第38話 お互いの気持ち

 俺達は赤レンガを後にして、その足で山下公園へと向かった。

 潮の香り漂い、ウミネコ達が優雅に空を羽ばたいている。

 公園から広がる横浜の景色は、まさに絶景の一言で、緑豊かな公園に囲まれていることもあり、とても落ち着いた雰囲気が漂っていた。


 俺達は海際にあるベンチに腰掛けて、しばし休憩を取ることにする。

 海風が頬に突き刺さり、春のポカポカとした陽気を感じることが出来た。

 春が過ぎたら夏がやって来て、また蒸し暑い季節がやってくるのだろう。


「ねぇ安野君、今日はありがとね」

「いえいえ。寺花さんの期待してたデートになってるか分からないけど」

「私はすごく楽しいよ。安野君とこうして初めての場所に来れて、新しい発見や体験を出来てることが凄くうれしいの」

「……そっか。それならよかったよ」


 寺花さんに喜んでもらえて良かった。


「この後、海が見えるカフェを予約してるんだ。そこのパンケーキが絶品なんだって」

「えっ⁉ もしかして予約してくれたの!?」

「うん、そうだけど?」

「ほんとにもう……安野君ってば」

「えっ……俺何か変な事しちゃった?」


 俺がアワアワしていると、寺花さんが俺の手をきゅっと掴んでくる。

 視線を上げれば、寺花さんは頬を軽く染めながら、その艶やかな唇で言い放った。


「安野君。好き……」


 寺花さんの言葉と同時に、海風がパッと止む。

 波の音も聞えず、ウミネコも鳴いていない。

 まるでこの世界に俺と寺花さんだけが取り残されてしまったかのような沈黙が舞い降りて、二人を包み込む。

 俺は少し心苦しい気持ちになりつつも、念のため寺花さんに尋ねた。


「それは……どういう意味で言ってる?」

「言わないと分かんない?」

「いや、なんとなく分かるよ。けどちょっと確認したかっただけ」


 そう言ってから、俺は俯きがちに言葉を紡いだ。


「俺も……寺花さんのことが好きだよ」


 改めて口にすると、胸がきゅっと締め付けられる。


「ほんとに? じゃあ――」

「待って! まだ続きがあるんだ」


 俺は制止の声を出して、寺花さんの言葉を遮った。

 そして、今俺が思っている気持ちを打ち明けていく。


「俺は寺花さんのことが好きだ。けど同時に、俺はVtuber桜木モモのファンでもある。だから寺花さんがVtuber桜木モモである限り、俺はファンとして応援することしか出来ない」


 そう、寺花さんはVtuber事務所『フラッシュライフ』に所属する桜木モモの中の人。

 寺花さんが好きである以前に、俺はモモちゃんのファンである。

 だからこそ、Vtuber桜木モモを応援し続けたい。


「ここで寺花さんと付き合ったら、俺はファン失格だよ。だから、俺は寺花さんとは付き合えない」


 ファンとして桜木モモが高みへと上がっていく姿をファンとして見届けたい。

 それが俺の本心だった。

 俺がぐっと歯噛みしながら、本意ではない心情を吐露する。

 しばしの沈黙が降り注ぎ、寺花さんが言葉を言い放つ。


「それがどうしたっていうの?」

「えっ……?」


 そんな寺花さんの言葉に、俺は思わず彼女を見つめてしまう。

 寺花さんは凄く真剣な眼差しを俺に向けていて、心なしかどこか表情には怒りのようなものが宿っているように見えた。

 タイミングを見計らったかのように、空はどんよりとした雲が広がり、パラパラと雨粒が地面に叩きつき始めている。


「どれがどうしていけないのかって聞いてるの。別に私がVtuber活動してようが、安野君がファンであろうが関係ないでしょ?」

「いやっでも……もう桜木モモちゃんはアイドルになってしまったわけで……」

「アイドルが恋愛しちゃいけないなんて誰が決めたの?」

「えっ……」


 そこで、寺花さんは衝撃的な発言を言い放った。

 度肝を抜かれてしまい、俺は呆然としてしまう。


「確かに私は、この前の3Dライブを成功させて、Vtuber『アイドル』としての一歩を踏み出したのかもしれない。『フラッシュライフ』としても、そっちの路線を目指してるみたいだしね」


 そう前置きしつつも、寺花さんは真っ直ぐな視線を向けたまま言葉を紡いだ。


「でもアイドルだって一人の人間なんだよ。今まで活躍してきたアイドルだってみんな同じ人間。誰かを好きになっちゃいけないなんて、そんなの周りが勝手に決めた理想でしかないでしょ」

「そ、それは……」

「でもそれが周りの求めていることなら、私は仮面をかぶり続けるよ。アイドルVtuber桜木モモとしての仮面をね。その上で、私は寺花美月として、一人の人を好きになりたいの。今目の前にいる、安野斗真君という男の子を……!」


