第18話


「ふ……っ!」

 弾ける汗。

「えいっ!」

 上気する頬。

「はあ……はあ……」

 酸素を求めてあえぐ姿。


 僕は思う。


 運動って、素晴らしい!


「あ、ああ、あの、次、大氏くんの番、です」

「え? あ、ごめんごめん。ぼーっとしてた。じゃ、いくよ」


 手に持っていたボールを空中に放ってラケットで打つと、かこん、と乾いた音がした。強くも弱くもない勢いの白球は、ワンバウンドして叶守さんの手元へ。それを無駄な動きなくシンプルに打ち返すと、わたわたした動きで綾芽さんが山なりにボールを返す。


 あ、今おへそがちらっと見えたな……。


「やっ!」

「あっ」


 シャツの裾から覗いた綾芽さんのキュートなおへそに目を奪われていたら、僕の眼前を沖串さんの見事なスマッシュが横切っていった。これにてゲームセット。第一回暇を持て余した女神たちの遊び(卓球ダブルス)勝利の栄冠は沖串・叶守ペアの手に輝いた。


「キリカ、いぇーい!」

「いぇい」


 ぱちんとハイタッチする姿は女神の奏でる輪舞曲(ロンド)にも近しい神々しさ。うおっ、眩しっ!


「す、すみません、私が、もっと上手だったら……」

「いやいや、最後は完全に僕のミスだよ。僕を責めてくれてもいいんだよ」

「そ、そんなこと! でも、大氏くん、め、珍しいミスでしたね。ぴたっ、と動きが停まったみたいになって――」

「い、いやあそれにしても、卓球って地味に見えて結構足に来るよね。おかげで全身びっしょりだよ。あははは」


 流れてくる汗を持参してきたタオルで拭きながら笑う。さすがにお腹に見とれてました、なんて言えないので、笑ってごまかす作戦だ。


 タオルで身体を拭いていると、三人の視線が突き刺さってくる。な、なんだろう。もしかしてセクハラまがいの視線を向けていたことがバレているのかな。冷や汗がたらりと滲むのを感じながら必死で笑ってごまかしていると、三人が三人とも、顔を背けた。なぜか耳が赤くなっている。


「お、王子! 見えちゃうから、もうちょっと気を遣ってよ!」

「ええ? なにが?」

「お腹とか、胸、とか」

「あ、そっか。ご、ごめんね」


 そういえばこっちでは男の裸が破廉恥になるんだっけ。


「でも、一応綾芽さんに言われたとおり、アンダーシャツ着てるけどな」

「えと、えと、アンダーシャツめくって汗拭いてたら、着てないのと、お、おんなじ、です……」


 それもそうですね。ごめんなさい。

 僕がいそいそと素肌を隠すと、名残惜しそうにこちらを見る視線が三つあった。うん、よくわかるよ。ラッキースケベにはあやかりたいけど、じっと見るわけにはいかないから、どうしても口惜しさだけが残るよね。


「そんなことより、叶守さんは球技もできるんだね」


 気を取り直して話題を変える。


「わりと」

 叶守さんは頬の赤みをわずかに残したまま、自信を覗かせる。

「もともと、小さいころから体動かすの好きだったから」


 さすがは陸上部エース。決まったと確信したスマッシュを拾われたときは愕然としたよね。


「記念すべき初デートに屋内レジャーを提案するくらいだもん、キリカは根っからって感じだよね」


 肩を竦めて呆れた様子の沖串さんがいうとおり、僕らは屋内でいろいろなスポーツが楽しめるレジャー施設にやってきていた。自主練が禁止されているにも関わらず、こんなところに来ていいのかな? と思わないでもないけど、僕も一度、みんなでこういうところで遊んでみたかったから、黙って来てしまった。


「それじゃ、次はなにする? ダーツ、ボウリング、バスケ、バッティングまでいろいろあるらしいけど」

「全部」

「全部!?」


 綾芽さんが珍しく素っ頓狂に声を上げた。僕らが一斉に綾芽さんを見ると、恥ずかしそうに口に手を当てて目を逸らした。


「変?」とキリカさんが悲しそうにする。

「変じゃないけど、少しは加減してあげてよ。この中だと、瑠奈が一番体力ないし」

 という沖串さんは付き合う気満々のようだ。僕はどちらかというと綾芽さんよりかな。これでも男子なのでその分のアドバンテージはあるけど、根がインドアなので体力には自信がない。

「じゃあ、ゆっくりめに全部やろう」

「ひぇ……」


 そういうわけで、僕らの屋内レジャー制覇の道のりが始まった。


 *


 ダーツ(カウントアップ)にて。

「入った」

「180《トンエイティ》!?」

「これで800点超え……」

「わ、私なんて、やっと100点超えたのに……」

 

