第24話 カノン


「俺にとってこの葉書は、他人から愛された唯一の思い出なんだ。辛い時や寂しい時も、これを見ると元気になれた。だから多分、これが俺の宝物だ」


 うつむく二人を見つめ、雅司がそう言って微笑んだ。





 エアーホッケーをしていた時の、雅司を思い出す。

 誰もが一度はしたことのある、ありふれたゲーム。

 しかし雅司は、今日が初めてだと言った。

 相手がいなかったから。

 両親も、そして妹も。しようとは言ってくれなかった。

 どれだけこの人は、孤独な日々を送って来たんだろう。


 たった一枚の葉書。それだけが宝物だと言った雅司。

 その言葉に、どれだけの想いが詰まっているんだろう。

 彼が何をしたと言うの?

 何も悪いことはしてないじゃない。

 誰よりも他人を思い、寄り添う人。

 誰よりも幸せになるべき人。

 そう思うと、笑顔が辛かった。

 二人は自然と雅司の隣に座り、抱き締めていた。


 手が震える。


 雅司は微笑み、二人の手を優しく握った。





 その時、インターホンがなった。

 モニターを見ると、白のスーツ姿の女性が映っていた。


「え……嘘……」


「な……なんであいつが……」


 ノゾミとメイ、二人が同時に声を漏らす。


「何だ、知り合いか?」


 雅司が尋ねる。しかし二人は視線をそらし、首を振った。


「どちら様ですか」


「雪城雅司さん、夜分に申し訳ありません。少しよろしいでしょうか」


「ああ、はいはい。お待ちください」


 玄関に向かい、後に続く二人に視線を移す。

 これは驚き……いや違う、畏怖だ。二人はこの来訪者に怯えている、そう思った。


「何のご用でしょう」


 そう言って扉を開けた雅司を、来訪者がいきなり抱き締めた。


「やっとお会い出来ました、雅司さん」


 耳元で囁く。


「な……き、貴様!」


「ちょ、ちょっと、不躾ぶしつけにも程があるでしょ!」


 ノゾミとメイが叫ぶ。

 女は動じる様子も見せず、微笑んだ。





 ソファーに招くと、来訪者は躊躇なく雅司の隣に座った。


「で……この人は誰なんだ。知り合いだよな」


 不満気に正面に座った二人に、雅司が尋ねる。


「知ってると言えば……知ってるかもね」


「……認めたくないがな」


 そう言って来訪者を威嚇する。

 そんな二人に微笑みながら、来訪者が答えた。


「私、カノンと申します」


「カノンさん、ね。それで? あなたはどういう存在なんですか」


 前置きを一切出さず、単刀直入に聞く。


「流石ですね。この状況に動じないだけでなく、冷静に把握しようとなさってる」


「まあ、既に色々起こってますからね」


「ふふっ」


 口元に手をやり、小さく笑う。


「私、天使というものをさせていただいてます」


「天使、ね……」


 悪魔、死神に続き、ついに天使様のご登場か。

 本当、どこのファンタジーだよ。そう思った。


「その天使さんが、俺に何の用でしょう」


「ふふっ。あなた、本当に面白い」


 そう言って、人差し指を雅司の太腿に這わす。


「ぎっ!」


 なまめかしい動きで太腿を撫でられ、雅司が思わず声を漏らした。

 ノゾミとメイの視線も気になる。


「あ、あの……カノンさん? これは一体」


「ふふっ、照れてるお顔も可愛いです」


 体を摺り寄せ、耳元で囁く。額に嫌な汗がにじんできた。


「あ、いや、その……カノンさん?」


「何でしょう、雅司さん」


「少し距離が近いと言うか……落ち着かないので、少し離れてもらえますか」


「ふふっ、女体を知らない訳でもないのにその反応、面白いです」


「いや……だから! すいません、一旦離れてください」


 そう言って両肩をつかみ、無理矢理距離を取った。


「あらあら本当、初心うぶなんですね」


 そう言って、再び笑う。


 いやいやあんた、本当に天使なのか? 

 あんたから漏れてるオーラ、誘惑してくるその態度。

 どっちかって言ったら、あんたこそ悪魔じゃないのか?

 そんな言葉が脳内に湧いてきた。


「……」


 ノゾミとメイに視線を移す。

 いつもなら俺たちの間に割り込み、無理矢理にでも引き離そうとするはずだ。

 しかし二人は拳を握り締め、じっと見つめていた。

 カノンが隣に陣取った時もそうだ。何も言わず、耐えているようだった。

 そこに違和感を感じた。


「ノゾミ、メイ。大丈夫なのか」


 思わず発した言葉。

 しかし二人は唇を噛み、何も言わない。


「カノンさん。あなたはその……彼女たちより上位の存在、と言うやつなんですか」


「私の行動、意図よりも、まずそこに疑問を感じるのですね。本当、面白い」


「いやいや、誰だってそうだと思いますよ。今のあいつら、明らかに変ですから」


「そうですね。確かに私は、彼女たちより上位の存在と言えるでしょう。何と言っても、神に近いのですから」


「あなたに逆らうことは出来ない、そう言うことですか」


「そんなことはないと思いますよ。現に私は今、彼女たちに何もいていません。ただ、そうですね……魂の奥深くに、ことわりとして刻まれてるのかもしれません」


「なるほどね」


 雅司は立ち上がり、キッチンに向かった。


「雅司さん?」


「どうやら俺には……と言うか人間には、そういう本能はないようです。あんたが天使だろうが神だろうが、そういうことに関係なく自分を保ててますから。

 ですので言いますが、今のようなスキンシップ、遠慮してもらえると助かります。こうすれば男は皆喜ぶ、そう思われてるようで不快です」


 自分の行動をばっさり切り捨てた雅司に、カノンが初めて表情を崩した。

 先程までの淫靡いんびな笑みも、相手を手玉に取るような視線も消えていた。


「コーヒーはお好きですか?」


「え、ええ……いただきます」


「ノゾミ、メイ。お前らも飲むよな」


「あ……う、うん……」


「ああ……」


 いつもと変わらぬ様子で準備する人間を、天使と悪魔と死神、3人が呆然と見つめた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る