第6話わがままジュリエット①

 局からの帰り道、陽子は自分の車を運転しながら、苛ついた様子で口を尖らせていた。


「なんで私がトリケラトプスの出演交渉担当になるのよ!」


 自分が生まれた頃に解散したトリケラトプスの事を知ったのは、ほんの昨日の事である。そんなバンドの出演交渉を、本田では無く何故自分が担当しなければならないのか。しかも聞くところによると、トリケラトプスは解散後、ソロ活動をする訳でもなく、まるで霧のように芸能界から姿を消してしまったのだと言う。


「消息不明のバンドなんて、どうやって捜すのよ!私は探偵かってーの!」


 まったく、今日は本当についていない。こんな日は、早く家に帰って部屋で焼け酒でも呑んでやろうかと思った陽子だが、神様はそんな気晴らしさえも満足にさせてはくれないらしい。さっきから、渋滞で車が全く動いていないのだ。


「あ―――もう、イラつく!」


 渋滞の原因は、年度末の道路工事のせいだった。陽子の目の前の道路は、本日の午前10時より工事が始まり片側交互通行となっている。朝、局へ行く時にこの道を通った時にはまだ工事は始まっていなかった。それで、帰りもこの道を通ったのだが、それが間違いだった……工事があると知っていたなら迂回して別のルートを選んだのだが、今となってはもう遅い。対向車の一番最後の車両が通り過ぎると、やっとこちら側の車両が動き始める。


「ほら、前の車!もたもたしないで早く進んで!」


 陽子の2台前の車両が動き始めると、陽子はハンドルを叩いて目の前の車の発進を煽る。早くしないと、工事現場の交通整理をしている旗持ちのオヤジに車を停められてしまう。


「ほら!早く行けって、このノロマ!」


 思わず言葉づかいも荒くなる。車に乗ると人格が変わる輩がいるが、陽子もその部類に入るらしい。徐々に前の車の列が短くなっていく。あの、旗を振っている交通整理の横を通り過ぎれば、やっとこの渋滞からは解放される。と、思ったその矢先だった。目の前まで来た交通整理のオヤジが、ちょうど陽子が通る番のところで旗を突き出した。


「ええ――――――っ!」


その数秒後には、向こう側で並んでいた車の列が、堰をきったように陽子の車の横を通り過ぎて行った。


「超ムカつく……あのオヤジ!」


向こうも仕事で仕方が無いとは理解しつつも、陽子は恨めしそうな表情で、その交通整理のオヤジを睨み付けるのだった。



           *     *     *



 陽子を停めた交通整理の男は、向こう側の車線で交通整理をしている同僚と無線で会話していた。


「おい、そっちの方はまだ切れねぇか?さっきから、こっちの先頭の赤いフィットのねーちゃんが、すげぇおっかねぇ顔で睨んでるんだけどよ」

『ハハハ、お嬢様、怒った顔もまた素敵でございますってか』

「いや、何だか知らねぇが鬼気迫った顔だな………んじゃねぇのか?」

『そいつはいけねぇ。こんなところでお漏らしはゴメンだ! え――と、こちら最後尾黒のエルグランド、ナンバー7544が過ぎたらオーケーだ!』

「7544ね。了解!」


 無線で冗談を交えつつ情報を交換した交通整理の男は、連絡のあった黒のエルグランドが通り過ぎるのを確認した後、陽子の車を先頭にして並んでいる車両の列に向かって旗を振った。


 男が旗を振りながら、何気なく横を通り過ぎる陽子の方へと視線を移すと………


「ん?」


 陽子が男とすれ違う瞬間、彼女が運転する赤いフィットの窓が半分程開くのが目に入った。


 そこから横に伸びた細い右腕が、肘から上に曲がり、握った拳から中指だけを立てる。そのまま、陽子の車は男の横をスピードを上げて通り過ぎて行った。


「なんだあの女、気合い入ってんなぁ………」


 過ぎ去っていく陽子の車の後ろ姿を眺めながら、交通整理の男は腹を立てるというよりは、むしろ愉快そうに笑っていた。



            *    *     *



2月20日………


 テレビNETの開局記念日は、およそ半年後の8月24日である。しかし、いくら生放送とは言え、この大掛かりな特番を成功させる為には、今から様々な準備に取り掛からなければならない。スペシャルゲストのトリケラトプスの出演交渉は勿論の事、それ以外にも現在人気のアーティストを中心におよそ百組近くのアーティストへと、出演交渉のオファーを出さなければ24時間のライブを埋める事は出来ない。


その選出、そして交渉の責任者となっているのがプロデューサーの本田である。


 本番まで半年あるといっても、これだけの数のアーティストのスケジュールを押さえるとなれば、あまり時間的な余裕は無かった。言ってみれば、この時点から既にライブは始まっていると言っても過言では無い。


「そうです、8月24日です。いや、新曲じゃなくて過去のヒット曲の方をお願いします!」


 この日、本田は男性アイドルを多く抱えるジョニーズ事務所と出演交渉をしていた。この事務所の所属アイドルの中から本田は三組を選出し出演交渉を試みたのだが、先方の社長はその三組を出演させる代わりに、古株の三組のアイドルの出演を条件に付けて来た。いわゆる《抱き合わせ》というやつである。


 しかも、現在は全く売れていないその古株のアイドルに、新曲を歌わせろと要求してきたのだ。本田は、心の中で舌打ちをする。


「分かりました。では、新曲と過去のヒット曲の両方歌ってもらうという形ではいかがでしょうか?」


 そんな打開策を呈示し、本田はなんとか先方との出演交渉を取り纏めた。


「では、その方向で宜しくお願いします。失礼します」


 低姿勢で受話器を置くと、本田は苛ついた様子で煙草に火を点け、ぼやいた。


「まったく、調子に乗りやがって………あいつらの新曲なんて、いったい誰が聴くんだよ!」


 そんな事をすれば、途中でチャンネルを変える視聴者が出てこないとも限らない。その古株のアイドルには申し訳無いが、彼等の新曲はCMの時に歌ってもらう事になるだろう………本田は心の中でそう呟いていた。



          















































































































































































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