 そんな寺花さんの目元には、涙が浮かび上がっていた。

 その涙には、今まで寺花さんが担ってきたプレッシャーや周りからの期待を全て背負い、決意染みたものを感じてしまう。


 今思えば、俺は3Dライブに向けて、寺花さんに頑張ってねと応援の言葉をかけ続けていた。

 けれど、裏を返して見れば、それは彼女にとってプレッシャーでしかなく、安らぎの場を提供するどころか彼女に負担を掛けさせていたのではないかと……。

 俺は知らぬ間に、Vtuber桜木モモとしての理想を押し付けていたのだ。

 これでは、寺花さんの負担を何も軽減させるどころか、本末転倒じゃないか。


「俺はなんてことを……」

「勘違いしないで! 私は安野君に頑張ってねって応援されて嬉しかった。心が温かくなって、もっと頑張ろうって気持ちがどんどんと湧き上がってくるの。プレッシャーを感じるどころかむしろ安心感すら感じてた。もう私には、安野君なしじゃ生きていけない身体になっちゃったの。だから、ファンでいてくれていい。私のことをいっぱい励まして応援してくれて欲しい! その上で、私だけのものになって!」


 俺が考えていることを全て見透かしたように言い放つ寺花さん。

 その全てを受け入れた上で、彼女はそれでも俺と一緒に居たいと言ってくれている。

 周りの目を気にして逃げるのではなく、真っ向から立ち向かおうとしている彼女は、誰よりも勇敢で頼りがいがあり、なにより輝いていた。


「……傲慢かな私?」


 少し冷静になったのか、寺花さんが俯きがちに尋ねてくる。


「そんなことない。むしろ寺花さんはそのぐらいじゃないと寺花さんじゃないよ」


 俺は自然と寺花さんにそう返していた。


「前にも言ったでしょ? 全部寺花さんが自分自身で決めたことだって。学校の『アイドル』としての寺花さんも、Vtuber桜木モモちゃんとして活動する寺花さんも全部それは寺花さん自身だって。だから、寺花さんはそれでいいんだよ」


 俺が優しく語り掛けると、今度は寺花さんが潤んだ瞳を向けたまま言い放つ。


「なら、安野君もそのままでいいんだよ。私の一番の理解者で、私の一番のファンでい続けて欲しい。それでもって、私の傍にずっといて欲しい」


 彼女を肯定してくれたように、俺の気持ちも肯定してくれる寺花さん。

 みんなのことを考えて付き合わないという選択は、自分らしくないと言ってきているのだ。


「でも、本当にいいの? 万が一彼氏がいるって世間にバレちゃったら、炎上だけじゃ済まされないよ?」

「その時はその時だよ。それに、桜木モモのスタンスは自分なりに決める事であって、モモナーのみんなは恋人じゃないもの」

「確かに、それもそっか……」

「それにね、今はマッチングアプリでの出会いだったりネットからの恋愛も増えてるけど、結局はリアルコミュニケーションが無いと恋愛って成立しないと思うんだ。マッチングアプリとかネットで知り合った人だって、最終的には絶対にリアルで顔を合わせる訳でしょ?」

「そりゃ、顔も声も知らないまま『付き合いましょう』は、流石に怖すぎるって」

「Vtuberもそれと一緒。ファンは顔も声も人となりも知ってるかもしれない。けど、私はファンの顔も名前も声も知らない。向こうが一方的に知ってるだけで、お互いを理解したわけじゃない」


 言われてみれば、モモちゃんはみんなにエンターテインメントを提供する側で合って、ファンとの交流は出来ない。


「よく考えてみてよ。画面上で『好きです。付き合ってください』って愛の言葉を囁かれてる気持ち。人によってはスパチャのコメントで囁いてくる。顔も知らない人にいきなり言われて、『嬉しい、付き合う―!』ってなると思う? まだ渋谷とか新宿でナンパしてくるお兄さんの方がまだマジじゃない?」

「やめて……それは俺にも刺さるから」


 一方的だとしても、もしかしたらワンチャン振り向いてくれるかもしれないと思って、ファンなみんな期待しているのだから。


「安野君は違うよ。私と会うまではモモナーの一人だったかもしれない。けど安野君は、今こうして私と実際に顔を合わせてコミュニケーションを取ってる。元々ファンだったのを知らなかった頃から、私に対する態度も変わってないでしょ? たまたまいいなって思ってた子が、推しのファンだったって思えばいいだけだよ」

「そ、そう簡単に割り切れるモノなのか?」

「割り切って貰わないと困るよ。だって私にとって、安野君はもう私の人生に必要不可欠なんだから」


 そう言って笑って見せる寺花さんの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。

 いつの間にか小雨は止み、どんよりとして覆われていた雲の隙間から光が差し込んでくる。

 照らされた光が海面を照らして、きらきらと輝きを放つ。

 さらに反射した光の粒子が、横浜の港町を彩っている。

 光の加減で、寺花さんにも光が差し込み、まるで天使が舞い降りて来たかのような神々しさを纏っていた。


「あっ、見て! 虹だ!」


 寺花さんが指さす方向へ目を向ければ、そこには七色の虹が横浜の街にアーチを掛けるようにして街を幻想的な世界にしていた。


「綺麗……」

「ホント、綺麗だね」


 俺も寺花さんの独り言に言葉を加えるようにして呟いた。

 寺花さんは手を合わせながら、その虹の光景に見入っている。


「ねぇ安野君」


 すると、寺花さんがピョンっとジャンプして、こちらへ振り返ると、今日一番の笑顔で言い放った。


「私は皆の期待に応えながら志を目指すよ。だから、安野君のことも全力で私色染め上げて行ってあげるから、覚悟しておいてね!」


 そう言って、寺花さんは抱負にも近い宣言を言い放った。

 俺はそんな自信たっぷりな彼女を見て、心を完全に掴まれてしまう日も、そう遠くはない気がしてしまうのであった。

 というは既に、俺の心は既に彼女に掴まれているのだから……。

 後はもう、俺が覚悟を決めるだけだ。

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