天国と地獄の話

 はい、今運動会でかかるBGMの方だと思ってクリックしたあなた、残念ながらはずれです。罰として読んでいって下さい。はい、文字通りheavenとhellの話だと思ったあなた!正解です。今ならポイントが付くので読んでいってください。なんのポイントかは、俺も知りません。


 というわけで天国と地獄の話なんだけどさ、まあ、小さい頃からいろいろ葬式に出てるわけよ。親戚から家族、赤の他人まで。で、坊さんとか牧師さんとかがさ、式の間に話すじゃんなんか、メインディッシュ的なことを!遺族を慰めるようなこと言うじゃんか、「仏になられて、極楽で」とか「いつか天国で一緒に」とか…!信教の自由がある国だから他の人たちが何を信じてようが自由なんだけど、俺は割とこう懐疑的というか、平たく言えば無神論者なんだよね。


 でもさ、俺でも引っかかることはあってさ。仮に天国と地獄があったとしてさ、でも死んだ奴らも遺族もさ別に天国に行ける保証はないと思うわけよ!「天国or極楽で会えますよ」という言葉のさ、そいつと自分への過剰な信用というか、自分の人生への無責任な肯定感がめちゃくちゃ違和感なのよ。お前、そんなに良いことしてきたの?って。もちろんね、悲しみから立ち上がるための推進力が必要みたいな、大前提はね、スルーしますけど。だから、あれの正式なニュアンスって、「天国に行ってたら良いな」と「天国に行けたら良いな」なんだと思うのよ。簡単に言えば、祈り?故人と自分への。根拠はないけど純粋な願い。


 でもさ、地獄で会おうぜっていうのもそれはそれで好きというか、俺はその方が好きなんだよね。死ぬ直前に言われるならそっちの方が嬉しくねえか。だってさ、天国に行ける自信ないのに、割と最低なことしてきたのに、極楽とかに行かれると思いますが、とか言われてもさ、ストレスというかさ、死んでるけど死にたくなるよね。だからさ、地獄で会おうぜのほうが安心するわけよ。悪事を受け止めてくれた上で、それでも一緒に来てくれるのか。っていう。なんかそっちの方が熱くね?


 だから自分の全側面の肯定は結局、地獄で再会なんだよなきっと。天国は良かったことしか見てくれないわけで。地獄は善悪込みでお前を見てやるぞということだから、後ろめたく天国で過ごすのはしんどい。でも、それはそれとして拷問は嫌だけどな!いってええし、やっぱ天国行きてえな…あれ、お前、無神論者じゃねえのかよ。

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