(Day 5)第16話:セレナ、逆襲する

淫魔城最上階。

中央のバルコニーは、天馬が降り立ちもできるように大きくひらけている。


宝物庫のあとは、別階の資料室や謁見室なども覗かせてもらったセレナの、ここが最後の目的地だった。この後はまた自室に戻ることになる。

眼下に広がる街の向こうには山々が霞み、右手には夕陽がその姿を稜線に隠そうとしていた。


白い柵が淡いオレンジに色付き、長い影を伸ばすその手前に、ふたりは佇んでいた。




「淫魔はあまり戦闘には向かない、と、ギルバート殿が言っていた」


「そうだな、侯爵を差し置いて警備兵に敬語を使うとはどういう了見かと愉快だった」


「き、気にするなと言ったのはそっちだろう」


うむ、構わんよ、そう言ってインゾルゲはくつくつと笑っている。


じゃあギルバート殿のほうを、インゾルゲに合わせるべきなのかな……?

敬称をつけるなら、インゾルゲさま、が愛らしくていい、と言われた。愛らしいなんて、垢抜けない私をまた馬鹿にして、と思ったけれど、本当にそう呼ばれると嬉しいんだろうか。今の格好ならそれもさまになったりするんだろうか……。


変なことを考えていないで、話を戻そう。


「城内で見かけた淫魔たちからも、確かにさほど種族として強くないんだろうとはなんとなく感じたんだ」


「ヒトとて本来は弱かろう。お互い野犬にも噛み殺される程度の生き物だ。生まれながらに硬い鱗を持ち強靭な筋力を誇る竜戦士が羨ましくなるな。俺も力比べではギルバートには敵わん」


「ギルバート殿……ギルバートもトマソンも、この城の中で特性にあった仕事を任されていた。多くの魔物がいる淫魔城で、戦いに適した種族が兵士になるのは理にかなっている。でも、インゾルゲは魔界随一の槍の使い手なんだろう。彼も槍を持っていたが、かなわない、と」


「槍の技術については、上には上がいるものだろうと思うがね。まあ、ギルバートと戦えば俺が勝つのは事実だ。……お前と戦ったのも、ちょうどこのぐらいの時間だったかな」


夕焼けに目をやるインゾルゲ。そうだ、あの時も、日が落ちるすこし前だった。


「うん……インゾルゲは本当に強いと感じた。インゾルゲが特別なのか、それとも資質にめぐまれない淫魔たちでも特別な強さを得る方法があるのだろうか?……軍の秘密かもしれないから、答えられないならいいのだけど」


「ふむ、そういう話か。そうだな、能力を高めるすべはいくつかあるだろうが、急激にすべてが天分を超えることなどないし、あったとて一時いっときのまやかしに過ぎん。己の血肉となる強さとは一歩一歩、鍛錬と実戦を繰り返し積み重ねることでしか培えんものだと俺は思うよ。そこに秘された近道などない」


インゾルゲの頭には、能力向上の木の実と、勇者の覚醒奥義が浮かんでいる。いずれも近道といえばそうなのだろう。といっても前者は、能力が上がることで変わった感覚に慣れなければむしろ危険なくらいで、逆にそれとていつまで効用があるかもわからない。後者は最初の一撃だけが強いという、一時のまやかしそのものだ。

これまでインゾルゲが持っていた哲学と矛盾まではしないだろうとしての、セレナへの回答であった。

ただ、『攻略情報』は怪しいかもしれんな、そう考えたインゾルゲは言葉を付け加える。


「正確に言うと、あの時の俺が強かったと思ったならば、それは単に俺が努力して鍛えたからだ。別に俺だけが異例の天禀に恵まれたわけではない。お前も優れた戦士だが、ヒトの域を超えて生まれたわけではなかろう、それと同じさ」




セレナは考える。


セレナは人間の中では特別な剣の才能があった。騎士の養成所では並ぶものがなかったし、誰よりも研鑽を重ねてその才能を磨いてきた。一方で、周りでは自身の資質に見切りをつけて、戦いとは別の道を選んでいった者も数多い。若き日のセレナはそれを残念に思っていた。修練を積めばいつか花開くはずなのに、と。

勇者レオンたちと会ってからは、むしろ逆に、世の中には神に愛された者がいて、各々に各々の天分があるのだと理解できたと思っていた。その道に適した者がその道を歩むことが正しい。かつての同輩たちが剣を置いた理由も、理解できたと思っていた。


ただ。


もしも若き自分の隣にギルバートがいたならば、どうだったろうか。一撃叩かれれば紫に腫れ上がる柔肌で、真剣をろくに持ち上げられもせぬ細腕で、隣で鍛錬を重ねる竜戦士をいつの日か上回ることを目指して努力を続けられたのだろうか。

