(Day 2)第5話:セレナ、お風呂で暴れる

監禁生活二日目。


溜まりきった疲労から昼前まで眠っていたセレナは、目覚めてすぐには自分が捕虜として監禁されていることを思い出せないほどであった。

柔らかい寝具が起き上がるのを躊躇わせる。


部屋に漂うほのかに甘い花の香りにも、慣れた気がしていた。激しい議論には合わないかもしれないが、とても落ち着ける。昨夜も安眠がすぎるほどだった。好きかもしれない。

衣服も良い匂いがするし、入浴時にもいろんな香りのソープなどが出てきた。世間の女性はああいうものに触れたりもしているのか。

貴族とはいえお洒落にも疎く垢抜けない武辺の自分が、こんな生活を体験することになろうとは。




昼食を運んできたのは昨日と同じオークであった。セレナはそれである程度の時間を知る。

オークは色の異なる同じような衣服を着ていた。日によって替えているのだろうか。


昨日インゾルゲが残していったお茶の用意を片付けて、昼食が広げられていく。

半透明のスープと炙ったサンドイッチ。レタスとハムとチーズがふんだんに挟まっている。蜂蜜のかかったヨーグルトも添えられ、テーブルに用意された皿はどれもまた非常に美味だった。

オークは豚に近い顔付きをしているが、豚肉でできたハムは気になったりしないのかな。

そんな妙なことを考えながら、セレナはまた綺麗に平らげたのだった。

ご飯をしっかりと食べることで、失った血も少し戻ってきた気がする。




淫魔侯インゾルゲの言葉どおり、昼間は誰かが訪問することもなかった。


仲間たちは今どうしているのだろうか。


左手の甲に刻まれた純白の紋章、勇聖紋を見つめてひとり思う。

無事にあのダンジョンを踏破できていればよいが。

なんとか無事を知らせるすべはないものか。

淫魔城に囚われたと知ったらレオンは助けに来てくれるかしら。いや、それはさすがに危険すぎる。私が逃げ出すほうがまだしも現実的だろうか。

この生活を続けたいと思わせることが淫魔侯の思惑なのか。

しかし、そう勘繰ることは、騎士としてもてなしてくれているインゾルゲに対して礼を失することにも思える。

まだ体力は万全ではないから、いずれにしてももう少し機を伺うほうがよいかもしれない。

淫魔侯との舌戦についても用意しておかないと。


ソファーに腰掛けていろんなことをつらつらと考えているうちに、セレナは寝入ってしまった。疲れはまだ取れきってはいないのだ。




微睡まどろみに揺られながら、セレナは夢を見ていた。

淫魔城の一室にいる夢。なぜだか白いドレスを身につけている。

重い扉がいきなり蹴破られる。

……セレナ、助けに来たよ!!

