第6章4話 あなたのためじゃない
「……はぁ……」
劇団員たちが野営する天幕からひとり離れて、メルはたき火のそばで膝を抱えた。
手の中には、沈黙を続けている魂送りの杖。
王都リングドールに近づいて、フレデリカたちの舞台稽古はいよいよ大詰めを迎えていた。
日に日に緊張感が増し、当初は羽を伸ばしていた団員たちも表情を引きしめてピリピリし始めている。
……なのに、メルの修行は進まないまま。
魂送りの杖は、相変わらずウンともスンともいわない。
魂送りがまたできるようになって、王都にいるはずのアスターに会う。そのために、フレデリカについてきたのに……。
(私、何やってるんだろう……)
降るような星空が、頭上に広がっていた。
白い吐息が、立ちのぼっては流れていく。
脳裏に、フレデリカの言った言葉が響いていた。
──あの剣士には、あいつなりの理由があるんでしょ──戦う理由が。あなたはどうして戦場に立つの?
(私の、理由……)
握った魂送りの杖を見た。
それが見つかれば、また魂送りができるようになるだろうか。
……アスターの役に立つ自分に……。
──あの剣士さんを理由にしたら、彼がかわいそうよ……。
(…………)
冷たい地面にごろりと寝そべった。
「私、魂送りやりたいのかな……?」
奴隷として主人のために戦うのではなく──
アスターの護衛仕事を手伝うためでもなく──
メル自身の理由はどこにあるのだろう?
今までは、それができるから──
それが自分の力だからやっていたけれど……。
「…………。フレデリカさんとの演技のお稽古、楽しかったなぁ」
あれから火が点いてしまったらしく、フレデリカは毎晩、メルに舞台稽古をつけてくれる。
魂送りの感覚を取り戻せるかもしれないと言いながら、フレデリカ自身も楽しんでいるのをメルは感じていた。
メルにとっても久しぶりの感覚だった。同じ年頃の少女と練習に励むということ……。
それを思うと、胸がほんのり温かくなった。
(昔、リゼルたちと魂送りの練習をしてたときみたい……って言ったら、フレデリカさん、どんな顔するかなぁ)
奴隷仲間の子どもたちと歌や踊りの練習に励んでいたあの頃……。
主人の機嫌ひとつで
つらいことの多かった日々でも、同い年のリゼルといるのは楽しかった。
あの頃の自分は、確かに、魂送りを楽しんでいた……。
(…………)
「──シケた顔してんのね」
「フレデリカさん……」
視線を転じると、毛布を巻き付けてモコモコと温かそうなフレデリカがいた。同じ毛布をメルにも手渡す。ふたり並んで、
「どう、魂送りの方は?」
「…………」
「ま、そんなところでしょうね」
さして期待もしていなかったというように、フレデリカは首をすくめる。
そっけない言葉がかえって優しかった。
メルが魂送りできなくても、ちっとも気にすることはないのだというように。
メルが魂送りできなくても、フレデリカには関係ない……。
そのことに、メルは今更になって気が付いた。
「……フレデリカさん。どうして私のこと、助けてくれたんですか?」
「んー……? 何よ、今更。ついてきたくなかった?」
「そうじゃなくて。私が奴隷管理局から追われたって、魂送りできなくたって、フレデリカさんには全然関係ないのに、なんで……あだっ!」
フレデリカの
「あなた、まさか……あのアスターって剣士にも同じこと言ってんじゃないでしょうね?」
……なんでわかったんだろう。
痛みのあまり涙目になって弱りきったメルの様子に、フレデリカは深いため息をついた。
「今までよっぽどつまんない人生送ってきたのね……」
「つま──」
「だって、そうでしょ。何をするのにも理由が必要。何かができなくちゃ誰かの隣にいるのもゆるされない。……それって楽しい? あなたの心はどこにあるの? そうやって頭で考えすぎて、感じることをどんどん置き去りにして──知らないうちに、心が死んでいくんだわ」
少なくとも──と、フレデリカは前置きした。
「演じているときのあなたは、そうじゃない。誰よりも豊かに世界を感じて、表現する喜びをみなぎらせている。この私が
「……え……」
「そうやってうじうじしてるところは大嫌いだけどね」
「……っ。ひどい……!」
メルの抗議に、フレデリカは楽しそうに笑う。
メルの方は、胸がドキドキと高鳴っていた。
考えてみたら、魂送りという役割抜きで歌と踊りを評価してもらったのは、フレデリカが初めてなわけで……。
知らず知らずのうちに頬が
(────っ!)
「……あぁ、そうそう。助けた理由だけど──」
「…………え」
メルの前で、フレデリカは鮮やかに笑んだ。
同性のメルがドキッとするほどの微笑み。金色のまつげに縁取られた碧の瞳が、形のよい唇が、いたずらげに言葉をつむぐ。
「あなたを拾ったらおもしろそうだと思ったからよ。理由なんかそれで十分だわ。……だから、あなたのためなんかじゃないんだからね」
フレデリカは、世の男性ファンのハートをわしづかみにする笑顔でにっこりと言い放った。
☆☆
──ここのところ、また間隔が短くなってる。
あの金髪の剣士のせいだ。
あいつが来たからだ。
エヴァ兄様がこっちを見てくれなくなったのは……。
私を見て。私を見て。私を見て。
その
その
もっと。もっと。もっと……!
私には、もう兄様だけ。
私の
私だけの──「完璧」な兄様。
「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ…………」
窓から差し込む月明かりのもと──
カトリーナはベッドの中で乱れたシーツを掻き寄せた。苦しい呼吸の下できつく閉じたまぶた。その上を、こめかみから流れた汗が涙のように濡らした。
「カトリーナ……苦しいか」
「エヴァ……兄様」
カトリーナを抱き寄せて、エヴァンダールが額に口づける。愛おしそうに。耳元で、吐息がそっとささやいた。
「もう少しだ、カトリーナ。……もうじき時が満ちる」
「…………──っ」
兄の甘やかな体温に、カトリーナの
ついばむような口づけとともに、とろけるような
このまま何も考えられなくなってしまえばいいのに……と思った。
(第六章・了)
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