第10話


 帰り道。


 いつもは登校、下校ともに母親か姉が迎えに来てくれるのだけど、今日ばかりは都合がつかないとかで僕が一人で帰ることになった。そもそもどうして学校側が送迎なんか指示するんだろうと最初は辟易としていたけれど、男を狙った犯罪が続発しているこの世界のことを考えれば納得せざるを得ない。周囲を観察すれば、僕みたいに送迎してもらっている男子がちらほらいる。


 ただやっぱり、高校生になったらいろいろ寄り道したいし、学校と家の往復はつまらない。魔女・レナがナーフされてしまった今、マジェスカは以前ほどの熱量をもってはやれないし、アニメや漫画も然りだ。家にいても楽しいことはほとんどない。ヒマしてるという意味では、僕も同じだった。


「小説でも手を出してみようかな」


 文字媒体なら、登場人物のビジュアルが気になることはない。とはいえライトノベルは挿絵があるから、一般文芸に絞るべきかな。そうと決めたら、古本屋にでも寄ってみよう。


 帰り道までのルートをスマホで調べると、ちょうどよく途中に古本屋があった。十分に歩いて行ける距離だ。僕はクラスメイトに別れを告げて、目的地を目指して歩き始める。


「じー……」


 校門を出てすぐに視線が背中に突き刺さった。振り返れば、半身を電柱に隠してこちらを見つめる沖串さんの姿。まさか、帰り道にまで着いてくる気なのか? もはや立派なストーカーなのでは……。


 でも、僕は通報したりしない。美少女の視線を独り占めできるのは以下略。見られて困る生活をしているわけでもない。むしろ誤解を解く良いチャンスだ。


 僕はいたって普通に徒歩で道のりを歩く。障害物に身を隠しながら遅れて着いてくるのは沖串さん。道行く人から不審がられているけれど、本人は僕の観察に集中しているためにそのことに気付かないようだ。沖串さんが通報されないように、なるべく早く古本屋に着きたいところだ。


 急ぎ足で歩くこと数分。目的のお店が見えてきた。古本屋は本だけでなく古着、中古家具などの売買も併せて行う店舗だけあってそれなりに大きく、駐車場も併設されている。平たく言えばブックオフとハードオフです、はい。平日夕方だけれど客足は多く、駐車場は七割ぐらいが埋まっていた。


 後ろを見れば沖串さんの姿があった。急ぎ足で来たけれど、通報されたり僕を見失ったりすることはなかったようだ。まあ、五メートルくらいしか離れていないから、見失うわけないんだけどね……。


 沖串さんのさらに後ろに、結構なスピードでこちらに向かってくる自転車が二台あった。自転車に乗った女子二人は、お互いにおしゃべりに夢中になって前を歩く沖串さんに気付いていない。かといって、沖串さんも背後に気付く様子がない。


「危ない!」


 僕は叫んで沖串さんとの距離を詰める。咄嗟にその小さな体を抱えて、横っ飛びした。爆走女子二人はその直後に僕らのすぐ横を飛ばして去っていった……。

 ふう、危なかった。結構スピード出ていたし、衝突したら無事では済まなかっただろう。


「急にごめんね。でも自転車に気付いていないみたいだったから、こんな方法しか取れなかったんだ」


 つい抱きかかえてしまった沖串さんを解放しながら謝る。嫌いな男子に密着されるなんて屈辱的な行為、きっとめちゃくちゃに怒るだろうなあ。

 予想通り、沖串さんの顔は真っ赤だった。許してもらえるかな、と不安になっていると、


「きゅん♡」

 沖串さんの瞳が焼きマシュマロみたいに蕩けていた。

「危険を顧みずに助けてくれるなんて、かっこいい……♡」

「え? か、かっこいい?」

「まるで、王子様……♡」

「え、えっと……」


 唐突な褒め言葉に耳を疑うと、「はっ!」と沖串さんの瞳に挑戦的な輝きが灯る。そして即座に僕から距離を取った。


「だ、騙されない! こんなことされたって、絵凜は騙されないからね! 今の『突然のハグ』は、絵凜のイケメンにされたいことランキング第八位だったからよかったものを、大氏義也なんかに第四位に位置する『お姫様抱っこ』をされていたら、アンタを殺して絵凜も死んでたところだから!」


 沖串さんのバケットリストは知ったこっちゃないんだけど、どうやら僕の命は首の皮一枚つながったらしい。よかった。万が一にもお姫様抱っこなんかしないように気を付けよう。


 ……赤の他人をお姫様抱っこするシチュエーションってなんだ?


