その後の話、安寧の日常。


 ――というわけで、という声がスマホのスピーカーから流れ始める。



『今日は、ええと………………森に来てます!』



 うさぎをモチーフにした仮面を被った青髪の少女が、自撮りしながらそう控えめにピースすると、



――――――――――――――――


・森?

・どこの森だよ

・森wwww

・森(謎のピース)

・森なのは見て分かるからダンジョン名を言ってくれるか?

・そのピースはなに?

・なんのピースなんだよ


――――――――――――――――



『だ、だってダンジョン名出したら凸されるかもしれないじゃないですか……!』



――――――――――――――――


・まあ分かる

・そうかな……そうかも……

・いまさらさやちに凸する意味ある?

・どうせ何も知らない定期

・また逃げ回ってくれ

・ピースしてたのムカついてきたな

・シンプルにピースがダサすぎる

・そんなことよりダサピースの説明しろ


――――――――――――――――



『だから、あと何回かはダンジョン名は隠して配信――って、さっきからうるさいな!? ピースは別に良くないですか!?』


 俺は制服を脱いでラフな格好に着替えつつ、辛辣なコメントとのやり取りを流し見する。

 ここのところ、桜彩の配信をチェックするのが日課になりつつあるが――。


「……もう大丈夫そうだな」


 コメントをざっと読みながら、そう結論づける。



 ――“白夜の洞窟”から桜彩を助け出したあの日から、一週間が経った。



 今日のところはもはや、瑠璃蜘蛛を討伐した人物について桜彩に聞きだそうとするコメントはほぼ見当たらないし、うさぎ仮面の少女が白瀧シラタキ桜彩サアヤであることを特定する書き込みも、全くない。


 前者は桜彩が繰り返し「えーっと、ぜんぜん知らない人でした」とか、「いやあの、ホントに知りません。私が知りたいです。誰だったんですかあれは」などとシラを切り続けたのが功を奏した結果だろう。



 そして後者――「“さやち”の正体の秘匿」に関しては、俺も一枚噛んでいる。

 

 

 瑠璃蜘蛛討伐の、翌日の朝のことだ。



 桜彩の配信が、ネットで騒ぎになっている――。


 そのことを妹のチハルからの怒濤のメッセージと、炎上に近い盛り上がりにビビってアーカイブを消した上に眠れず、ゾンビのような顔色になっていた桜彩から聞いた俺は、その日の午後には全学年のほぼ全生徒の前で魔法陣を描いて回ることになった。


 使ったのは“認識統制モダリティ・ドミネーション”という魔術で、その効果は……まあ、その名の通り、人々の認識を強制的に変えるものである。


 具体的には。


 魔法陣に魔力を流し、指を鳴らして「配信者さやちは白瀧桜彩ではない」と告げれば、元々さやちの正体を知っているかどうかに関わらず、「さやち=白瀧桜彩」の図式をことができる。


 …………余談だが、この魔術は異世界では地域や国を問わず“禁術”に相当するし、使っただけで殺人以上の扱いをされる。さすがの俺もちょっと躊躇った。


 ……そりゃ効果は数週間とは言え、人の認識や価値観を弄ることができる、倫理観のぶっ壊れた魔術だからな。


 魔術、やりたい放題すぎるだろ。


 もっともこれが使えるのは、俺と討ち滅ぼした上位魔族くらいのものだから、かろうじて人間社会はめちゃくちゃにならずに済んでいたが。


 

 ――それよりも、と俺は改めてため息を吐く。

 

「まさか、配信されてたとはなぁ……」


 まあ、そのこと自体はいい。


 ……いや本当はあんまり良くはないが、何もせずに死闘を見ていることもできなくて――という桜彩の説明は、心情して理解できなくもない。


 

 


 と、俺は思ってから――。


「…………?」


 ……だが? というその思いがけない感情に、我ながら首を傾げる。


 だが、なんなんだ?


 幼なじみは無事に帰還し、実生活になんの実害もなく、手の届く範囲の世界は平和そのものだ。

 望むべくもない着地点と言えるだろう。


 

 日々は、安寧を取り戻しつつある。


 

 桜彩への他配信者による突撃行為――いわゆる凸配信――も、ここ数日はすっかり鳴りを潜めている。

 当初は凸されて逃げる姿に、「逃げるということは映像はフェイクなのでは?」という疑いも生まれたようだが、その疑惑はすぐに晴れることになった。


 なにせ討伐の事実を確認するには“白夜の洞窟”に行って、瑠璃蜘蛛がいるかどうかちょっと覗いてくれば良いだけだ。


 むしろ、凸されて逃げ回る姿に桜彩の配信は盛り上がり――瑠璃蜘蛛討伐の様子を収めたという「功績」もあって、さらに多くのファンを獲得しつつあった。

 

「だが」という言葉をつけようのない結末だろう。不満などあるわけがない。

 べつに、桜彩の一人勝ちをうらやむわけでもないしな。むしろ、ちょっと嬉しいくらいだ。



 ――さて、と俺は物思いを断ち切って立ち上がる。


「そろそろ行くか」


 目映く光る、スマートフォンの画面に手を伸ばして――。



 ――ユウくんは、それでいいんですか?


 

 ふと耳の奥で、いつかの桜彩の声が蘇る。

 それは、桜彩を助けたのは俺だというのは隠して欲しい、と告げたときに言われた言葉だった。

 

 困惑と、驚き。何故かどこか不満そうな視線に――そのときの俺は、苦笑を返しただけだったが。


「……いいんだよ、それで」


 今さらそう呟いて、配信を閉じる。

 それから“ミラクルワークス”とロゴが描かれたジャンパーを羽織って、転移ポータルに魔力を通わせた。


 

 バイトの時間だ。

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