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 家出少女というキーワードを聞いた時から、小田牧は恐らく黄衣の王ではなくルルイエ教団が絡んでいるだろうと予想していた。黄衣の王でそんな話を聞いたことがなかった一方で、クティーラ──教祖が直々に家出少女を迎え入れているという噂を耳に挟んだことがあったからだ。両方の教団に通じている小田牧だからこそできた推測だ。

 敢えて恋には言わなかった。それを知れば、教祖の元に連れて行けと言い出すのは火を見るよりも明らかだったからだ。

 わざわざ恋そっくりの姿に化けた怪物。詳しく聞かなくても、それと彼女が恋仲であったことはわかりきっていた。水煙草屋で彼女が意識をどこかへやってしまった時、それのことを思っていたであろうことも。

 彼女が会うのはかつての思い人ではなく、死んだ怪物の首でいい。

 ルルイエ異本の翻訳は、自分が思っていた以上に大事業だったらしい。意外にもあっさりと構成員達から信用を得ていたらしく、少し聞き出せば簡単に情報を手に入れることができた。

 家出少女達は、奉仕活動に出されるため一カ所に集められているらしい。奉仕活動が何を差すのか、考えたくもない。どうせまともなことではないのだ。そうでなければ、教祖直々に人集めなどするはずがない。女の姿を利用して、少女達の警戒心を解かせ、甘言を用いて洗脳する。そんな所だろう。

 それになにより、教団に連れてこられた少女はいないかと聞いただけで、部屋の鍵を渡されたという事実が、彼女たちの「用途」を雄弁に物語っていた。自分がそんな低俗な人間と思われたことに腹が立つが、情報が手に入ったのだからそこは飲み込むことにする。

 少女達が集められていると教えられた場所は、ごくありふれた賃貸アパートだった。渡された鍵を開けて部屋に入る。中は2Kの間取りになっていた。向かって右が和室で、左は洋室だ。

 和室には身を寄せ合うようにして四人の少女達が座っていた。小田牧を見た彼女らの顔が引きつる。それだけで、彼女達が何をされてきたかは想像に易い。

「心配ない、君達を助けに来たんだ。此処にいるより、警察や児童相談所に行った方が何倍もマシだろう?」

 彼女たちは暫し互いに顔を見合わせた。

「逃げよう。あたしもう、ここに居たくない」

 ショートカットの少女が立ち上がった。目鼻立ちがすっきりとした、整った顔立ちだ。小田牧はなんとなく彼女がリーダー格なのだろうと思った。

「でも、あいつに見つかったら私達殺されちゃう」

 ロングヘアの少女が身を縮こませて言う。まだ大いにあどけなさが残っている容貌だ。大きな目も相まって、怯える小動物を思わせる。いかにも小児性愛者が好みそうなタイプだ。

「みんなだって見たでしょ、ママが頼んだ探偵があいつに殺されるところ!」

 彼女がそう言った途端、他の三人の表情が凍りついた。探偵とは恋が見せられたと言う証拠写真を撮った人間だろう。

「でも、ここにいたって一生体売らされるだけじゃない! あたし、この人に着いてくから」

 リーダー格の少女が言うと、黙って事態を見守っていた二人の少女も立ち上がった。

「急いで、あまり時間をかけると気づかれるかもしれない」

 小田牧がそう声をかけると、ロングヘアの少女も涙目でついてきた。

 彼女達を連れて外に出る。しかしよく考えたものだ。ここは三ツ門町と壇日の境目辺りに位置しているが、どちらのメインストリートからも離れているため人が少ない。何かあっても助けは期待できないだろう。

 念のため、彼女たちに紙片を渡した。此処の住所と、ルルイエ教団の悪行を記しておいたものだ。最悪全員散って逃げれば、誰か一人は逃げて交番にでも辿り着けるだろう。

 アパートの前の通りを北に向かえば、三ツ門町の大通りに出られるはずだ。本当はここに警察を呼べれば良かったのだが、あまり目につくことをして教団に気取られ、適当に誤魔化されるのが一番厄介だ。

 厄介なことはもう一つあった。少女達は怯えているせいか、酷く歩みが遅い。リーダー格の少女はともかくとして、他の三人は見てわかるほど膝が震えている。一番怯えているロングヘアの少女に至っては、走るどころか歩くことすら覚束ない。何度も転んではよたよたと追いかけてくる。

 急げ、と彼女達に促して、北に向かって足早に進む。早く此処から離れたい。今のところ人の気配は一切感じられないが、いつ構成員達が湧いてくるかわからない。

 周囲を警戒しながら進んでいた時、少女の内の一人が短い悲鳴を上げた。どうした、と聞こうとして、進行方向に人影が立っていることに気づいた。警戒していたはずなのに、いつの間に。

 人影はシルエットから見るに、女だった。顔は逆光で見ることができない。

「あいつだ! あいつが来たよ!」

 ロングヘアの少女が悲鳴にも似た金切り声で叫んだ。どうやら彼女らを連れてきたのは、目の前にいる女らしい。だとすれば、この女がクティーラだ。

 小田牧が逃げろ、と叫んだのと、女の影が蠢いたのは同時だった。

 女の影がぐにゃりと歪んで、伸びた。影が伸び、先頭に立っていたリーダー格の少女が浮いたかと思うと、鈍い音がした。視線を向けると、頭が潰れた体が路上に転がっていた。細い足が痙攣して路上を蹴る。鉄の匂いと、今まで嗅いだこともない、生々しい臭いがした。頭の部分から、白い湯気が立っている。恐らく、頭が潰れて飛び出した脳味噌が、冷たい外気に晒されたからだろう。

 悍ましい光景と生々しい臭気に吐き気がした。小田牧は口元を手で抑える。背筋を冷たい汗が伝った。殺される。

 状況を理解したらしい少女達が悲鳴を上げた。てんで散り散りになって、バラバラに走り出す。

 一人の首に女の影が巻き付いて、そのままばきりと首の骨が折れる音が響いた。続けてもう一人が、胸を貫かれて血飛沫を上げた。

 まずい、このままだと全滅する。相手の正体はわからないが、それだけは小田牧にも理解できた。

 残ったのはロングヘアの少女だった。恐怖に腰を抜かした少女の足首に、女の影が這い寄る。小田牧は懐からバタフライナイフを取り出し、影に突き刺した。

「早く行け! 警察に伝えろ!」

 少女は我に返ったのか、もがくように立ち上がり、転げ回るようにして走り出した。

 女がゆっくりと小田牧に近づいてくる。ぐちゃり、と体が轟く音が間近に迫ってくる。ナイフを握る手は震えていた。八つ裂きにしてやると勇んで来たはずが、今や肉食動物に食い殺される寸前の小動物同然だった。心臓がどくどくと脈打つ。

 女の影──否、化け物の触手がしなった。すんでのところで反射的に身を屈めてそれをかわす。逃げろ。頭の中で意識が叫んだ。

 反転して逃げようとした刹那、側頭部に衝撃を受けた。一瞬目の前に星が飛ぶ。続けて、鳩尾に一撃。体が浮いて、路上に投げ出される。バタフライナイフが路上に転がる音が聞こえた。

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