敵として渡り合う際には、種族特性の優劣など考えたこともなかった。そんなものを言い訳にしたところで、他に代わりに誰かが戦ってくれはしないからだ。

しかし、明らかに戦闘により適した者たちが周りにいたらどうだっただろう。すこし同種族の中で優れているからと言って、剣を振り続けられただろうか。諦めてかつての同輩たちと同じ道を選ばなかったと、自分は胸を張って言えるのか。


在りし日のインゾルゲは、いろんな魔物たちの中で、きょう見た淫魔たちと変わらない、ひよわな存在だったのだろう。すこし目立って適性があったとしても、そこには歴然とした差があったはずだ。その中でいまの力を身につけるに至るには、どれほどの逆境と闘ってこなければならなかったことだろう。


そう考えると、セレナを打ち負かしたインゾルゲの強さは、単純に魔物の長だから持っている当たり前の特徴なのではなくて、なにか、より崇高なもののようにセレナには思えるのだった。


「インゾルゲは、本当に強いと感じた。いまはもっと、そう思う」




インゾルゲは静かに微笑んで、左手を差し出した。

セレナもごく自然に、その手を取った。

沈む夕陽が、ふたりの背中を暖かく彩っていた。



***



ふたりが部屋に戻ると、ゲルダが中にいた。

テーブルには既にマットが敷かれ、食器が用意されている。


「そのように愛らしく装ってくれたのだ、茶も会食もなしでは罰が当たる。俺は軽食にさせてもらうがね」


前菜、サラダ、パン、スープ、メインディッシュ、ドリンク。いつものようにセレナの前にお皿が並べられていく。インゾルゲはきなこのような茶色い粉がまぶされた上から黒蜜をかけたヨーグルト、泡の立った暖かい飲み物を受け取った。


ゲルダはもう一皿取り出した。苺のショートケーキである。たっぷりの白い生クリームに乗った真っ赤な大きい苺の隣には茶色いウエハースが添えられ、軽く金粉が振られていた。


「赤と白の別嬪さんには赤と白のお菓子が似合うだろうというのが、料理長からの伝言でやんす」


「あれでなかなか行き届いた男でな。粋なことをする」


「ありがとう、心遣いがすごく嬉しい。とても感謝していたと伝えてくれるだろうか」


ゲルダはニンマリとうなずいた。




食事を摂りながら、セレナは一日のお礼を言う。


「いろいろと案内してくれて本当にありがとう。インゾルゲも、少しでも激務の気晴らしになったなら良かったのだけれど」


「楽しい時間だった。歩き回らせるばかりだったが、見慣れぬものも見せられたかと思う」


「うん、お城もそうだし、また別の魔物と知り合えたのも学びになった。トマソンにもこんな風に気にかけてもらったし、ギルバートも私の境遇を理解してくれていた。自分の偏狭さを振り返ると彼等には頭が上がらないよ。淫魔たちには脅えさせてしまったかもしれないけれど、彼等彼女等にも害意がないことを伝えていけるといいなと思う」


「マーニャと知り合ってくれたのだ。時間の問題さ」


首元のハートに手をやる。

優美な淫魔侯にも気後れせず胸を張って歩けたのは、マーニャのおかげだ。生まれたつながりを思うと、このさきいろんな者たちとわかりあっていこうとする中で困難があっても、立ち向かっていけるような気がする。

今日着せてもらったこの服が、この先も力をくれる気がする。




食事の終わりにインゾルゲは言った。


「昼は持て余すという話だったな。今日は俺に付き合ってもらったが、明日一日は我慢してくれるかね。なんらか手配しよう」


やっぱり本当にいろんなことを私のために考えてくれるな。今日も半日使わせてしまった。


手を引いてくれてありがとう。

いろんなことを教えてくれてありがとう。


もっともっと素直に感謝を伝えたい。

尊敬していると伝えたい。


セレナにはそこまでの勇気が出せなかった。淫魔のインゾルゲに、そのまま女性としても求められてしまうことが怖かったから。裸にされることが怖かったから。今日みたいな可愛い衣装で誤魔化せずに、裸の女性として、自分が劣っている存在だと気付かれてしまうことが怖かったから。

マーニャの強さが眩しい。




扉の前でインゾルゲは振り返った。


「俺の我儘で湯浴みと逆転させてしまった。ひとあし早いが先に言っておこう、おやすみ、セレナ」


セレナは、胸に両手を当て、深呼吸した。

うつむきそうになるのをこらえて、インゾルゲを見上げる。


大丈夫だ、この服が勇気をくれる。


「ありがとう、おやすみなさい、インゾルゲさま」


ガタガタッ


インゾルゲは胸を抑えてよろけ、扉にぶつかった。


「も、も、もう一回言ってくれ」


「い、イヤだ!」


セレナは、なんとかインゾルゲを扉の外へ押し出した。

バクバクと鳴る心臓は、いつまでもおさまらなかった。

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