第9話 エリアーナの宣戦布告



 エリアーナとジェスターが立ち去ってから半刻。

 念を押してそれまで息をひそめていたシロは、さすがにもう大丈夫だろうということでラウラから飛び降りるなり、その美しい白銀の髪を振り払いながら透明化の魔術を解除した。


「あの女狐、やっぱりラウラ様を裏切りましたね!! めっためたに焼いてやります!!」

「待て、待てまてまてまてシロよ。エリアは悪くないであろう」


 ラウラもまた、ふんっ、と一息入れ、自分で自分にかけた呪いの鉄鎖の魔術を解除した。

 ガラガラと激しい音を立てながら魔術で編まれた鉄鎖が次々に解かれていき、宙へと溶けていく。

 ラウラがゆっくりと着地する頃には、シロが肩を怒らせながら、行き場のない感情に身を任せて大股で洞窟の広間をぐるぐると歩いていた。


「止めないでください! というよりラウラ様、なーんかエリアーナに甘くありませんか!?」

「き、気のせいであろう」

「気のせいなんかじゃありません! ……あーっ、もうっ! 一体どうすれば!」


 そう言って頭を抱えるシロ。

 しかし、ラウラも同様に内心で頭を抱えていた。


 エリアーナは悪くない。

 しかし、事実、エリアーナがカエデに刺客を差し向けなければならない状況になってしまった。

 ジェスターを始末してなかったことにする? ──いや、そんなことをすれば、今度は当代魔王が異変を感知して事態に介入してくることは必至。そんな乱雑な手段ではこの問題を乗り越えることはできない。


 どうする。どうするどうするどうする──

 行き詰った思考の行方を捜して昏い洞窟の天井をラウラが見上げた、その時だった。


 ラウラとシロ以外に誰もいないはずの広間に、再び人影が現れたのは。


「やはり、あの千年封印の術式はラウラ卿がご自分でかけられたものでしたのね」

「エリアーナっ!? なぜここにいるのです!?」


 シロがラウラの元まで飛び退って、虚空からスタッフを召喚する。

 ラウラもまた驚きに振り返った。


 しかし、ラウラはエリアーナに殺気がないことに気が付き、シロの手を押し下げた。

 ラウラは静かに訊ねる。


「ジェスターは?」

「上層へと足早に帰りましたわ。こんな陰険な場所には一秒と早く離れたいだとか」

「そうか」

「…………」


 三人の間に張りつめた沈黙が横たわる。

 沈黙を破ったのはシロだった。


「どうして、戻ってきたんですか」

「あら、戻ってこなかったほうがよろしくて?」

「……ここはラウラ様と私の愛の巣です」

「シロ、語弊があるぞ」

「あら、こんなみすぼらしい場所がですの? ああ、嘆かわしい。──ラウラ卿。あなたさえ頷けば、いつでもわたくしの私室で一緒に暮らせますのよ?」

「エリア。あまりシロを挑発してくれるな」

「何も知らないんですね、エリアーナ。ラウラ様はそんな張りぼての豪奢な部屋より、こうした狭くて薄暗い場所の方が引きこもりやすくて好きなんですよ!」

「あの、シロ……」

「それは百のうち一しか知らないからですわ。一しか知らぬものは、その一を百と思い込むものです。ラウラ卿だって、一度足を運んでいただければ、わたくしの部屋に封印されたい気持ちに心変わりするはずですわ」

