。流石ボクの教え子だ」

「無事ではないですよ。もう少しで私たち二人とも生き埋めだったんですから」

「でも……君たちは生きている。そうでしょ?」

 セリルは気持ちの良い笑みを少女たちへ向ける。その表情に釣られるように彼女たちの顔にも笑顔が浮かぶ。

「そうですね。それにこの困難のおかげでクロエのことをよく知れました」

 そう言ってコトノハはクロエを見つめる。クロエはその視線から逃れるように顔を逸らす。

「私は別に必要なかったです」

 あまりにもテンプレートな照れ隠しに思わずセリルは笑い声を漏らす。憤慨するクロエをよそにセリルは話を続ける。

「それで? そっちにも何もなかったのかな?」

「何もありませんでした。この場所は犯人が作った唯の処刑場だったようです。崩落した場所にあった血に濡れた道具も本物かはわかりませんでしたし……」

「そっか。ボクたちまんまと嵌められちゃったね」

 セリルは淡々と呟いた。

「……もしかして最初から分かってました?」

 クロエが鋭い視線を向けてくる。その意見に追従するようにコトノハも半眼でセリルを非難がましく見つめている。

セリルはわざとらしく下手な口笛を吹き、道化を演じる。その瞬間、神速の居合と風切り音を響かせる鋭い蹴りがセリルに向かって放たれた。セリルはふっと笑みを浮かべ、刀の棟部分を摘まみ勢いを殺し、細い足を踏みつけ、無力化した。少女たちは鮮やかな手並みに見惚れつつも悔しさに奥歯を噛み締める。

「良い攻撃だった。その調子で成長してくれよ」

 あまりの上からの発言に二人は舌打ちを漏らしながら居住まいを正した。

「そこまで嫌悪感を出さなくてもいいでしょ。正直に言うとボクもあの場所が確実に罠だとは思ってなかったよ。一パーセントくらいは発見があるかもって……」

「もういいです。帰ります」

 クロエの機嫌を損ねてしまったようで彼女はらしくない足音を響かせながら森の方へと歩いていく。そして、コトノハもこちらに一礼するとクロエの後を追っていく。

「まったく変なところで子供だなー」

 セリルは青い空を見上げながらゆっくりと息を吐いた。

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