第22話 愛の意味


 ノゾミたちが来てから、2か月が過ぎた。





 この間、職場に久しぶりの新人が配属されていた。

 今回のスタッフは50代の女性で、長く業界にいる大先輩だった。特養(特別養護老人ホーム)やグループホームは勿論、ケアハウス、病院と経験も豊富だ。そう言う意味で、会社の方針に不満を持つのではと心配したが、「まあ施設なんて、どこもこんな物ですよ」と笑って受け止めていた。

 この人は、これまでもっと過酷な現場を見てきたに違いない。そんな面構えだった。

 利用者への対応も手馴れた物で、学ぶことが多かった。この人なら、余程のことがない限り辞めないだろう、そう思った。


 おかげでシフトにも多少の余裕が生まれ、ノゾミとメイの相手をする時間が増えていた。

 そんな雅司は今、自身の変化に戸惑っていた。


 仕事帰りに笑顔。

 あり得ないことだった。


 利用者から負の感情をぶつけられ、絶望に飲み込まれていく職場。

 これまでは、そこから解放されたという安堵しかなかった。

 それなのに今の俺には、無事やり遂げたという達成感がある。

 そして早く家に帰りたいと、心が高揚している。


 ただ休養を取るだけだった我が家。

 しかし今、そこでノゾミとメイ、二人が待っている。


 疲労で体は重い。しかし心は軽かった。

 何故なのか。

 利用者が落ち着いた深夜、よく考えていた。

 そして辿り着いたのは、かつて自分がノゾミに言った言葉だった。


 ーー体が疲れていても、無理にでも何かした方がいい。心の疲れが取れるから。


 介護のように、人相手の仕事で最も大切なこと。それはリフレッシュだ。

 今の生活にはそれがある。

 家に帰ってから、仕事のことを考えることがほとんどなくなっていた。


 新鮮で、賑やかな毎日。


 それを与えてくれるのは、ノゾミとメイ、悪魔と死神だ。

 禍々まがまがしい存在である筈の二人。しかし今、俺はその存在に救われている。

 考えるとやはり笑ってしまう。何ておかしな状況なんだ。


 メイは死神として、自分の魂を刈ろうとしている。

 ノゾミも契約を達成し、魂を手に入れようとしている。




 逃れられない運命。近い将来、俺は死ぬのだ。




 契約が果たされた時。それは人生の終わりを意味する。

 果たしてその時、俺は何を思うのだろう。

 達成感だろうか、高揚感だろうか。それともやはり、後悔や絶望なんだろうか。


 死への憧れは変わっていない。契約したことに後悔もない。

 でも契約が成された時、同じように思っているのだろうか。

 自分を心から愛してくれる。そんな女を前にして、もっと生きていたいと後悔しないのだろうか。


 俺は多分、ノゾミのことが好きだ。

 プライドが高く、それでいて不器用な可愛いやつ。

 初めて出会った時から、俺は彼女に惹かれていた。

 理由は分からない。

 多分これは本能、心が感じたことなんだ。

 こんな日が来るだなんて、思ってもみなかった。





 雅司のことを、私はどう思っているんだろう。

 夕食の準備を済ませたノゾミが、クッションを抱き締めてため息をついた。


 この1か月、本当に楽しかった。

 毎日が輝いていて、新しい発見があるたびに興奮している。


 これまでも契約の性質上、人間と生活を共にすることはあった。

 でもその時、自分の頭にあったのは、一日も早く契約を成すということだけだった。

 おかげで悪魔として、それなりの実績を積むことも出来た。


 自分の起源に不満を持つ者は多い。しかし彼らも、成果の前では何も言えなかった。

 悪魔は完全なる実力主義。

 そう。自分は全てを、結果で黙らせてきた。


 私にとって、この世界はモノクロだった。

 心が躍るなんてこと、一度もなかった。

 人間という存在も、私にとってはただの手段でしかない。

 自分の居場所を守る為の手段。

 これからもそうなんだと思っていた。


 雅司の魂を感じた時、これ以上にない興奮を覚えた。これを手に入れることが出来たなら、私は不動の地位を得ることが出来るだろう。

 もう二度と、後ろ指を差されることもない。

 そう思い、この任務に全てを捧げると誓った。

 その筈なのに……


 これまでの契約は、復讐の手助けや、満足感を与えるものばかりだった。

 しかし今回は違う。私に全てがかかっている。

 初めは簡単だと思っていた。

 契約者。すなわち相手の心を導く方が、ずっと大変だったから。

 それに比べれば、自分の心など造作もない、そう思っていた。

 自分の心は、自分が支配してるのだから。


 でも間違っていた。

 自分の心には嘘をつけない。その事実に困惑した。

 あなたを愛している、そう伝えるのは簡単だ。

 彼を抱き締めて「愛してる」と囁き、それが受け入れられれば、契約は完了するのかもしれない。

 でも……私はその結末に、納得出来るのだろうか。


 自分を誤魔化すことは出来ない。それは契約に対する侮辱であり、悪魔としての尊厳に関わることだ。

 成果を焦るあまり、自分の心に抜けない棘を差す訳にはいかない。

 何より雅司は言った。「心から」だと。

 自分の心と向き合い、雅司の魂に向き合い。心から彼を愛する。

 でないと私は、きっと後悔する。





 私は今、雅司のことをどう思っているのだろう。

 彼のことは好きだ。自虐的な言動はともかく、何事にも誠実で、いつも真正面からぶつかっていく。

 その不器用な生き方、私は好きだ。

 少し私と似てるかも。そう思った。

 自分が大変な時でも相手のことを考える、そんなところも好きだった。

 何より彼は、私とメイを受け入れ、家族のように接してくれている。


 この時間、もっと続けていたい。その思い、何度打ち消したことか。

 もしそれをしてしまったら、自身の出自を認めることになってしまう。

 やはり異端だと、周囲からさげすまされるだろう。

 長い年月をかけて、ようやく築き上げた今の地位。

 それを、ひと時の感傷で失う訳にはいかない。


 メイは雅司を愛してると言った。

 私には愛がどういうものなのか、まだ分かっていない。

 何度もメイに聞いた。でも答えてくれなかった。


「それはお前が見つけることだ。私を頼ってどうする」


 愛するって、どういうことなんだろう。

 好きと、何が違うんだろう。

 自分にとって、愛する存在と聞かれて浮かぶのはただ一人、お母さんだ。

 でもそれは、そう言い聞かせてきたことであり、愛そのものを理解してた訳じゃない、そう気付かされた。雅司との契約で。

 私はただ、自分の心を安定させる為、お母さんを利用していたに過ぎないのだ。


 お母さんのことは大好きだ。私にとって、何よりも大切な存在だ。

 この想いと雅司を愛すること、違うものなのだろうか。

 そしてそれが分かった時、私はどうなるのだろう。

 今よりもっと強く、高潔な悪魔になるのだろうか。

 それとも……


 それを見届けたい、そう思った。

 だから私にとってこの契約は、何が何でも成し遂げなくてはいけないものなんだ。





 ああ。もうすぐ雅司が帰ってくる。

 早く会いたい。

 疲れ切った心を癒してあげたい。


 胸のペンダントを握り締める。

 遊園地に行ったあの日、雅司からもらったペンダント。

 ノゾミは微笑み、あの日のことを思い返した。



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