第30話 闇

「どう言うことだ!?」


 帝国軍総司令室に怒号が響く。

 豪華な椅子に座っていた総司令官が拳を机に叩きつけた。


「敵は!? 第三騎士団にフェルクスを殺せる者はいないはずではなかったのか!?」


 フェルクス。

 それは炎妖精ファイアスピリットの特性を与えられた魔人の名であった。


「そのはずですが……」


 副官が肩を縮こまらせる。

 そんな副官の様子に司令官の怒りは加速した。

 

「そのはずぅ!? ならばなぜだ!? 誰が殺した!? 魔術による監視があったのだろう!? 今すぐに報告しろ!!!」


 殺された事は今更覆らない。

 ならばせめて情報だけでも得ようと司令官は叱責を飛ばす。しかし副官は歯切れ悪く口篭った。

 

「それは……」


 司令官の苛立ちは募る。

 

「早く答えろ!!!」

「申し訳ございません! フェルクス様の反応が消える前後五分間に渡り、映像が途絶えていました!」


 あんまりな報告に司令官の額には青筋が浮かんだ。


「そんなことがあってたまるかぁ!!!」


 司令官がツバを飛ばしながら叫ぶ。

 怒髪天を衝く勢いだ。怒りのあまり顔が真っ赤に染まっている。


 しかし副官も司令官と同じ意見だった。

 だが「そうですね」とは口が裂けても言えない。そんな事を言おうものなら物理的に首が飛んでしまう。

 

「原因はなんだ!? まさか偶然とでも言うつもりか!? どうなんだ!?」


 もはや恫喝である。

 副官はただ頭を下げて謝ることしかできなった。


「……申し訳ございません。……妨害された形跡は無かったとの事です」


 偶然、帝国の秘密兵器たる魔人が殺された瞬間に監視魔術が動いていなかった。

 本当ならば大失態だ。

 だけど状況がそうだと示している。

 

「そんな言い訳が通じるものかぁぁぁあああ!!!」


 司令官が机に拳を落とした。

 魔力の篭った拳は机を粉々に粉砕する。


「……申し訳ございません!」


 実際言い訳でもなんでもないのだが、怒り狂った司令官には通じない。副官は泣きそうになっていた。


「謝罪を求めているのではない! 原因を教えろと言っている! 観測班は何をやっているんだ!?」

「観測班も原因がわからないそうで……」


 実のところ司令官や副官が思っている通り、これは偶然でもなんでもない。

 全てレティシアの仕業だ。

 シンの情報が万が一にでも漏れないようにと、機巧大鷲を経由して監視魔術に介入したのだ。その魔術が高度すぎて、帝国の魔術師では妨害の痕跡すら掴めなかっただけの話である。


 しかしそんな事を知る由もない司令官は肩を怒らせながら副官に詰め寄る。

 

「……貴様! 覚悟は出来ているんだろうな!?」


 そして拳を振りかざす。


「――まぁまぁ落ち着いてください司令官殿」


 そんな司令官の肩に手が置かれた。ビクッと副官が身体を振るわせる。

 今の今まで二人しかいなかった総司令室にもう一人の男が現れたからだ。

 

 その男は漆黒の長髪を持ち、蛇のように不気味な目をしていた。

 

「これはこれは、ゲーティス殿。見苦しいところをお見せしました」


 司令官は瞬時に怒りを収め、男に擦り寄る。

 副官はそんな司令官に不気味なものを感じた。しかし指摘しようとも思わない。

 副官は直感的に理解していた。これは帝国の闇だと。


「キミはもういい。早く出ていけ」


 副官は司令官の言葉に初めて感謝した。

 今は一刻も早く総司令室から、ゲーティスと呼ばれた男の前から立ち去りたかった。


「はっ! 失礼致します!」


 副官は一礼する。そして再び首を上げる事はなかった。

 血が噴出し、首がコロコロと転がっていく。


「ダメですよ。私の姿を見たのです。殺さなくては」

「これは失礼致しました。以後気をつけます」

「ええ。それにしてもフェルクスは残念でした」


 ゲーティスの言葉に司令官は全身を振るわせる。

 彼の前で命というものは空気よりも軽い。司令官はそう理解していた。魔人は彼が皇帝に力を貸した結果生まれた存在だ。

 それが失われたのだ。責任を取らされてもおかしくはないと司令官は思っていた。


「……申し訳ございません」


 指揮官は震える身体で頭を下げる。

 しかしゲーティスは特に気にした様子もなかった。


「顔を上げてください。貴方は帝国軍の司令官です。そう易々と頭を下げるものではありません。……それに魔人は後五人います。帝国の勝利は揺るがないでしょう」

「そう……でしたな。少々取り乱していた様です」

「ええ。……ですが、失態が続けば分かっていますね?」


 ゲーティスは底冷えする様な声音で告げた。

 司令官は頷くことしかできない。


「……はい」

「では自分の仕事をまっとうして下さい」

「かしこまりました」


 司令官が一礼して去っていく。

 ゲーティスは司令官の座っていた椅子に腰掛けた。


「……とはいえ困りましたね。ようやくシン・エルアスを排除することができたというのに。これ以上、想定外イレギュラーが起こるのならばを立てなくてはなりません」


 ゲーティスは背もたれに寄りかかると優雅な所作で足を組む。


「……それはなるべく避けたいんですがねぇ。問題は想定外イレギュラーがどれほどの実力か。最悪、私も出る事になりそうですね。……準備だけはしておきますか」


 そうして狂乱のゲーティス=アルカトスは立ち上がると、司令室を後にした。

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