第33話 シロとエリアーナの密約



 豪奢なトイレの個室に入ったシロは、隣でエレアーナの音を聞きながら自分もまた用を足した。


 俯いた先、自分の細い足が通る白の純レース素材のショーツが目に入る。

 昨日、ラウラに誘われた後、急いで買って卸したもの。ブラも揃えて着けている。

 いわゆる勝負下着だった。


 てっきり今日はそういう日・・・・・になるものだと思っていたので飛んだ肩透かしを食らった形である。

 思い返すとふつふつと怒りが湧いてきて、シロは大きくため息をついた。


「「はあ……」」


 ラバトリーに、もう一つの溜息が重なる。

 誰何するまでもない。

 このラバトリーにはシロを含めて二人しかいないことは分かっている。

 重なった溜息は、エリアーナのものに違いなかった。


 彼女も同じことを思ったのだろうか。

 そうすると、やはりエリアーナもまたラウラとそういう仲になるつもりだったということ。

 ライバルとしてむっとする傍ら、同情もしていた。

 エリアーナとは敵であり、そしてそう言う意味では同志でもあるのだ。


 水音が消え、トイレットペーパーで拭く。

 立ち上がりながらショーツを上げて、流す。

 日常に馴染んだいつもと同じたったそれだけの動作なのに、今だけは妙に緊張する。


「────」


 息を短く吐く。

 鍵を外して個室の扉を開ける。


 同時、二つ離れた個室の扉もまた同時に開いた。


「…………」

「…………」


 中から現れるのは巻いた金髪と豊満な胸が特徴的な美女──エレアーナ。

 彼女はこちらを振り返ることもなく、そのまま手洗い台へと向かった。


 シロもまた、鏡をひとつ挟んで手洗い台に立つ。

 手が水を掻き分ける音だけが響く。


「貴女はどこまで本気ですの?」


 不意に、エレアーナが口を開いた。

 シロの手が一瞬止まる。

 それから蛇口を絞り、水を止める。

 シロは濡れた手のまま台に両手をついた。


「一体なんのことですか」

「あの人のことよ」

「…………」


 それがラウラのことを言っているのは明らかだった。


 顔を上げる。

 そこには鏡に映る自分の顔があった。

 想像していたよりもずっと、やつれて見えた。

 シロは息を吸った。


「本気ですよ。本気で、ラウラ様と添い遂げるつもりです」

「貴女、自分の立場が分かっていて?」

「……これでもちゃんと分かっているつもりです。当代魔王軍にとって裏切り者の私が、この先どんな運命を遂げるかなんてことは。──どうせ、ろくな死に方はしないんでしょうね」


 鏡の中のシロはそう言って自嘲した。

 そしてそのまま言葉を続ける。


「でも、それはあなたも同じでしょう、エレアーナ?」

「…………」


 エレアーナもまた水を止めた。

 そして、小さな鞄のなかからハンカチを取り出して手を拭く。


「──いざという時はあの人が守ってくれる、という考えは持っていませんわ。わたくしも──ええ、貴女の言う通りまともな死に方はできないのでしょう。──ですが」


 エレアーナはシロを見た。

 振り返り、その両の肉眼で直接捉える。


「たとえそれが〝まとも〟なものではなかったとしても、わたくしはあの人のために死ねたのなら、それは幸せな最期なのですわ」

「…………厭になりますね。あなたと私、どうしてそういうところだけは、重なるんですかね」


 シロもまたエレアーナを見た。


「なぜ今日、この場に現れたんですか? ラウラ様は隠せているつもりのようですが──ラウラ様が私とあなたを引き合わせようとしていたのはあなたにも分かっていましたよね?」

