「蝉の抜け殻みたいだろ」

「お前ら馬鹿なのか?」


 夏目が目的地だと言ったのは木造平屋の一軒家だった。

 引き戸をあけて中に入るなりへばって床に座り込んだ夏目を見て、奥から現れた五十代ほどの男性が開口一番吐き捨てた。


 実を言うと目的地はマリが座り込んだ場所から二十メートルほどしか離れておらず、夏目のスタジオの端から端までくらいの距離しかなかったのだが。

 マリを抱えてステップを踏んだ夏目は半死体というよりもほぼ死体となっていた。


「うるせえよ。ステップ小さくすればいけると思ったんだよ」

「お前ダンス辞めてもう五年だろ」

「四年」

「変わんねぇよ。なのに無茶やるからそうなるんだ」


 〝お前ら〟とひとくくりにされたのは気に食わなかったが、マリも夏目は馬鹿だと思う(楽しんでいたことは棚にあげる)。

 食事もまともに取っていない夏目があんな運動をしてただで済むわけがないのだ。


「で、ここどこなの?」


 板張りの床に寝そべって濡れタオルを目元に載せている夏目のそばに丸椅子を置き、右足をぷらぷらさせながら訊いてみるが当然のように返答はない。

 かわりに苦言を呈した人物の声が背中側からかかる。


「ここは岩井義肢装具製作所で俺が社長の岩井だ」


 岩井と名乗った男性はがたいのいい、どちらかというと大工の親方という体格で、夏目より背は低いものの存在感は圧倒的に勝っていた。

 ボケットがこれでもかとついているカーキー色のつなぎからは夏目同様石膏の匂いがした(それでも夏目ほど汚れてはいない)。


「そんでこいつが俺の弟子」


 夏目の肩を壊す勢いで叩きながら岩井が言うと、濡れタオルの向こうから呻き声が漏れた。


「弟子になった覚えはねえ」


 死に体のわりには突っ込みが早い。

 岩井が笑顔のまま夏目の胸をぐりぐりと押すと、飛び起きて「痛てえよ、やめろ」と振り払った。

 あの夏目がいいように操られている。

 新鮮だ。


「お前は相変わらずだな。さっさと大学辞めて専門行け。あそこじゃ義肢装具士になれんぞ」

「別に。なる気ないんで」

「かわいげねぇな。十七でここに飛び込んできたときのほうがよっぽどいい子ちゃんだったぞ」

「いつの話してんだよ。道具、借りるからな」


 濡れタオルを首にかけて夏目が立ちあがった。

 不機嫌そうに「月島、こっち」と呼ぶので松葉杖でついていくと大きな作業台の上に持ってきた荷物を置いている。

 三日前にマリの足から採取した陽性モデルだ。

 「お前そこ」とマリのことも荷物扱いして夏目が丸椅子を指差した。


「夏目さんって大学でなんの勉強してるの?」


 いらっとしつつも腰掛けながら訊ねる。

 モグリの義肢装具士だと思っていたら、そもそも義肢装具士になれない大学に通っていたなんて。

 そのくせ義肢装具士の弟子となると身元がまったくわからない。


「バイオメカトロニクス」


 端的に答えて、夏目は陽性モデルの周りに貼りついている包帯剥がしに専念してしまった。

 案の定というかなんというか、解説してくれる気はないらしい。


 暇を持て余して岩井を探すと、向こうは向こうで似たような作業を行っている。

 暇なのはどうやらマリだけのようだ。

 仕方なく夏目の作業を見ていることにした。

 足型から取りだしたばかりの陽性モデルは表面がでこぼこしているのでやすりを使って磨いていく(ラップにつけておいた印はちゃんと移っていた)。


 ……という作業も見飽きてしまい意味もなく視線を彷徨わせたところで、作業台の隅に押しやられていた元足型に気づいた。

 真ん中に切り込みを入れて引っぺがされた石膏包帯は元の形に戻りたいのか切り口目指して丸まっている。


「足型の抜け殻、気になる?」

「は?」


 抜け殻って何だ。

 また突拍子もないことを言いだしたと呆れるマリの横を夏目の左腕が抜けていった。

 石膏包帯の残骸を軽く持ちあげ、


「蝉の抜け殻みたいだろ」


 何を言っているんだこの男は。

 前々から思っていたが、感性が独特を通り越して変人の域だ。


(でも、言われてみれば……)