 ボウリングにて。

「倒れた」

「パンチアウト!?」

「220点……」

「ぜえ、ぜえ、わ、私なんて、やっと50点超えたのに……」


 バスケにて。

「手のひら、痛い」

「ふ、フリースローダンク……?」

「空、歩いてたよね、今……」

「ぜえ、ぜえ、はあ、はあ…………」


 バッティングにて。

「行った」

『ホームラ―――ン!』

「さ、三球連続……」

「ここ、120km/hだよね?」

「み、水……」


 *


「はしゃぎすぎちゃった」


 世界樹の葉から零れた朝露のような輝きの汗をタオルで拭いながら、叶守さんは満足そうに言った。疲れどころかイキイキとした表情を浮かべているのだから末恐ろしい。僕ら一般人の三人は、手近なベンチに腰かけて項垂れている。綾芽さんなんてほぼ屍状態だ。


「キリカ、毎日陸上部で練習してるんでしょ?」

「最近、運動量制限されてたから、ストレスだった。今日は充実してる」


 運動しないことでストレスが溜まるだなんて、まるっきり僕とは人種が違うということを思い知らされるね。まあ、フリースローラインからダンクを決める人と一緒だと思われても困るけど。


「綾芽さん、大丈夫?」


 隣に座る綾芽さんに呼びかけるが返事がない。ただの……いや、違う。女神の屍とでも言うべき真っ白となった綾芽さんの姿がそこにはあった。断じてただの屍などではない。


「なにか、飲み物買ってくるよ。待ってて。沖串さんと叶守さんもいるよね?」


 たしか近くに自販機があったはずだ。冷たい飲み物を買ってきて気付けにしてもらおう。


「じゃあ絵凜は瑠奈を見てるね。水かお茶が良いな」

「オッケー。叶守さんは?」

「ついてく。四つは大変だろうから」


 叶守さんを伴って自販機前にやってきた。


「おお、さすがレジャー施設。スポーツドリンクばっかり」

 甘い炭酸飲料やコーヒーなんかの定番メニューが見当たらない。代わりにプロテイン10g含有! みたいな飲み物が並んでいる。他のに比べてお高いけど、売れ行きは好調らしくいくつか売り切れになっていた。

「運動部だと、こういうの飲むの?」

「そういう人もいる」


 ということは、叶守さんは飲まないんだろう。普通にスポーツドリンクを買っていた。綾芽さんと沖串さんと僕の分、飲み物を三つ買って退散する。


「ねー、見た? さっきの三連続ホームランの人!」


 その時に、聞こえてきた声があった。声のする方をそっと見てみると、同い年くらいの女子三人組が壁に背を預けて話し込んでいた。


「やー、スイングやばかったね。さすがに見入っちゃったよ」

「それ! 思わず動画取っちゃったもんね」


 後ろの叶守さんを見やる。一見すると無表情だけれど、唇がむずむずしている。悪い気はしてなさそうだった。ちょうどこちらは死角になっているので、ちょっとだけ耳を傾けてみる。叶守さんはさっさとこの場を離れたそうだったけれど、「まあまあ」と押しとどめる。


「あの後、創成官のスカウトから勧誘受けてたとこ見たわ」

「え、創成官って、大学野球のめっちゃ強いとこじゃん!」


 目線で確かめると、叶守さんは小さく頷いた。なんでこんなところにスカウトが……?


「でさー、あの人の顔、なんか見覚えあると思ったら、ネットで見たことあるんだよ」

「なに、有名人なの?」

「なんか陸上の日本代表候補らしいよ。写真付きでヤフーニュースに載ってた。大人も顔負けの実力だって。あ、あった。ほらこれ。海東スポーツの記事」

「どれどれー?」

「つーかあの人、あんなエグい打球しといて野球部じゃないんだ……」


 野球どころかボウリングでもダーツでもプロに行けそうなくらいですよ。というか、日本代表? それは聞いたことがなかったな。「日本代表なの?」と小声で尋ねると、「候補だっただけ」とのこと。


「うわ、マジじゃんヤバ! なんでもできちゃう人じゃん」

「すごい人って身近にいるんだねー」


 僕も件のネット記事を確かめようと、ポケットからスマホを取り出そうとして腕を掴まれる。びっくりして振り返ると、叶守さんは長い睫毛を伏せたまま、「もう行こう」と言った。「みんな待ってるから」。


 有無を言わさぬ雰囲気に気圧されて、僕も反省する。たとえ知人が褒められているものだろうと、さすがに盗み聞きは趣味が悪かったよね。

 ペットボトルに熱を奪われた両手を服で擦りながら、綾芽さんと沖串さんのもとへ戻る途中、背中越しに聞こえた声は。


「見てこのコメント! 『これで顔がかわいかったら陸上界のヒロインになれたのに』だって! 酷くね(笑)」

「『天は二物を与えずってのはマジなんだな』って、それは私も思ったけど!」

「思ったんかい(笑)」


 やっぱり、盗み聞きなんかするもんじゃないと、そう思わされた。

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