勇者レオンだ。ひとり危険を冒してセレナを救いに来てくれたのだ。

彼の駆る白馬の背に乗って、セレナは颯爽と自由を得るのだった。


目を醒ましてセレナは恥ずかしさに苦笑する。

レオンは馬には慣れていないし、自分はあんなドレスなど着たこともない。

聖騎士の身で鎧もまとわず救ってもらおうとは、どこの乙女だ……。

やはり自分で脱出の機をはからねば。




重いカーテンの奥の窓は嵌め殺しにされており、魔法結界も張られているようだった。そこから抜け出せはしないものの、日の加減で時間を知るには都合が良かった。

陽射しがオレンジ色に変わる夕刻を過ぎて、湯浴みの準備に訪れたのも、昨日と同じ侍女の女性淫魔である。相変わらずオドオドとしている。


用意ができたと告げる彼女に従い、昨夜ゆうべの要領で入浴を進める。今夜は寝ないぞ……。

髪のケアの後に、この女性淫魔は、黒い泡で洗顔もしてくれた。昨日は寝落ちしてしまっている間に行ってくれていたのだろうか。

頭にタオルを巻かれる。湯船に浸かりながら、すこし会話ができないものかとセレナは話題を探してみることにした。

わかりあうべく言葉を交わす、昨夜のインゾルゲのげんすべてに納得したわけではなかったが、どこか触発されたのかもしれない。


「今日もありがとう、素晴らしい湯加減だ」


「……恐れ入ります」


蚊の鳴くようなかぼそい声で応じる侍女。


「この城ではずいぶんと様々な香りを用いているのだな」


「淫魔の嗜みでございます……」


相手を籠絡する上で香りの要素も欠かせないということか……。

潔癖なセレナには少しだけ引っかかった表現であったが、考えてみれば人間の女性でも同じように気を配っていたりする。

セレナ自身、良い香りに包まれるのは嫌な気持ちはしない。


「ソープも、衣服も、部屋の香りにいたるまで、色々と工夫しうるものなのだな。私はそういうことには疎いが、いい匂いだというのはわかる」


「はい、お身体のソープはラベンダーとジャスミンを中心にした清潔感のあるフローラルなものをご用意いたしました……。衣服の洗剤はベルガモットとホワイトローズがメインのやや近い系統のものでございます……。お部屋のフレグランスにはネモランサスの花で少しでもおくつろぎいただけるよう、いずれもあるじが手配いたしました……」


色々とあって難しい。

……ネモランサス??!


セレナはその名前を聞いたことがあった。数ヶ月前、邪教集団の陰謀と対峙した時……。

傀儡くぐつに落とされ虚ろになった信者たちの姿が浮かぶ。

催眠洗脳に使われる薬草だよ、ネモランサスを煎じた薬で人々を操っているんだ、そう狩人のジェシカがたしかに言っていた。


そう気付いた瞬間、血が冷える。

セレナは慌てて一気に浴槽から立ち上がった。薬湯が大きく飛沫をあげて飛び散った。


「やはり私を姑息な手段で洗脳しようとしていたのか!!!」


「ひっ!!!」


セレナの鋭い声に、女性淫魔は震え上がって尻餅をつき、這いずって浴室の隅にバタバタと逃げた。少し溜まった水が跳ねる。

座り込み頭を腕で覆って縮こまる侍女。

セレナがバスタブを跨いで外に出ると、バチャリとした水音に、いよいよ侍女はおののいて泣きじゃくりはじめた。


「こ、殺さないで……」


その命乞いに、セレナは強い違和感を覚え、にわかに冷静になった。


昨日もそうだったが、このサキュバスには私のことをどうにかしようという意思はないように見える。そもそも香りの名前を伝える必要もなかったはずで、悪気なく答えたのは本当に悪気がないからでは……。

彼女には罪はないのか……??


相手のことを考える余裕が多少なりとも生じたのは、昨夜の問答もあったからだが、それ以上に、この淫魔が自分のために世話をしてくれてきたことも大きい。少なくとも昨晩の彼女は、セレナの怪我をいたわる様子を見せていた。

相手と触れ合うことでわかり合える余地も生まれるのではと思ってね、昨日から考えていたインゾルゲの言葉が自然と脳内でリフレインした。




とはいえども、なんらかの術中にあるおそれのほうが当然大きい。

セレナは緊張を緩めぬよう、タオルを拾って手早く身体を拭き、用意されていた衣服を身につけて、浴室を素早く出た。たとえ服に罠が仕込まれていたとしても、全裸のままでいることもできない。

部屋の隅で固まったままの侍女にはつとめて目を向けないようにした。


浴室からはしばらくの間、泣き声と物音がしていたが、片付けた荷物とともにコソコソと出てきた侍女は手早く一礼をして部屋から走り去っていった。


セレナは部屋の香りに飲まれぬよう、口元にタオルをあてがっていたが、そんな侍女の様子を見て、先程の振る舞いを少し後悔した。




湯浴みの後、さほど時間も経たぬうちに、例のオークであろう者が食事を運んできたが、とても食べる気になれなかったセレナは、内側の扉越しに追い返した。


淫魔の策謀の渦中にいるならば、打開にはどうしたものか。

セレナは座ることもせずにタオルを持ちながらウロウロと室内を歩き回り続けるのだった。



***



今夜また来ると言っていた淫魔侯インゾルゲ。

ノックの音に、待ち受けていたセレナが返答もせず扉を睨みつけていると、一声のちに悪びれずに入ってきた。


「部下に不手際があったようでね」


「……何をしゃあしゃあと。この部屋に立ち込める匂いはネモランサスのものだな? 私を洗脳して手駒にするつもりだったのか!!」


「たしかにネモランサスのの香りだ。リラックス効果があるといわれている。そのは更に薬効が高く、睡眠導入に用いるし、用量によっては精神により強い影響をもたらす劇薬の一種だというのも正しい。香水は捕虜生活では気も休まりづらかろうと思って急ぎ用意させたのだが、お気に召さなかったかね?」