「それよりも、お店に用があったんじゃないの」

「ああ、そうなんだよ。実は小説を探しに来ててさ、沖串さん、おススメとかある?」

「絵凜、活字嫌いだから。漫画なら読むけど」

「あ、漫画好きなんだ。それじゃヒーローマカダミア読んでる?」

「すっっっっっごく好き! 作者の構図とか絵の見せ方は本当に惚れるレベル!」

「わかる! ストーリーもクライマックスに入って、もう少しで終わっちゃうのが寂しいくらいだよ」

「ヒロマカが終わっても、同じ雑誌で連載してるオカモトデイズは期待できるから、絵凜的にはそっちもチェックしてほしい」

「そうなんだ。僕は単行本派だから知らなかったなあ」

「あと、ギャグマンガで言えば――」


 そこまで言いかけて止まった。きっ、とこちらをモルモットの眼差しで睨む。


「絵凜、雑談しに来たわけじゃないから。さっさと行ってよ」

「あ、はい」


 あくまで僕は監視対象らしい。楽しくお話しできそうだったのに残念。


 切り替えてお店に入って文芸書のコーナーに赴く。単行本は高いから、文庫が良いな。それでいて有名な賞を受賞していれば、世の中に数も出回っているから安く手に入るだろう。僕の場合、新刊じゃなくても暇が潰せればいいわけだし、十年前くらいに人気だった小説とかが狙い目かな。


 適当に見繕って五、六冊籠に放り込む。ま、こんなもんだろう。

 せっかくなので小説以外のコーナーも見て回る。うーん、やっぱり漫画は美醜逆転にだいぶやられちゃってるな……。僕が好きだったラブコメ漫画はもう見ていられない感じになっている。ヒロマカみたいなバトル漫画だったら気にならないんだけど。


「あ、マジェスカのアンソロジー本なんてあるんだ」


 漫画コーナーの一角に見つけて手に取る。作者は金坂カナ、カガミ、4k4me……。へえ、界隈では結構有名な人たちが描いてるんだなあ。以前の僕なら籠に突っ込んでただろうけど、今となっては躊躇してしまう。どうしようかな。安いし、買ってもいいけど、うーん……。


 迷っていると、今日一番の視線を感じた。いや、視線というよりそれは、「圧」だった。


 圧の主を知っている。僕は右後方を覗き見る。


「あ、ああああああ……。まさか、こんなところに金坂カナ先生が参加していた伝説のマジェスカアンソロ本があるなんて……。絶版になって今ではプレミアがついているのに、ここではまさかの三百円……ッ! くっ、大氏義也、どこまで絵凜のことをコケにすれば気が済むの……ッ!」


 ハンカチを噛んで悔しがる沖串さん。今にも血涙を流しかねない迫力に怖気が走る。沖串さんもマジェスカ好きだったんだ。


「い、いる……?」

「情け無用! 完売と言われたからには、潔く引き下がるのがオタクの信念だから! ああ、動かねば闇にへだつや花と水……」


 沖串さんは口惜しさのあまり辞世の句まで読み始めた。なんともまあ、立派なオタクだ。


「僕、そこまで興味あるわけじゃないから、欲しいならどうぞ」


 よよよ……とさめざめ泣く沖串さんにマジェスカアンソロ本を差し出す。涙に濡れた瞳でこちらを見つめる顔は、たしかに美少女だった。


「でも、大氏義也もマジェスカが好きなんでしょ……?」

「正直好きだったよ。中学生のころからやりこんできたし、レナのSSRバージョン違いと六種のスキン衣装はすべて揃えてるくらいには好きだった。買おうか迷ってたのも事実だね」