「──別に、大した理由ではありませんわ」


 エレアーナはその身を翻して、手洗い台にもたれかかる。


「わたくし一人では、あの人を守りきれない──そう思ったからですわ」

「守り、きれない?」


 シロはその意味が分からず首をひねる。


「悔しいですが、あなたは仮にも四天王の一人。ことラウラ様をお守りする点においては、不足ないのでは? 今の魔王軍に手出し出来る者なんて一人もいないでしょう」

今の魔王軍には・・・・・・・、ね」

「え……? それってどういう……」


 エリアーナは言った。


「もう間もなく復活するらしいのですわ。あの方が・・・・

「復活……? あの方……? 一体、何の話を──って。まさか」


 息を呑むシロ。

 短く頷くエレアーナ。


「当代魔王が、復活するのですわ」


 止まる空気。

 見開かれる両目。

 シロは自分の足が震えるのがわかった。


「そんなはずありませんっ!! いくら何でも早すぎます!!」


 シロは一歩前に出て声を荒げた。


「あいつは──ウィンストンは、ラウラ様が神代の魔術で限界まで蒸発させたはず!」

「口を慎みなさい、第七師団長」

「────。ラウラ様も言っていました、復活できたとしても、


 エリアーナは弱々しく首を横に振る。


「たしかにそうでしたわ。しかし、事情が変わったのです。日本の地脈が、良質過ぎたのです」

「え────?」

「四天王ジェスターが取り仕切る魔力炉の制御と地脈開発──先日はラウラ卿に邪魔こそしていただきましたが、今、アレの出力は魔界の時のざっと二万倍はありますわ」

「二万、倍⋯⋯?」


 たじろぐシロに向かってエリアーナが頷く。

 シロは自分の身体を抱いた。


「そんな話、私、知りません」

「当然ですわ。この話はまだ四天王にしか伝えられていませんもの」

「いいのですか、そんな話を私にして」


 エリアーナは俯いた。


「悔しいですが、事実なのですわ。どう妬んでも、どう恨んでも、どう足掻いても、貴女こそがあの人の専属秘書であり、直接支えることのできる存在だということが」

「────」


 シロは純粋に驚いた。

 彼女とはそこそこ長い付き合いになるが──こんな手放しにエリアーナが誰かを賞賛していることなど、これまで見たことがなかったからだ。


「意外ですね。そんな風に思ってもらえているなんて」

「わたくしは貴女と違って冷静に物事を見ることが出来るのですわ」

「⋯⋯それはどうも」


 シロは息を吐いた。

 本題に戻す。


「その魔力を使って、当代魔王はじき復活を果たす、と?」

「ええ⋯⋯そうですわ。とはいえ、ラウラ卿も疲弊されているとはいえ封印は解除済み。当代魔王にすぐに殺されてしまうようなこともないとは思いますが──」

「⋯⋯⋯⋯」


 エリアーナの言葉に、シロはぎゅっと唇を引き結んだ。

 それを見て、エリアーナは不審に思う。


「⋯⋯その顔は、なんですの?」


 葛藤に首を振るシロ。

 しかし、すぐに決意して正面からエリアーナを見据えた。


「これは、今のあなただから話します、エリアーナ。永き渡りラウラ様を思い続けた貴女を信じて」

「⋯⋯⋯⋯ええ」


 真剣な面持ちで頷くエリアーナ。

 シロは息を吸った。


「ラウラ様はまだ、千年封印を解除できていないです」

「────なんですって?」


 エリアーナは思わずといった様子でシロへ詰め寄る。


「だって、現に今日も普通に外を出歩いているではありませんの!」

「おかしいと思ったことはありませんか? ラウラ様が、なぜあのようなあどけない少年の姿をされているのか、と」

「…………っ!」


 エリアーナの宝石のような瞳が揺らいだ。


「ラウラ様を構成していた99.9999999999%の魔力は、未だあの洞窟の奥底で何重にも封じられています」

「……通りで変だと思ったのですわ。渋谷での一件の際、わたくしの初撃で血を流していたことがずっと疑問でしたの」


 シロは頷く。


「だから、マズいのです。ラウラ様が不完全な今、当代魔王が復活するのは」

「──そうですわね」


 エリアーナは目を閉じ、思案の海に潜る。


「ふー⋯⋯」


 長い、長い溜息だった。

 エリアーナは腕を組んだまま、天井を仰ぐ。


 そして、すっ、と鋭く息を吸うと目を開いて、視線をシロに戻した。


「シロ。貴女、魔王軍を離れなさい」

「え?」

「貴女は今、こちらとあの人の側を行ったり来たりしているでしょう。あの人を支えているとはいえ、それも完璧ではないはず」

「⋯⋯はい。残念ながら、その通りです」


 シロはそこでようやくエリアーナの意図を理解した。


「敵陣はあなたが、身辺をわたしが固める──そういうことですか?」

「ええ。言うなれば、盾と矛ね」

「なるほど⋯⋯」

「幸い、わたくしの側近の部隊はあの人に壊滅させられたことにしてありますわ。なので、すぐにあなたたちの討伐の任がうちに降りてくることはないはず」

「そう上手くことが運ぶでしょうか」

「上手くいくよう根回しをするのですわ」


 シロは冷や汗を伝わせながら、笑った。


「いきなり、ずいぶんな決断を迫りますね」

「選べる道があるだけ幸福なことですわ」


 選べる道があるだけ幸福──か。


 ならば私は幸福を通り過ぎて多幸かもしれない──


 シロは内心で笑った。

 あの人の隣に立てている時点で、自分の生に対する満足のほとんどを得てしまっている。

 その上、まだ選択肢が残されている? もっとあの人と長くいられるような道が?


 それは甘くて甘くて、喉が渇いてしまいそうなほどの魅惑の道筋。


 シロは嘆息した。


「⋯⋯考えて、おきます」



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