――ネモランサスを薬で人々を操っているんだ


ジェシカの言葉をもう一度しっかりと思い返す。

他人から聞きかじった知識ゆえ、現在の用途がそれを意図したものであるか正確な判断がつかない。ただ、インゾルゲの言葉は記憶と整合した。

自分は早とちりで彼等の厚意を踏みにじろうとしているのか……??


「い、いや、香りそのものが気に食わないというわけではなくてだな……」


歯切れが悪くなったセレナの非礼を咎めるでもなく、インゾルゲはひとり先に椅子を引いて腰掛けた。


「お前は勇者パーティーの一員で、魔物を憎んでいて、俺と渡り合っただけの強者だ。部下にとっては人食い虎の檻に入って世話をしているようなものでな。なにぶんヒトのならわしには疎く、不調法で気に食わないこともあるかもしれんが、あまり虐めないように頼むよ」


そう言われてセレナは昨日からの、この部屋に訪れた女性淫魔たちのどこかビクビクとした振る舞いに合点がいった。

彼女達は純粋に私を恐れていたのだ。

怯えながらも気丈に身の回りの世話をつとめてくれていただけの侍女に対して、香りの説明を聞いただけでいきなり理不尽な憤りをあらわしてしまったことになる。


セレナは、急激に罪悪感に襲われた。


「わ、私の方こそ、せっかくの厚遇に唾を吐くような真似をしてしまって済まなかった……。淫魔の城に囚われたと考えると、どうしても気が張っていたんだ……。許してほしい……」


インゾルゲは満足気にうなずいて答えた。


「うむ、わかってくれると嬉しい。勿論あの侍女には処分をくだそう。明日からは別の者を寄越すから安心してくれたまえ」


その言葉に、セレナは更に焦った。


「ちっ、違うんだっ! 私が勝手に誤解しただけで、あの侍女に罪は何もないっ! 処分などやめてくれっ!」


取り乱すセレナに、インゾルゲは驚いた表情を見せた。


「ふむ……魔物はすべて殺すべき敵、お前はまだそう考えていると思っていたよ。昨日の会話もあってね。我が眷属にも心を配ってくれるのだな」


そう言われたセレナは確かに自分が、一両日敵意を持たずに触れ合っただけで、淫魔たち、すなわちインゾルゲとその侍女を、唾棄すべき、抹殺すべきだけの怪物ではなく、ひとりひとり別の生をもつ存在として捉えはじめていることに気付いた。


昨日インゾルゲが言っていたのは、もしやこういうことか……。




聖騎士セレナの中で、何かが変わり始めていた。

それは彼女にとって、幸福となるのか、それとも不幸を呼ぶのか……。



***



インゾルゲは平然と振る舞いながらも、まるく収まったことに内心かなり安堵していた。


悪気があってネモランサスの香水を用意したわけではなかったものの、確かに邪推を呼びかねない要素も否めない。

聖騎士は薬には疎いとばかり思っていたが、不完全な知識を持たれているとかえって何に怒るかわからんな。

事前の諜報も『攻略情報』も参考にはなるが、やはり直接人物を見ていかねば判断を誤りかねん。

今回はひとつ勉強になったと言える。


しかし聖騎士の物わかりが存外良くて助かった。

この手の幼少時からを施された者は価値観も凝り固まっているものと思っていたが、旅での見聞が人物を広げたか、はたまた、よほどもとの心根が素直か……。

人間側の『攻略情報』との乖離具合など、人となりを探ってゆくための会話の試みではあったが、このまま対話を深めていく価値もあるやもしれんな……。




インゾルゲもまた、セレナに対する認識をあらためつつあった。

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