「じゃあやっぱり受け取れない。男子に施しは受けないから」

「施しじゃなくってさ、なんというか」


 考えを巡らす。このまま僕が棚に戻して帰っても、きっと沖串さんは意地になってこの本を手に取りはしないだろう。そしてどこかの転売ヤーがこの本を見つけて、高値で売り飛ばす。そんなことになるくらいなら、好きな人が持っていた方が絶対に良い。


 ああ、そうか。それなら最適な文句があるじゃないか。


「やっぱりこれは、沖串さんが買うべきなんだよ」

「だから、情けはかけてほしくない!」

「『優れた書物というのは、所有されるべき主を見つけるものだ。この名著がそなたを見つけたように』」


 沖串さんの目が見開かれる。


 一応断っておくと、僕の常用している二人称が「そなた」なわけではない。このセリフは、マジェスカの男性キャラクターの中で一、二を争う人気のクロンク・ヘル・バージェスカのものだ。


 無類の稀覯本愛好家である彼が、たった一度だけ、彼の蒐集対象である書物を一人の女性へ譲ったことがある。それは、かつて女性が生き別れた姉に、幼いころに一度だけ読み聞かせをしてもらったという、亡国に伝わるおとぎ話を収録した絵本だった。好事家には垂涎の代物であり、クロンク自身の自慢のコレクションでもあったその書物を、彼は貧しいその女性に二束三文で譲ってしまう。


「優れた書物というのは、所有されるべき主を見つけるものだ。この名著がそなたを見つけたように。きっとこれは俺が死蔵するよりも、そなたら姉妹の絆を繋ぐことを望むだろう」


 普段は自由奔放、貴族家出身らしい俺様キャラで通っている彼が、姉妹の遠き日の思い出のために命より大事なコレクションを手放す優しさ。そのギャップに魅せられ、夢女子となるものが多数だったそうだ。


 それからというもの、プレイヤーの間では何かをプレゼントするときには決まって、この○○がそなたを見つけた――略して「そなみつ」と言葉を添えることがお決まりになっている。


 今回見つけたのは、某国の絵本でもなければ、僕自身がクロンクでもないわけだけれど、マジェスカプレイヤーならこれだけで通じ合えるはずだった。


 沖串さんは信じられないものでも見るように、僕の顔をしげしげと眺めながら本を受け取った。肝心の本には目もくれず、僕を観察するばかりだ。本を胸にかき抱き、沖串さんの形の良い唇がすぼむ。


「きゅんきゅん♡」

「え?」

「これが、リアルクロンク様……♡」

「ええ? よく見てよ。クロンクとは似ても似つかないよ?」

「謙遜までして、慎み深いんだ……うぐぅっ♡」


 沖串さんが頭を抱えて呻き始めた。


「大丈夫!?」


 廊下での転倒が尾を引いているのかもしれない。心配する僕をよそに、沖串さんはしゃがみ込んでぶつぶつと呟く。


「ダメ♡ ダメでしょ絵凜♡ 男は皆、女子を見下して食い荒らす下劣な捕食者、狼なのに♡ 私が求める王子さまは二次元にしかいないはずなのに♡ この気持ちは、ダメ♡ ダメなのに♡ う、うごごごごごごごごご……♡」


 うわ言が漏れ出ている口の端から、涎が垂れ下がる。突然訪れた奇声を伴う異変に、店員も気が付いたようだ。こちらに駆けよってくる。僕は救急車を呼んでくださいと依頼するが、次の瞬間には沖串さんは立ち上がり、濁った眼差しでこちらを見つめた。


「え、絵凜は、騙されない……ッ! 男子に醜怪と罵られた過去を忘れたりなんかしない! 絵凜が信じられるのは、クロンク様だけなんだ……ッ! こんな、こんなイケメンが、絵凜に優しくしてくるなんて、現実じゃない! 現実はもっと絵凜に厳しいはずなんだッ!」


 ポケットから百円硬貨三枚を取り出した沖串さんは、アンソロ本の値札シールを店員さんに向けて指し示し、三百円を握りしめさせるとマッハで退散した。なにが起こったのかわからず説明を求めてこちらを見る店員さんに、さすがに三度目ともなると慣れてきた僕は、手元の籠を指し示して言う。


「とりあえず、お会計、お願いしてもいいですか?」

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