第5話 翌朝

 少女を攫ったその晩、シンたちは運び屋と落ち合った地点から数キロメートルほど離れた場所にあるホテルに宿泊した。包囲網が張られることを考慮し、一晩のうちに国外へ脱出することも考えたが、ガルバート邸の所在地はイタリアでも有数の高級住宅街があるナポリであり、そこから国外へ逃亡するとなると地中海を進むか、もしくは北へ行くほかない。

 人一人を連れながら海上を進むためにはどうしても船の類を使用する必要があり、見つかるリスクが跳ね上がるため有効な手段とは言えない。とはいえ、陸路の方も非常に包囲網が張りやすい地形であるため、強行突破は些か無謀だと言える。

 諸々の事情を考慮してシンは一晩で国外に脱出することを断念した。


「……もう朝か。」


 かすかに聞こえる鳥のさえずりでシンは自分が一晩中起きていたことに気づいた。


(まぁいいや。今日はゆっくりするつもりだったし。)


「うぅん……」


 窓から差す朝日の光で少女も目覚め、体を起こして大きく伸びをした。


「おはよう。」


「うん、おはよう……」


 少女はいかにも寝ぼけまなこと言った様子だった。


「顔を洗ってくるといい。その後で今後の予定を話すよ。」


「うん……」


 そう言うとのそのそとした足取りで少女は洗面所に向かった。


(さてと、もう一度チェックしておくか。とりあえず最初の山場はイタリアからの脱出。組織がどんな手で来るかは何となくわかるけど問題は……)


「ふー! あーすっきりした!」


 そうこう思案しているうちに少女は洗面所から出てくる。先ほどとは打って変わって目はぱっちりと開き、整った顔立ちに似合うはつらつとした表情になっていた。


「じゃあとりあえず今日の予定を話そうか。」


「うん。」


「今日の予定は…………『何もしない』。」


「……へ?」


 予想外の返答に少女の口から気の抜けた声が出る。


「わ、私たちってその……お兄さんの仲間から追われてるんじゃないの?」


「うん、そうだよ。ついでに君のお父さんも今頃血眼になって探してるだろうね。」


「何もしないって……移動しないってこと?」


「そうだよ。移動は明日始めようと思う。」


「そんなのんびりしてて大丈夫なの?」


「逆だよ。今動く……というよりこの状況で相手に情報を渡すことが危険なんだ。」


「情報を……」


「さっき何もしないって言ったけど、何もしないって言うのは部屋からも出ないってこと。とにかく今日は僕たちの情報を相手に与えないことに徹する。この部屋に一日中いればまず間違いなく今日のうちに見つかるということは防げる。」


「確かに。でも明日には出ちゃうんだよね?」


「居すぎると感づかれるかもしれないしね。まぁそういうことだからひとまず今日のところは部屋から出ないように。」


「はーい。」


「さてと、それじゃお腹もすいたし朝ごはんにしよう。ルームサービスで好きなもの頼んでいいよ。」


「ホント!?」


 そう言うと少女は目をキラキラさせながらルームサービスのメニューをめくっていく。


「ホ、ホントに何でも頼んでいいの?」


「うん。いくらでもどうぞ。」


「じゃあまずパタティーネ・フリッテ(フライドポテト)!!」


「……意外だね。ステーキとか頼むと思ったよ。」


「ステーキは食べ飽きちゃったもん。フリッテは食べさせてもらえなかったし……」


「……そっか。わかった、他には?」


「えーっと、えーっとね……」


 バサバサと楽しそうにメニューをめくる少女の姿は非常に愛らしく、ついシンの表情も緩んでしまった。


(いっけね、気を引き締めろ。俺には今日大事な仕事があるんだから……)





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