 マリが足型の残骸に興味を移したときには夏目はすでに作業に戻っている。

 なによ、自分から振ったくせに。

 またしても暇になってしまったので、ちょっとだけ想像してみた。


 背中にあいた真一文字の切り口から白くてぶよぶよの身体を押しだし、夜明けとともに大人になっていく。

 外の世界に触れた身体は徐々にくすんで固くなっていき、かわりに透明の美しい翅と遠くまでよく響く声を手に入れる。

 そして七日間の断末魔を終えると綺麗さっぱり死んでしまうのだ。

 蝉が命を代金にして翅と声を手に入れたのだと思うと、海の魔女は手広く商売をやっているなあと感心する。


「よし、こんなもんか。次こっち」


 もくもくと浮かびあがっていた妄想が夏目の声で遮断された。

 足先から顔をあげるとマリを置いて別の作業台へ移動している。


 机伝いにぴょんぴょん跳ねてそちらに向かうと、夏目は先ほど整えた足型を膝が上になるように設置していた。

 そばにあった機械から透明の板を取りだして足型を覆うようにかぶせていく。


「それ何?」

「熱した樹脂。柔らかい」


 とこれまた端的に答えて型に貼りつける。

 熱が冷めるのを待って膝関節を装着するための土台を取りつけると、夏目が工房の一角を凝視したのでつられてマリもそちらを向いた。

 金属の足が立てかけてあった。


「あれって」


 夏目と初めて踊ったときの足だった。

 ソケット部分は取り外され、膝から下だけになっている。


「祐介に運んでおいてもらった」


 と言いながら手に取って土台と結合させていく。


「できた」


 樹脂から陽性モデルを取り外すと、掠れた声で夏目が言った。

 その瞳には、あのラムネ瓶のプリズムのような光がわずかに灯っている。


 できたんだ、マリだけの足が。


 途端にむず痒くなって夏目とよく似た仏頂面になってしまったが、それでもまっすぐに義足を見つめた。


「どれ、合わせて見ろ」


 いつの間にかやってきていた岩井がソケットをさわって確認しながら夏目に促す。

 工房に置いてあったライナーを借りてあの日のように支度する。

 義足を装着すると手が引かれた。


「おい、平行棒使えって」


 もっともな岩井の叱責を無視して両手を引いただけで立たされる。

 しかし夏目作成の義足は前回と同様、驚くほどふわりとマリを支えた。


「違和感ある?」

「わかんないよそんなの。初めてなんだから」


 しいて言えばすべてが違和感でしかない。

 自分が二本足で立っているなんて。


 この返答は夏目も予想外だったようで、ぽかんと口をあけたまま数秒考えたあと、膝の前にかがみ込んで短い足に触れていった。


「ここ、骨あるけどあたるか?」

「いや、なんも感じない」

「こっちは筋肉が張ってたけど窮屈な感じは?」

「言われたらちょっと狭い気もする」

「三十分後にまた訊く。それでも窮屈感が残っていたら修正する」

「あ、うん……」


 いきなりまともになられてもそれはそれでどう対処していいかわからない。

 仏頂面を維持したまま、淡々と訊いてくる夏目の質問に答えた。


「お嬢ちゃん、義足初めてなのか。傷は結構古そうだったが……」


 真新しい人工膝をいじっている夏目の向こうから声がかかった。

 視線をあげれば岩井が人のよさそうな笑みを浮かべて立っている。

 きっと夏目なら「いつ切ったんだ」などとデリカシーのない聞き方をするが、岩井はちゃんと濁してくるあたり、足の切断がナイーブな話題だと理解しているようだ(そうでなければ義肢装具の会社なんてやっていけないだろう)。


「十年前です。五歳のとき」

「えっ、それから今までずっと義足なしで?」

「ええ、まあ」


 責めこそしなかったが明らかに驚いた様子の岩井を尻目に、夏目はといえば「親寛大じゃねえか」と言っただけだった(これはおそらく、スマートフォンを割ったときに槙島がした質問への感想だろう)。


 そこではたと気づいた。

 いつ足を切断したのか、夏目は一度も訊かなかったことに。


 実験に協力してくれればなんでもよかっただけなんだろうけれど……その無関心さが心地よかった。

 足を切ったことで、世界の特別になんかなりたくなかったから。


「このあとちょっと歩くけど、歩き方覚えてる?」

「たぶん。リハビリでは足があると想定して左足も動かしてたし」


 二足歩行を思いだしながら、両脇に設置した手すりで身体を支えつつ歩いてみる。

 夏目が時折り歩行を止めて、膝の位置やバランスを確認。

 調整して歩き、調整して歩き……。


 足がどんどんと馴染んでいく。

 松葉杖で歩くときのような視界の上下もなく、ある一定の高さで固定された世界はかなり広がって見えた。


 踊っているときは夏目しか見えなかったのに、平行棒を一人で歩くと目の前が開けすぎていて急に不安になった。

 しかし視線を下げれば、マリの進行方向でしゃがみ込んで、じっと膝を見つめている夏目がいる。

 灰色の視線は背筋をむず痒くしたけれど、同時に鼓動も早くした。

 心臓のリズムに合わせて足を動かす。

 1、2、3、1、2、3。

 ワルツのステップのようにカウントが爆ぜる。


 七月十三日。

 こうしてマリの初めての義足が完成した。

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