5-7
何事もなく終わって欲しい。そんな恋の願望は発砲音によって打ち消された。それも一発では無い。多数の銃による発砲だ。
それが止んだかと思うと、硝子が割れて質量のある何かが落ちてきた──いや、舞い降りた。それは窓硝子を割り、飛び降りてきたのだ。雑居ビルの最上階、五階から。
深緑色の布が、ひらひらと落ちてくる。舞い降りてきたそれが被っていたものだ。布が地面に落ちたと同時に、着地の体勢をとっていたそれが静かに顔を上げた。恋と、そっくりな顔をしていた。
「冷……!」
思わず車のドアを開けて、外に飛び出す。人形の様に無表情だったその顔は、恋を見て口元を歪めて、笑った。
「やっと逢えたね、お姉ちゃん」
冷の手が、恋に向かって伸びてくる。
「片須! そこから離れろ!」
蘇芳の声。咄嗟に恋は後方に飛び退いた。同時に、鼓膜が破れそうなほどの破裂音と共に、世界が真っ白になる。白い煙の向こうで、黒い影が歪み、曲がり、しなった。
風に吹かれて、白い煙が晴れていく。そこには破裂した消火器の破片が、地面に散らばっているだけだった。
ビルから救出された小田牧は、息こそあったが見るも痛ましい姿になっていた。顔は腫れ上がり、体中は痣だらけだ。両手の爪は、残らず剥がされていた。恐らく、冷が恋の居場所を吐かせようと拷問したのだろう。
「馬鹿ね、そこまでするなんて、望んでなかったのに」
病院の廊下で、我知らず恋は呟いた。
警察の被害も大きかった。数人の重傷者と、多数の軽傷者が出た。蘇芳も命に別状は無かったが、負傷して戻ってきた。
冷はもう形振り構わなくなっている。恋に近づきつつあると確信していて、宗教団体を形だけでも維持する必要がなくなったのだろう。一刻も早く、冷を始末しなければならない。もうこれ以上被害を拡大するわけには行かない。
だが、どうやって? 警察の銃撃の嵐すらものともしなかった化物だ。彼をどうすればこの世から消し去ることができるだろうか。
あまりの情けなさに、恋は顔を覆った。冷を抹殺すると言いながら、実際は全て後手後手に回っている。遂には、関わった小田牧と蘇芳を傷つけてしまった。
「片須恋さん」
不意に声をかけられ、振り返る。そこには、二名の警官が立っていた。
「蘇芳巡査の判断により、あなたを保護します」
「今それどころじゃないんだけど」
自分が何故保護されるのか意味がわからず、苛立ちを隠せない。
「これは任意ではありません」
当然だが、譲ってくれる気はなさそうだ。素早く視線を巡らし、なにか使えるものが無いか考える。壁にモップが立てかけられたままになっている。恐らく清掃中なのだろう。なんでもいい、僥倖だ。
壁に取り付き、そのモップを引っ掴む。すかさず正面の警官の鳩尾目掛けて柄を突き出した。先端に柔らかい肉の感触がして、警官が呻き声を上げた。
間髪入れずに柄を振りかぶり、もう一人の頭目掛けて振り抜いた。丁度こめかみ辺りに直撃し、目眩を起こしたのかよろめき、壁に凭れ掛かった。二人とも、まさかこんな動きにくそうな服装の女がこれほど俊敏に動くとは思わず、大いに油断したのだろう。
モップを捨てて、廊下を走り出す。そのまま振り返りもせずに病院を飛び出した。そこまでは良かったものの、これから何処に行けばいいのだろうか。相手は警察だ。すぐに家の住所も調べがついてしまうだろう。
しかし、体も精神も疲れきっている。一度休みたい──そんな風に迷いながら彷徨っている内に、いつの間にか三ツ角町まで来ていた。そしてはたと気づく。ここはセレファイスのすぐ近くだった。
「いらっしゃい……恋ちゃん? どうしたの、ボロボロだけど」
きっと酷い顔をしていたのだろう。巽は慌ててカウンターから出てくる。
「少し匿って欲しいの」
そうして恋は、巽に一切の経緯を洗いざらい話した。もう嘘をついて取り繕う気力さえなかった。全てを打ち明けて、ゆっくりと休みたかった。
「そんなことがあったんだね」
巽は全てを疑う事無く信じ、受け入れてくれた。
「でも、戻って警察に行った方がいい。恋ちゃんはよくやったよ、後は警察に任せるべきだ」
「駄目よ、銃弾を食らっても平気でいられる化物を、警察がどうこうできるはずがない」
「それこそ、自衛隊でもなんでも出してくるさ」
「そうだとしても、それまでにまた犠牲が出る。これ以上不幸を拡散させるわけにはいかない。あたしで終わらせなきゃ」
恋は頭を抱えて、ソファに沈んだ。どうにかしなければと思っても、焦るばかりでなにも打開策が思いつかない。
「……あのさ」
不意に、巽が口を開いた。
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