「あの、エリア……」

「そんなわけありませんっ!」

「絶対にそうですわっ」

「む~~~~~~つ!!」

「ふん…………っ」

「…………二人とも、落ち着くのだ」


 すると、シロとエリアーナが同時に振り向いた。


「それもこれもはっきりしないラウラ様のせいです!」

「それもこれもはっきりしないラウラ様のせいですわ!」


 溜息をつきながら両手を上げて、降参のポーズを取る。


「わかった、我が悪かったから……」


 それを見て、同時に鼻を鳴らすシロとエリアーナ。

 その息の合いっぷりを見て、仲がいいのか悪いのか分からなくなってくる。


 コホン、と咳払いするエリアーナ。

 それだけで、再び空気が氷点下まで下がり、張りつめた。


「……それで、どうするつもりなんですか」


 問うたのはシロ。


「どうするも何もありませんわ」


 答えたのはエリアーナ。

 そして、彼女はラウラを見て、はっきりと言った。


「ラウラ卿。わたくしはあの娘を殺しますわ」

「────」


 ラウラは何も言わなかった。

 シロが先にエリアーナに噛みついたからだ。


「エリアーナッ、やはり裏切るのですね! この愚か者! ラウラ様に命を見逃してもらいながら、なぜそう愚行を重ねるのですか!!」


 これまで冷静沈着だったエリアーナが、しかしここにきて初めて声を荒げた。


「うるさいですわ!! ラウラ卿と常にともにあるあなたに、四天王の座に身を置くわたくしの苦しみが分かるものですか!!」

「…………っ」


 エリアーナは息を吐いて向き直る。


「……アデール領アディア=渋谷でわたくしを見逃してくださったことは、感謝しております。あの娘にも、本当は関与したくありませんでしたわ。でも……、でも……っ!」

「わかっている、わかっているともエリア」


 ラウラは一歩前に出ると、震えるエリアーナの肩に手を置いた。

 その手に己の手を重ねるエリアーナ。彼女の手もまた震えていた。

 しかし、その冷たさの残る彼女の手によってラウラの手はゆっくりと降ろされた。

 そして、エリアーナはラウラの瞳を見据える。

 ラウラと同じ、深紅の瞳で。


「明日よりわたくしは部下を向かわせますわ。ラウラ卿は、いかようにもしてくださいまし。わたくしは直接手を加えることはいたしません。約束は違えません」

「いかようにもって……」


 シロはラウラを振り返る。

 エリアーナは哀しさに表情をかげらせた。


「……ラウラ卿に屠られるのであれば、あの子たちも本望でしょう」

「我は、殺しを望まぬ」


 シロが安堵の表情を見せる。

 しかし、エリアーナはさらに美しいその顔を険しくした。


「変わらず甘えたことをおっしゃいますのね。わたくしが愛情込めて育てた部下たちはわたくしに及ばずも近い実力を持つ先鋭ばかり。──それを幾十人、幾百人、幾千人と前にして、同じことが言えますでしょうか?」

「二度言わせるな。我は殺しを望まぬ」


 は、とエリアーナは息を吐く。


「わたくしにラウラ卿の考えることが分かりませんわ。あのカエデという人間の肩を持ちながら、同族殺しを嫌うとは──どういう了見で?」

「簡単なことだ」


 ラウラは言う。

 かつての絶望を、悲哀を、落胆を蘇らせて。


「人間であるか、魔族であるか、そこに違いを我は求めぬ。在るのはただ、魂の善い悪いである。あの娘は善き魂を持ち、魔族の中でも悪き魂を持つ者を選んで討つ。背中を押すには、これ以上にない理由であろう」

「わたくしの部下は善き魂の持ち主だと?」

「分かり切った事を聞くな」


 エリアーナは一瞬だけ口端を持ち上げるが、すぐに表情を戻す。


「──わたくしの部下に、その論は通じませんことよ」

「構わぬ。我は我の信念を貫く。その上でエリアの部下にこの命をられたのなら、そこまでの想いだったというまでのこと」

「……とんだ自己満足ですわね」

「隠居中の身であるからな。これくらい許せ」


 エリアーナは笑った。

 ラウラもまた笑った。

 寂しそうな笑みだった。


 エリアーナは渋顔を作るシロを一瞥したのち、一歩下がり、優雅にスカートの裾を両手で持ち上げた。


「それでは、ラウラ卿……そしてシロ。ご機嫌よう」


 踵を返して暗闇の向こうへと立ち去るエリアーナ。

 彼女の背中が見えなくなってからもしばらくラウラもシロもその場から身動きが取れないでいた。


 最初に動いたのはラウラだった。


「はぁああああああああああああ…………」


 しゃがみながら大きくため息を吐く。

 そして、頭を抱えて、


「……まずい、非常にまずいぞ! エリアの部下がカエデたそに襲い掛かる!? 流石にしんどみが深いぞ!?」

「ラウラ様、どうしてあんな恰好つけたことを言ってしまうのですか! 先程のお言葉、シロは大変感銘を受けましたが──エリアーナの部隊を相手に不殺の誓いなど、無謀にもほどがあります!!」

「……我もな、そう思う」

「ラウラ様……」


 ラウラとシロは互いに顔を見合わせると、深い溜息をついたのだった。

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