嫌な記憶




「———— チッ」


 子どもの胸座を掴み、持ち上げた俺に視線が集まる——。


 そのギャラリーたちがあらぬ誤解をし始める前に子供を放した。

 だが、地面に落とされた子供は、俺の手から離れたというのに泣き止まない。そして、その子供を庇うようにシラが俺と子供の間に割って入った。


 そのせいで周囲のギャラリーたちが勘違いしたのは言うまでもない。子供の服装がボロボロなことも起因したのだろう。

 虐待という言葉が人混みから聞こえてきたということは…… つまりそういうことだ。俺が虐待したと思われたらしい。


「…… 子供相手にここまでするなんて最低ね、きみ」

「力が無かったら何もできないだろ—— だから、俺はガキの頃から剣を振ってきた。…… 毎日な。そのガキだってそれくらいできる筈だ」


 毎日剣を振ることに才能なんかいらない。やるかやらないか、ただそれだけだ。

 だが、やらなければ力はつかず、力が無ければ何もできない。


 守ることも、変えることも、全て。


 それをあの日、俺は身をもって思い知った。


「村を守りたいんだったら、それくらい出来て当然だろ」


 半分はシラに向けて、もう半分は自分に言い聞かせるようにそう言った。

 俺にはもう守りたい村などないが、この子供にはそれがあるのだから。


「………… おねがい、しまず」


 ——事件かと騒ぎ立てていたギャラリー達が、その数を次第に減らしていく中。

 さっきまで泣きじゃくっていた子供が涙ぐんだ声で言った言葉に、俺とシラは呆気にとられた。


「—— 僕、もっとづよくなるから。いっぱいどりょくして村を守れるようになるから…… 村をたすけてくだざい。おねがいしまず」


 鼻声になりながらも言い切った子供に俺は驚いた。さっきまでとは面構えが違う。

 俺と同じ強くなるという決意。だが、俺と違う何かを感じた。


「………… 甘えるなよ。今回だけだからな」


 嫌にざわつく何かを感じて首の後ろを触りながら、仏頂面で助けてやると返した。

 その言葉が嬉しかったのか、子供の顔がみるみると笑顔になっていく。


 その顔に「お前が強くなることと引き換えだってことを忘れるなよ」と釘を刺し、子供の村へ行こうと立ち上がった時——。


 —— 身体の芯から震えあがるような遠吠えが王都中に響き渡った。


 ◇


「なに…… 今の鳴き声…… 」


 夜になり、酒場などが賑わい出していた王都を、たった一鳴きで震え上がらせた、獣の遠吠えの様な鳴き声。

 だが、獣とは思えない程に恐怖を煽る遠吠えに、シラが震えながらそう言った。

 そんなシラの一言を合図にするかのように、王城の警鐘がけたたましいほどに鳴り響く。

 本来、ゴブリンのような魔物が王都に侵入したとしても、ここまで激しく警鐘は鳴らされない。それが、王都に侵入された訳でもないのに強く鳴らされている。


 ——明らかに異常事態だ。


「ねぇ…… っ! 今の鳴き声なに⁉」

「あれは…… グロウハウンドだ—— 」


 地鳴りのように低い遠吠えの様な鳴き声—— その持ち主。見た目は犬そのものだが体長が人の三倍はあり、その全身が鋼のような筋繊維に覆われている魔物。

 グロウハウンド。

 本来であれば人の生活圏に現れることはなく、目撃情報も殆ど無いが故に知らない人間が多いその魔物の存在を俺は知っている。


 —— 忘れるわけがない。あの日、俺の住んでいた村を壊滅させたのは他でもないこの魔物だ。


「嘘でしょ…… 。あんなの生き物の鳴き声じゃない」


 震える体を抱きかかえながら呟いたシラの言う通りただの魔物とは訳が違う。それこそ聖剣の使い手でない限り、単独では相手にすらならない。食い散らかされて終わりだ。


「あっちの方…… 僕の村があるばしょだ!」

「—— は⁉ …… クソっ! ガキ、お前の村に早く連れていけ!」

「ちょっと! まさか今行く気なの⁉ せめてあの魔物が去ってから—— 」

「あの魔物がいなくなったらこのガキの村も同じように消えてるぞ。…… 跡形も無くな」


 グロウハウンドであれば、近くに村があれば確実に襲うはずだ。ましてや今一番近くにあるはずの村は、頼みの綱であるマテリアルの防壁がない。

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