第4話 王都行き魔道機関車事変②

 窓に着いた赤い液体を見て、ネクスは青ざめる。


「何よこれ……イタズラ……?!」


 そうだとしても、列車が止まった説明はつかない。明らかに異常事態が起こっているのだと、ネクスは察する。それを、リリベルとミケッシュも同時に悟ったようで、ミケッシュは小さく悲鳴を上げ、リリベルは息を呑んだ。


「どうしましょう、とりあえず待ってればいいのかしら」


 唯一、冷静でいたのは、ネクスだった。彼女だけは、驚きつつも、すぐにいつもの調子を取り戻し、少しばかりの恐れを抱きつつも、喋り始めた。


「だ、大丈夫だと思う……その……列車の事故が起こった時は、乗務員さんに任せればいいから……」


 リリベルもまた、この列車の異常事態に対して自分なりに気持ちの折り合いがつけられたのか、落ち着きを取り戻しそう言った。


「っ! ひっ!」


 唯一、恐怖に駆られたままだったのは、ミケッシュだけだ。ミケッシュは窓の外に付いた血を再びみると、二の腕で顔を塞ぎ込む。だが、混乱からか完全に目を塞げてはいない。


「ミケッシュ、怖いなら目を背ければいいのよ」


 そういうネクスは平然とした表情で窓を見つめている。しかしミケッシュは体勢を変えようとしない。


「い、い、いや……でも、体動かな……」


 怖がるミケッシュを見かねてかリリベルは震える足を必死に押さえて、震えを止ませた後、スッと立ち上がり、窓に常備してあったカーテンを閉めた。


「これで……大丈夫……」


 気休めだが、血のついた窓という精神的に悪影響な光景を見ずに済んだためか、ミケッシュも徐々に震えをなくして、おずおずと、席の上で縮こまる。


「あ、ありがと……」


申し訳なさそうにミケッシュが謝ると、


「大丈夫だよ、大したことじゃないし」


 といってリリベルは微笑む。


「と、とりあえず、何かの事故だろうし、しばらく待ってよう」


 リリベルの提案にネクスは「そうね」と平然と返した。


「とりあえず、お菓子でも食べる?」


 ミケッシュは首を振った。


「そう、じゃあ私は頂くわね」


 ネクスはすっかり忘れられていた家族から待たされたのだろうクッキーを齧り始めた。


「よく食べられるね……」


 関心と呆れが混じる口調のリリベルにネクスはクッキーを齧りながら、不敵に笑った。


「騎士たるもの、いつどこでも、どんな状況でも食べられるような人間になっていないとね」


「そ、そうかもね」


 リリベルは顔を引き攣らせた。確かに一理ある。だがそれを実践できる人間は中々いないだろう。特に、ここにいる全員はまだ騎士どころか、その前段階、学生、所謂従騎士にもなっていないのだから。


 思った以上にネクスという少女は肝が座っている。彼女の様子を見ていると安心感さえ覚えたリリベルは、ふとミケッシュを見た。


「……」


 ミケッシュも萎縮しているものの、ネクスのおかげか若干落ち着きを取り戻しているようだ。列車の客室という狭い空間で、恐怖の雰囲気が抜けつつあった。


(あと、どれくらいかかるんだろうな)


 そんな風にリリベルが考える暇がある程度に。

 そして十分ほど、立った時だったろうか、ふとミケッシュが口を開く。


「どうして……」


 その一言が興味を抱いたネクスは尋ねた。


「何よ、何か疑問があるの?」


「いや……その……」


 いまだに、恐怖に怖じけるミケッシュは小さく声を震わせながら発した。


「その、ここって……アタシたちの車両って、運転席から離れてるじゃない」


「そうね」


「それなのになんでって……」


 客室の空気が凍る。


「どういうこと?」


 ネクスは、眉を顰めながら聞く。


「た、大したことないんだよ? でも、列車の先頭車が被害者の人を轢き殺しちゃったのなら客車の窓にまで血がつくのかなって……」


 この魔道列車は、運転車両を含む、全部で十個の車両がある。その中で、ネクス達がいる車両は運転車両から数えて三つ目だ。


 リリベルも考えを巡らす。果たして、血はこんなところに届くのだろうかと。

 いや、それ以前に、どこの車両にいたとしても血が窓に付着するということはあり得るのか?


 どんな事故だったかも想像はできないが、少なくとも、列車は止まっている。つまり──。


「運転手さんは、その事故を認識した。だから間違いなく事故は先頭車両側で起きてる……と思うんだ……」


 リリベルの考えを補足するように、ミケッシュが答える。

 そしてリリベルの直感が告げた。嫌な予感がする、と。


「でも実際に、血はついてるじゃない」


「そ、そう。だから不思議で……」


 ネクスとミケッシュが、会話してる横で、リリベルは自身が感じた直感に突き動かされるままに、窓のカーテンに手を伸ばす。


「リリベル? どうしたの?」


 ネクスの質問に、リリベルは「確かめてもいい?」と尋ねた。

 ネクスとミケッシュは首を傾げあい、その後頷く。

 了承も得たリリベルは息を呑みそして──。


 カーテンを開けた。


 そこには血の痕跡がなかった。跡形もなかったのだ。

 再び凍りつく、客室。驚愕する三人は混乱の渦中に叩き落とされる。


 だがそんなことは、些細な問題に過ぎなかった。叩きつけるような音。

 三人は見た、窓に血まみれの手が張り付くのを。


「きゃあああ!」


 ミケッシュは叫ぶ。

 咄嗟に、窓から離れたネクスとリリベルは、警戒をしながら、窓を見つめる。


「はっ、はっ……!」


 リリベルもまた恐怖から、息が荒くなる。ミケッシュは席に座り縮こまり再び震えている。そんな中、特に変化がなかったネクスだけだ。


 そして、下から伸びる窓に張り付いた手は、そのまま何かを支えるように力を込めている。何かが起き上がってくる。


 肉塊だ。

 ぬるり、と下から這い上がってきたのは赤い血を吐き出しながら、も形を保っている歪な肉の塊だった。


 その肉の塊の中に歯茎と白い歯が混じっている。それは辛うじて口の形を保っていた。


 そしてその口は、男とも女とも言えぬ、または男と女が混じったような声で言った。


「魔王さま、お迎えに、上がりました」


 瞬間。列車が大きく揺れた。

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